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大勾玉展:2 /大田区立郷土博物館

承前

 勾玉のかたちがなにを表したものか、はっきりとわかっていない。
 よくいわれるのは「母体に宿る胎児の姿をかたどった」という説だが、エコー写真もない時代にそれはなかろうと思う。

 生命力の発露という点でいえば、こんな見方はどうだろうか。虫が苦手という方には申し訳ないけれど……「幼虫」である。
 庭仕事で土いじりをしていると、茶色い土のなかからひょっこり、やや黄みを帯びて白い物体が現れる。彼らは、ぱんぱんに膨らんだ身体をよじらせて、暗い土の中で懸命に生きてきたのだ。
 土色から現れた白に、静と動の対比、そして予期せぬ出合いであったことが、彼らの生命感をことさらに印象づける。希少な玉(ぎょく)を用い、高度な加工技術を施してまで造形化されるにふさわしい対象ではないだろうか。
 クリーム色に近い色合いをした瑪瑙の勾玉を観て、そんなふうに感じた。

 思いつきはともかくとして、展示には、動物の湾曲した角や骨を削りこんだ縄文期の遺物が出ていた。この種のものが、勾玉の祖型となったという見解もある。
 本展では「子持(こもち)」と呼ばれる複雑なタイプも多数並んでいたが、そのなかには、背びれや尾びれのつけられた、明らかに魚の姿を意識したと思われるものがいくつかあった。
 そういえば飛び跳ねる魚も、勾玉の形に似ている。豊漁や子孫繁栄を願って魚の造形を採り入れることは、洋の東西を問わずなんら珍しいことではない。

 勾玉のかたちがもともとなんであろうと、「勾玉」と言われれば「あれね」と誰もがほぼ同じものを想像できるほど、われわれにはおなじみのかたちである。
 厳密にいえば、子持勾玉にかぎらず勾玉にはいろいろなタイプ(下記リンク参照)があるし、現代の製品でよくみかける、まるまると太ったフォルムや雫状のものは、古代には存在しない。けれども、おおむね同じアルファベットの「C」や「コ」に近いかたちを想像するのだろう。

 そんな、なぜだか魅かれる “いいかたち” の代表であるところの勾玉といえども……1500点も並べられると、やはり、なんというか……どれも同じように、見えてきやしないだろうか?
 いよいよ展示室に入って、これでもかと並べられた勾玉の数々を前にしたとき、こんな不安が湧いてこないこともなかった(じつは、みなさん一度はそう思ったことがあったかもしれない)。

 でも、それも大丈夫。
 いうまでもなく、1500点の勾玉は、論理立った章構成にもとづいて展示されている。個々の勾玉に作品解説はつかないものの、共通するくくりの一群に対して解説パネルが付されていて、その群れごとに理解していけばよいようになっている。一群の点数が多くはないので、テキストと作品との対照もしやすい。
 解説パネルのテキストには、考古学者の微細なものの見方や分析、それに素材や加工技術への確かな知識が凝縮されている。
 序盤ではまだむずかしいかもしれないが、勾玉を浴びるように観ていくうちにだんだんと目が馴れてきて、執筆者のいわんとしているところがどんどん頭に入ってくるようになる。こうなると、もう「同じ」とは言わせない。

 ――本展を最後まで観ればかならずや、古代の勾玉が欲しくなるだろう。常に持ち歩いて、撫でまわしていたくなってしまうに違いない。
 そんな欲望の一端を満たしてくれる(?)のが、入場の際におひとりさま1枚ずついただける「勾玉カード」だ。
 トレーディングカードふうのつくりになっていて、表の面には「レベル」「レア度」「スキル」の5つ星評価、裏面にはデータと短い解説文、出土地の位置を示す地図がついている。全12種類から、自分がすきなものを選べる仕組みだ(ランダムでないのがまたいい)。
 わたしはこのカードーー平山古墳(京都府)から出土した瑪瑙の勾玉を選んだ。
 会場で実際の勾玉を観ると、これがたいへん美しいもので、さらに愛着が湧いてきたのだった。
 全種類、集めた人はいるのだろうか?

カードの表面。右は、わが家のフローリングに落ちていた勾玉……っぽい、猫の爪。タマネギの皮のような構造で、古くなるとこうして自然に剥がれていくものらしい



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