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太子忌の思い出 播磨の斑鳩寺 :1

 きょう2月22日は「にゃんにゃんにゃん」で「猫の日」……と同時に、聖徳太子の命日とされる日でもある。
 太子が没したのは、旧暦の2月22日。暦の換算方法によって解釈は異なり、法隆寺では3月22日、四天王寺では4月22日、陵墓のある叡福寺では4月11日に法要が執り行われている。
 そんななか、きょう2月22日に「太子春会式(えしき)」を開いているのが、兵庫県の斑鳩寺(いかるがでら)だ。
 太子ゆかりの寺院は全国各地にあるが、奈良の法隆寺は太子が暮らした斑鳩宮に端を発し、歴史と寺格、伽藍のスケール、いまに遺る文化財の質・量のどれをとっても他を圧する。
 その法隆寺の別名・斑鳩寺と同じ名前をもつ寺が、岡山との県境も近い播磨の、その名も「太子町」という町にあるのだ。斑鳩寺の一帯はもと法隆寺の荘園であった地域で、太子への厚い信仰が守り継がれてきた。

 毎年2月22、23日になると、斑鳩寺の参道や境内には出店が軒を連ね、老若男女多くの人びとで賑わう。法要後には年に一度の御開帳があり、丈六の巨大なご本尊が姿を現す。数年前、このご本尊を拝観すべく、わたしはやってきたのであった。

よく晴れた日だった

 仏像に向き合う静かな時間と人混みの雑踏はミスマッチに見えるかもしれないけれど、「御開帳あるところ出店あり」とでもいってよいくらい、見馴れた組み合わせでもある。
 聖と俗は表裏一体。ふだんは人混みを厭うわたしだが、その地域で暮らしてきた人々がこの日ばかりはと仏さんの前に集い、賑々しくしているさまを見るのは、ご開帳と同じくらいに楽しみなのである。

寅さんがどこかにいそう

 子どもの頃、町内会のお祭りでお神輿を担ぎ、盆踊りを見た。それは寺や神社、信仰心の介在しない、ニュータウンの仮想的な祭礼ではあった。
 当時は幼いなりにわくわくしたものだが、いま思えばあそこには「中心」がなかった。芯の部分が空虚だったのである。ぼくたちわたしたちが懸命になって背負った重たいお神輿のなかには、盆踊りの輪の真ん中には、なにがあったのだろうか……
 かたやこの地域の人たちには、斑鳩寺という心の拠りどころがある。そのことが、心底うらやましいと思えるのである。(つづく

聖と俗が入り混じる



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