見出し画像

【創作論】エンタメは啓発でも啓蒙でもない。

桑本 大成【キャリアと読書】氏の記事を読みました。

養老孟司氏と宮崎駿氏の共著『虫眼とアニ眼』に関する内容です。


この中で、

「『うちの子どもはトトロが大好きで、もう100回くらい見てます』なんて手紙が来ると、そのたびにこれはヤバイなあと、心底思うんですね。」
「トトロの映画を1回見ただけだったら、ドングリでも拾いに行きたくなるけど、ずっと見続けたらドングリ拾いに行かないですよ。」

という宮崎駿氏の言葉を紹介してくれています。


ところで、
この宮崎氏の考え方(特に”ヤバイなあ”の部分)は、娯楽至上主義の私にはすごく引っ掛かるんですよ。

この言い方だと、まるで『となりのトトロ』が子どもたちを外遊びに誘うための啓発映画であるかのように聞こえる。

しかし、どこをどう観たってトトロは娯楽映画でしかないでしょう。


宮崎氏は同じ映画を100回繰り返し観るのはヤバイことだと仰いますが、そもそも、「同じ行為を繰り返し、対象から同じ反応が返ってくることを確かめる」のは、人間にとって原初的な(ゆえに強力な)娯楽なのです。
幼児がスイッチをつけたり消したり、箱からティッシュを出しまくったり、同じ絵本ばかり読み聞かせをねだったりするのは、予想される結果と実際の結果が同じになることに強い安心感を覚えているからだといいます。


そして、エンターテイメントの極致とは、人を安心感という名の泥沼に引きずり込むことだと私は考えているのです。
それは啓発や啓蒙といった性質、教育的価値とは真逆のもの。安心感の泥沼以外を目的にした作品など、もはやエンターテイメントではありません。
自分の作品において娯楽性をわずかでも狙ったのなら、他人を堕落させ得るのだという自覚と覚悟を持つべきです。


有効投票は一票だけですよ、などと秋元康氏は言いません。
同じ映画を100回観たがる子どもがどうと言うより、100回も観たくなるような映画を作る宮崎氏がヤバイ(スゴイ)のです。
その罪深いほどの才能を存分に誇ってほしい。


――と、いうわけで、娯楽至上主義の私は「トトロを100回も観るな」という宮崎氏の発言が引っ掛かったのでした。



・余談1
トトロは娯楽映画でしかない、の部分に反論はあるでしょうか。ないとは思いますが。宮崎氏に「お前はトトロを深読みできてない」と言われたら黙るしかありません。その人の作品をどう位置づけるかは、その人次第ではあります。


・余談2
「予想される結果と実際の結果が同じになることに強い安心感を覚える」という心理をプロットに応用しているのが、『男はつらいよ』とか『水戸黄門』といった、ほとんど同じ型を繰り返すタイプのシリーズものです。観客はこれらの作品に意外性は求めていません。
無論、意外性にこそ焦点を当てた娯楽もあります。


・余談3
ほかのジブリ作品、例えば『千と千尋の神隠し』だったら、宮崎氏はなんと仰るのでしょうか。気になります。作品内容、その方向性に関わらず「2、3回観たら十分だ」とでも言うのでしょうか。あんな考察しがいのある傑作を生み出しておきながら「何度も観るな」では殺生ですよね。