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シュレディンガーの科学哲学

前回、幅広い科学分野を開拓したシュレディンガーという科学者について触れました。

量子力学(シュレディンガー方程式の考案)の貢献でノーベル賞受賞した後は、生物学に転向し、最後は神経科学にまで及びました。

前回は「浮気性」と書きましたが、その表現のとおり完全に物理学を捨てたわけでなく、物理分野においても「統一理論」を追い求め続けていました。

このあたりはアインシュタインと似ていて(実際長年親交が深かったのですが、最後にその統一理論のすれ違いで関係がこじれます)、一般相対性理論と電磁気理論の統一に励みます。

そんな起業家精神にあふれるシュレディンガーですが、本人としてはある程度の一貫性は持っていたようです。

実は本人は量子力学におけるシュレディンガー方程式の解釈として、ボーアという科学者が規定した「素粒子の存在確率」は受け入れていませんでした。

もっといえば、有名な「シュレディンガーの猫」という思考実験も、そういった解釈を皮肉ったものです。
それが量子力学の啓蒙(話題を引き付けるネタ)として使われるというのはそれこそ皮肉です。

特にシュレディンガーが好まなかったのが「二元論」という考え方です。
ざっくりいえば、彼はすべてのモノは統合的に解釈できると考えていました。

先ほど「浮気性」と書きましたが、実は彼の中ではある程度つながっていて、物理の最小単位を深掘っていくと量子力学という離散的、もっといえば「不連続」な法則が浮かび上がってきます。

ここで、解釈によって混乱が生じていくわけですが、シュレディンガーはあくまで「一元論」を支持しています。

よく哲学的な問いに「実存するか否か」というものがあります。
例えば、関連でよく話題にだされる話だと、デカルトの「精神と肉体は別々」というものがあります。(身体機械論)

シュレディンガーは実存という言葉を避け、あくまで我々の精神によって解釈されたもの、という説をとります。
量子力学は、主体(見る人)が客体(見られるもの)に影響を与えててしまう、もう少しいえば、従来の客体の観察だけで成り立っていた物理に革命を起こしたわけですが、叱るがゆえに大混乱をもたらしたわけです。

シュレディンガーの視点では、そもそも客体というのは主体からなる世界である、という立場です。

巻末リソースの中で本人の巧みな表現があります。
「絵を描いたのは画家なのに、その作品のうちをいくら探しても画家(画家の意図)そのものは見いだせない」(「精神と物質」)

意外なことに、この哲学にはとある過去の宗教が影響しています。

古代インド宗教(ヒンズー教)のヴェーダーンタです。

超ざっくりいえば、精神も物質も共通の母体から生まれて表現が異なるものだ、ということです。
その母体のことを上記宗教では「ブラフマン」と呼びます。キリスト教でいう「神」に近いイメージかもしれませんが、このあたりはセンシティブで深くは理解していないので、これ以上の言及は避けておきます。

バリバリの科学者なのに意外と思うかもしれません。ただ、その宗教的な思想を科学手法に取り入れることはシュレディンガーはうまく場合分けしています。
つまり、個人の信条はともあれ、科学の研究では科学のルールで臨んだ、というわけです。

ぜひ関心を持った方は下記のリソースをポチって見てください。

<参考リソース>

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