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【文学紹介】(続き)梅の花に馳せる思い 何遜:揚州法曹梅花盛開

1:はじめに

前記事 【文学紹介】梅の花に馳せる思い 何遜:揚州法曹梅花盛開からの続きになります。

繊細な情景描写を通じて自身の想いを詠った南朝の詩人、何遜の作品を見ていきましょう。

2:揚州法曹梅花盛開

【原文】
兎園標物序,驚時最是梅。
銜霜当路発,映雪擬寒開。
枝横郤月観,花繞凌風台。
朝灑長門泣,夕駐臨卭杯。
応知早飄落,故逐上春来。


【書き下し】
兎園は物序を標(しる)し、時に驚くは最も是梅なり。
霜を銜(ふく)みて道に当りて発(ひら)き、雪に映じて寒を擬して開く。
枝は横たう郤月観、花は繞(めぐ)る凌風台。
朝には長門の泣(なみだ)を灑(そそ)ぎ、夕には臨卭の杯を駐(とど)む。
応(まさ)に早(つと)に飄落するを知るべし、故に上春を逐いて来る。

【現代語訳】
兎園では自然の移ろい感じられるが、最も人を驚かせるのは梅の花。
霜を帯びながら、雪に映じながら寒さの中で、花を咲かせている。

枝は郤月観に横たわり、花は凌風台をめぐっている。
司馬相如が長門宮の悲劇に涙を流したように、また臨卭の宴席で卓分君を見初めたように、朝夕問わず風流人の心を揺り動かす。

きっと自らが早々と散ることを知っているのであろう、正月を追う様に花が開いた。


3:作品解説

今回の詩も五言古詩と呼ばれる形式です。
梅(バイ)、開(カイ)、台(ダイ)、杯(ハイ)、来(ライ)ででそれぞれ押韻しています。

【1・2句目】

まずは1、2句目から。兎園は本来の意味は漢の時代に作られた庭園のことなのですが、ここでは揚州にある庭園のことを指しています。

物序は時物の移り変わり、庭園の中では様々な自然がありその中で時の移ろいが感じられる、という感じです。
その中で最も時の移ろいに気づかせてくれるのが梅の花だと、いうことです。

【3・4句目】

3、4句目では寒さの中で花を咲かせる梅の描写です。
「銜(ふく)む」は含むという意味です。梅の枝や花に霜がおりている状況でしょうか。

擬すは中文の解説で「比,对着」とあったたこと、また3句目の「路に当たる(道と対する)」と対句表現になることから、「寒さに対峙している」と解釈しました。

霜や雪の白さと梅の花との対比であると同時に
その寒さの中で梅の花の色や香り、その凛とした姿全体が浮き上がってくるかのようです。

by Jaesung An @Pixabay

【5・6句目】

5、6句目にある郤月観と凌風台はどちらも揚州にある建物の名前です。
揚州の至る所に梅の花が咲いている、ということだと思いますが、
「枝横郤月観,花繞凌風台」という字面を見れば、月に梅の枝が横たわっている姿や、風にふかれた花びらが楼閣の周りを舞っている姿が想起されます。

3、4句目で梅の花自体をクローズアップしてみせた後、5、6句目でグッと引絵になって月や楼閣などの景観と共に梅の姿が描かれている感じがして、とても綺麗です。

【7・8句目】

ここまでで梅自体を描写しましたが、7、8句目では梅の花が与える影響について言及しています。
どちらも司馬相如という漢の時代の有名な文学者の故事をベースにしています。

司馬相如(百度百科より)

長門とは長門宮のことです。漢の武帝の時代、彼の寵愛を失った陳皇后は長門宮に追いやられ冷遇されます。
涙に暮れる日々を送っていた陳皇后は、密かに信頼のおける臣下に命じて賦を作らせ、それにより悲しみを癒そうと考えます。これを受けて司馬相如が「長門賦」と呼ばれる作品を作った、と言われています。

8句目の臨卭は四川にある地名です。
司馬相如は一時期、その才能を買われて臨卭にある卓王孫の邸宅に住まわせてもらっていたのですが、ある晩、お酒の席で卓王孫の娘である卓分君を見初めます。詳細は省きますが、卓分君に対して彼は琴を弾くことで自身の想いを伝え、その後二人は駆け落ちをする形で結ばれます。

卓文君(Wikipediaより)

長門宮の故事は離別の悲しみを詩歌を持って詠い上げたエピソード
臨卭の故事は、恋愛の喜びを音楽を持って成し遂げたエピソード


朝も夕べも問わず、人の喜びも悲しみも全て風流人が表現してしまうくらい、梅の花は題材としても素晴らしいということです。

【9・10句目】

9、10句目は再度目の前の梅の花に戻り、最後を締めくくります。
「応(まさ)に〜べし」は「きっと〜だろう」という意味で強めの推測を表します。
自分自身が早々と散ってしまうことを梅の花は知っているのだろう、と言います。
だからこそ、正月に間に合わせて花咲く姿を見せてくれたのだ、と。

4:最後に

何遜のこの詩に描かれた梅の花は寒さに耐えながら凛とした姿を見せ、また多くの人々の心を動かす存在として描かれていますが、中国文学で梅を題材とした詩の先駆けはこの詩だと言われています。

特に他の花々が凋落している冬の季節に、寒さに耐えながら美しい姿を見せる梅の姿は、苦境にあっても節度を保ち正しく自らの意思を貫く人物の在り方として、以後文学の中で繰り返し描かれていくこととなります。

by Annette Meyer @Pixabay

同じく冬の季節にあっても節を曲げない竹、青々とした葉を落とさない松と合わせて松竹梅は、儒教的価値観の中でも理想的な在り方として描かれることとなります。
何遜も梅の姿に自身を託して「こうありたいものだ」という想いを込めて、この詩を作ったのだと思います。
寒門の出身で思うに任せぬ身であれば、なおさらだと思います。

当然詩の中のこういった想いや意図もこの詩が好きな理由の一つなのですが、最初僕がこの詩を読んでみたいと感じたのは、その字面の美しさでした。

兎園標物序驚時最是梅
銜霜当路発映雪擬寒開
枝横郤月観花繞凌風台
朝灑長門泣夕駐臨卭杯
応知早飄落故逐上春来

パッとこの詩を見た時、最初に抱いたのは「意味は読んでみないとわからないが、なんか綺麗な感じがして興味がある」というすごく単純な感想でした。

僕自身、何遜はかなり好きな詩人なのですが、その理由は、まず字面だけ見て綺麗だなあという気持ちになり、その後細かく読んでみて背景や技法や、詩に詠まれた感情を知る、というふうに2段階で楽しめることが多いからなのだと思っています。

この読み方・楽しみ方が邪道なのかどうかはわかりませんが、
とにかくこういう理由で彼の作品が好きだったりします。

マイナーな詩人であるため専門の解説書などは出ていないですが、
興味のある方は百度などで検索してみてみてください。
それでは、今回はこの辺で!

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