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私が「自己啓発書」を嫌い”だった”理由

「なぜ、その仕事をしているの?」と問われると……

 「自己啓発」という言葉がある。文字通り、「自分が己を啓発する」ことで、「自己啓発本」といえば、デール・カーネギーの『人を動かす』、スティーヴン・コビーの『七つの習慣』などを筆頭に、ロングセラー、ベストセラーが数多くある、書籍の一大ジャンルだ。

 私は「本」に関わる仕事をしている。だから、たまに「なんでその仕事を選んだんですか?」「なぜ、その仕事をしているんですか?」ということを尋ねられる。

 それで、困る……。いや、明確に自分の意志で選んだ。にもかかわらず、うまい回答ができないでいる。「本って売れないですよね?」「出版関係の業界は斜陽ですよね?」なんて、そんな不躾な質問をしてくる人がいるわけでもないのに、問われるたびに、自分自身で「あ~、なんでだっけ?」と考えてしまって、結局2秒後くらいに、「人並み以上には本を読んできたと思いますし、たぶん本が好きだったんですよね~」というような、めちゃくちゃつまらない、曖昧な回答をしてきてしまっていた。

 私は、自分で自分のことがよくわからない人間だ。むしろ、自分のことが嫌いなタイプなので、極力考えることを避けてきた感がある。いい年になってきたところで、ちょっと整理し、言語化してみたいと感じていた。

 そこで、「自己啓発」という切り口で、考えてみたい。

私は「本好き」なのか?

 私は、「本が好きだった」と……、言ってよい。小学生のころから本を読んできたし、中学~高校のころの通学中には、必ず本を読んでいた。学生時代は図書館にほぼ絶え間なく通って、本を借り、本を読んできたように思う。

 とはいえ、では「本の虫」だったかといえば、そんなことはなかった。図書館で借りたはいいものの、読まずに返した本は数知れず、学生時代の思い出としてすぐに思い浮かぶのは、部活とか、友達との会話とか、イベント事とか、そのようなものばかりだ。

 中学~高校生なら一般的にも当たり前だとも思うが、お金がなかった。私が10代のうちに読んだ本の「出所」の構成比を考えると、「図書館」と「ブックオフ」「アマゾン」などの中古書籍で、9割以上を占めると思う。たぶん、高校までに自ら買った「新刊書籍」の数は、20冊以下なのではないだろうか。

 本にまつわる仕事をしていると、当然のように「本好き」「愛読書家」が周りにいる。彼ら彼女らは、いかに若いうちから本を愛してきたのかを語りたがる。
 正直、「こいつ、ウソじゃね?」と思うこともある。逆に「さしずめ、てめぇ、東京の裕福な家庭のご子息だな、いい身分なこって!」とも内心で毒づいたりする。しかし、確かに10代のうちに自由気儘に「文化資本」を浴びて育ってきた人はいて、確実にアドバンテージになっていたりする。

 そうした人が「本好き」を名乗るのは、至極当然にも思われる。翻って、自分自身はどうだろうか? 別に清貧だったから、新刊書籍をはじめ、文化資本を摂取しなかったわけではない。「本好き」には、金銭的に余裕がないにもかかわらず、有り金全部をはたいても、大好きな「文化資本」を摂取しようとする人も、けっこうざらにいる

 それでは、私は、貧しい読書体験をしてきた私は、真の「本好き」ではないのだろうか? そんなややこしいことをふと考えてしまうから、「なぜ?」と問われて言い淀んでしまってきたのだ。

「自己啓発」という魔力

 人は「自分」が「幸せになりたい」と願って生きている。「今日より明日がいい日でありますように」と願って生きている。私もそうだし、あなたもそうではないか。

 そこに「自己啓発」という魔力が忍び入る。「こうすれば幸せになれます」「こうしたら成功できます」と謳う「自己啓発本」の登場だ。それが本当なら、是が非でも知りたい!

 それを……「ウソくさい」と思ってきた。「自己啓発本」なんて、ウソくさいな、インチキだ、と心の奥底で感じてきた。

 「この本で、人生が変わりました!」「絶望していましたが、今は幸せに暮らせるようになりました!」……たった1冊で、そんなに効果が出るなんて、たかが1冊の本を読んで、感激する人はバカなんじゃないだろうか……。そんな気持ちがあったように思う。

 しかし、バカは私のほうであった。「これまで人生を歩んできたなかで、たくさん本を読んできた私」というセルフイメージを持ち、そんな自分を何か高みにいることにしたい、本当はくだらない裸の自分自身を守りたい、そんな気持ちが奥底にあったのだろう。

 本にかかわる仕事、すなわち究極的には「1冊の本が、読んだ人に感動を与える」ことを目指す仕事をしている。であるならば、「自己啓発本」を否定する私は、完全に倒錯した状況にいることになる。「なぜ、その仕事を?」と問われて、言い淀むのは当たり前の帰結だ。

私は「本好き」ではない。「好きな本が好き」だ!

 「自己啓発」とは考え直せばけっこうなことだ。私は、「自己啓発」と括られるジャンルの本を読んだ経験は乏しいが、小説、エッセイ、人文書、社会科学書、その他、いろいろな本から「自己啓発」されてきた。
 「自己啓発」の意義とは、すなわち「なぜ本を仕事にするのか?」の答えと同じではないか。

 とはいえ、「自己啓発書」に未だ納得いかないところがある。それは、「ゴール」や「正解」を、「富裕」「成功」「成長」に求めていることだ。そして、「成功者」が上から下へと「啓蒙」していることだ。

 素晴らしい本は、すべて「自己啓発」であるべきだと思う。だから、読者に感動を与えられる「自己啓発書」は、本当に素晴らしい。
 しかし、「富裕」「成功」「成長」をみなが求めるのは、あまりに息苦しい。みながみな目指す「幸せ」は、そんなところにはないと思う。

  私は「本」に「啓発」された。……しかし、多くの人を「幸せ」の道へと導く「自己啓発書」が今はまだない。 だから、私は真の「自己啓発書」を探るべく、今でも「本にかかわる仕事」を続けているのだ。

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