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人間学を追究する書籍編集者のnote

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一冊一冊の書籍の誕生にこめられた思い、編集秘話などを綴っています。
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記事一覧

社員のご遺族の葬儀に参列して――かなしみはみんな話してはならない

社員のご遺族の葬儀に参列して――かなしみはみんな話してはならない

2008年に、月刊『致知』が創刊30周年を迎えた時、自社から配信しているメルマガの企画として、それぞれの心に残った言葉を社員一人ひとりが綴っていくこととなった。

新人から役員まで、紹介される言葉や、まつわるエピソードは多岐にわたったが、自分の心に最も強く残ったのは、後藤直さん(当時60歳)という社員の文章だった。

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致知出版社社員が選んだ『致知』の名言
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高校を卒業する僕らに「二度とこの学校には来ないでください」と口にした女性教師の真意

高校を卒業する僕らに「二度とこの学校には来ないでください」と口にした女性教師の真意

高校卒業を間近に控えたある日、家庭科の先生から言われた言葉が忘れられない。

その日は普通授業の最終日。各教科の先生方はそれぞれ、「ここはみなさんの母校です。困ったことがあったり、先生に会いたくなったりしたら、またいつでも遊びに来てください」と話し、最後の授業を終えていた。

そんな中、50代半ばくらいの、加藤登紀子似の家庭科の先生だけがこんなことを言った。

「卒業後、先生や後輩に会いに、学校へ

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ママ、死にたいなら死んでもいいよ――17歳の岸田奈美さんが下半身麻痺の母に放った言葉

ママ、死にたいなら死んでもいいよ――17歳の岸田奈美さんが下半身麻痺の母に放った言葉

その日、岸田奈美さんから届く原稿を待っていた。

最後にひとつだけ残っている、巻末の「娘から母への手紙」。

約束は早朝6時。でも、もし早く送ってきてくださった時のために、深夜2時からパソコンをつけてスタンバイしていた。真っ先に目を通そうと思っていた。奈美さんの頑張りに応えることはもちろん、自分が純粋に、その原稿を早く読みたかったからでもある。

そして、午前2時30分。原稿は届いた。

「娘から

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一つの雑誌に、恋い焦がれるような感情を抱いた24歳の冬。

一つの雑誌に、恋い焦がれるような感情を抱いた24歳の冬。

その出版社の採用試験に、僕は一度落ちた。心が引き裂かれそうだった。出している雑誌があまりに眩しすぎたから。他と比べようがなかったから。

どうしても忘れることができず、雑誌の束を紐で縛り、押し入れに入れて、見えなくした。でも朝目覚めると、またその雑誌のことを考えている自分がいた。

一つの雑誌に、恋愛のように恋い焦がれる感情を抱いた。24歳の冬だった。

あれから16年。僕はその雑誌をつくる出版社

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奇跡のJAL再建。稲盛和夫氏が最も信頼した男だけが語れること

奇跡のJAL再建。稲盛和夫氏が最も信頼した男だけが語れること

その日、僕は羽田空港へと急いでいた。

保安検査場に着いたのは、朝7時30分。フライトは7時40分。出発まであと10分しかない。

すると僕の慌てた様子に気付いたJALの若いCAの方が「何分発ですか? えっ、それはもう間に合わないかもしれません……。でもすぐ連絡を取ってみます!」とスタッフに電話をし、なにやら事情を説明してくださっている。

そして、まだなんとか間に合いそうなことが分かると、「私が

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本当の恩返しとは、いま自分自身が燃えて生きることーー亡き恩人へ捧ぐ

本当の恩返しとは、いま自分自身が燃えて生きることーー亡き恩人へ捧ぐ

今年8月、僕の恩人が亡くなった。

「編集の仕事がしたい」という一心で、滋賀の田舎から夜行バスに乗って面接に押しかけた僕を、その編集プロダクションの社長は温かく受け止め、上京のきっかけをつくってくださったのである。

人生で、初めてまともに接する東京人。ひそかに憧れていた標準語のイントネーションも、切れ味の鋭い質問や、ちょっとした身のこなしも、そのすべてがまぶしかった。

僕はこの社長のもとでアル

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装幀界の巨匠・川上成夫さんから教わったこと――「魂を込めて作った本は必ず伝わるんだよ」

装幀界の巨匠・川上成夫さんから教わったこと――「魂を込めて作った本は必ず伝わるんだよ」

川上成夫先生が亡くなった。

いまでもまだ、信じられない。
 
秋に突然入院されたと聞いたから、慌てて見舞いに行ったら、事務所からMacを持ち込んで、「ここで仕事をするんだ」と笑っていた。
 
あれ? パソコンは使えない人じゃなかったか……と思ったら、会社のスタッフを通わせて、直接指示を出すんだ、という。
 
事務所からは、そこそこ距離もある。ここまで来る女性スタッフのほうが大変そうだな、と思った

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齋藤孝先生が“理想の小学国語教科書”をつくった理由。中2で習う『走れメロス』に小学1年生が歓喜する

齋藤孝先生が“理想の小学国語教科書”をつくった理由。中2で習う『走れメロス』に小学1年生が歓喜する

精神の成熟に繋がるようなテキストを
 
致知出版社から、まもなく一冊の本が世に出ようとしている。
 
『齋藤孝のこくご教科書 小学1年生』
 
あの『にほんごであそぼ』(NHK Eテレ)の総合指導も務める齋藤孝先生が監修した、小学1年生向け“理想の国語教科書”である。
 
きっかけはこんなことからだった。ある日、打ち合わせをしていると、齋藤先生がふと、「いまの小学生の国語教科書は、絵と写真とひらが

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「君みたいな人間は、東京に行って潰されてきたらいい」と言われた日。19歳の挫折と誓い

中学2年の時から、コピーライターになりたいと思っていた。

コピー1行100万円。

そんなマスコミの触れ込みにすっかり魅せられた僕は、将来の道を14歳で定め、すこし背伸びをしながらいくつかの広告雑誌に目を通してもいた。

大学に入学したのも、コピーライターになるのに有利だと聞いたからで、正直なところ、入れる大学があればどこでもよかった。

そして大学1年の5月から、宣伝会議が主宰するコピーライタ

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脳と心と身体に効く朝音読――元女性アナを重度のうつ病から救ったもの

脳と心と身体に効く朝音読――元女性アナを重度のうつ病から救ったもの

和貝晴美さんはアナウンサーだった。それが、40代に入る直前、仕事上のストレスと離婚が原因で、うつ病を発症してしまう。人前に立つことが困難になり、ほどなく失業。まだ幼い二人のお嬢さんを抱えてのことだった。
 
そこから和貝さんの人生は一変する。うつ病はひどくなると、矢で心臓を刺されるような胸の痛みや、半身の痛みが出ることもあるそうで、テレビを観ても音楽を聴いても何も感動しない。
 
発症から2年間は

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