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ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント:10 /東京都美術館

承前

 長谷川利行の絵も、ゴッホの絵も、ありていにいって非常に「カラフル」だ。
 だからといって、すべての絵に「明るく」「楽しい」感情がこめられているとはかぎらない。苦悩の末、絶望の淵で絵筆をぶつけたとおぼしき絵もあるし、つとめて明るく振る舞うかのような絵だってある。彼らとて人間だ。情緒というものがあろう。
 「人間は、悲しいときに悲しい表情をするんじゃないよ。人間の喜怒哀楽というのは、そんな単純なものじゃない」。小津安二郎の言葉は、絵にも当てはまるだろう。色彩上の見かけの明るさが、そっくりそのまま感情としての明るさを示すほど甘っちょろくはあるまい。

 それでも、わたしは思う。
 利行のこんなに活気ある絵を、ゴッホのこんなに丹精をこめて仕上げられた絵を、「暗澹」「陰鬱」「退廃」で割り切ってよいのだろうか?と。

 もう一度、ゴッホの糸杉を観てみたい。
 早描きといわれるゴッホだけれど、この頃の作品を観ると、短いストロークで丹念に筆をのせ、その上にまたのせて……という動作を繰り返していった慎重な制作姿勢がうかがえる。
 周到な準備よりも、まずはまっすぐにキャンバスに向きあうことを優先し、その過程での気づきを試みる。思索と実践の跡が、絵として残されている。そこに流れる時間はひたすらに静謐で、深い。

 糸杉の描写を、精神医学の見地から分析した文章を読んだことがある。状況証拠からみればそういったことがいえるのかもしれないし、娯楽読み物としては悪くない。そもそも、誰がなにを書こうと自由だ。
 けれども、ゴッホの絵を「病」や「死」という事実から逆算して位置づけるのみでは、一面的にすぎる。画家がこの世に残した絵は、断り書きでもないかぎりは「遺書」や「墓碑銘」なんてものではない。ただの絵だ。

 「病」や「死」といった事実よりも、絵筆を走らせるその瞬間に「生きていた」ことにこそ、目を向けたい。
 ゴッホも利行も、画家である。描くという行為、その産物である作品のなかに彼らの本領が、輝ける「生」の瞬間があった。最も「生」を謳歌していたその姿が、絵のなかにはいきいきと残っているはずなのである。
 歌人・吉野秀雄の文章に、こんな一節がある。

その人の仕事が残るとよくいうが、<仕事>と<死>とは本質的になんのかかわりもない

「リューマチと双眼鏡」

 糸杉の「蠱惑」は、「病」や「死」と結びつけやすいといえる性質だが、それでは割り切れない。ゴッホが静かに、誠実に画面に向き合って成立したのがこの絵であろう。

 「これでよし、できた」
 そのときのゴッホは、満足げな顔を浮かべていたのではないか。

     *

 先日の萬鉄五郎といい、西洋美術に材を取りながら、切り口が日本の美術になってしまうこと多々である。日本列島から一歩も外に出たことがなく、軸足がもっぱら日本の側にある者の謂いということで勘弁してほしい。
 それに、わたしは大正という熱のある時代が、長谷川利行という画家が、すきだ。ゆえに、かような迂遠な展開となってしまった……

 ゴッホ展の最後の部屋をわたしは立ち去り難く、しばらくのあいだ、会場内を逍遥していた。もう一度観たい作品を選んで観たり、人がちょうど立ち去ったあとの作品にさささっと近寄っていったりという時間もまた、愉しいものだ。
 お名残惜しく後ろ髪をひかれる思いは、会場を後にしてもなお続いて、思いの丈を文章でばーっと吐き出してしまったら、10回分もの長さになってしまった。
 ほんとうは「寸鉄人を刺す」ような、よく練られた簡潔な言葉がいちばん胸に響く。絵だってそうだ。
 わたしにはまだそれができない。精進あるのみである。
 キャンバスに向かう、寡黙なゴッホのように。(おわり)


※《黄色い家》だって、暗いだけの絵ではないはずだ。このあと、この家でなにが起こるかなど、この絵を描いた時点では関係がない


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