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専業主婦になって“家族はチーム”が腑に落ちた

ついにロンドンに引っ越した。

1年前の今頃は京都に帰省し、ちょうど妊娠2ヶ月目で妊娠の報告を家族にしたんだった。食べづわりがはじまり、お腹が空くと気持ち悪くて耐えられないなか、うだるように暑い京都を夫と2人で散歩した。アカツキコーヒーのレモンパフェ、かねよのきんし丼なんかを食べ、南禅寺の水路閣を見に行った。あれから1年経って私たちは3人家族になった。

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妊娠からはじまったプロジェクトの完結

2020年8月15日16時過ぎ、ヒースロー空港で娘と夫を会わせた瞬間、この1年にも及ぶ私的一大プロジェクトがようやく完結した。この禍中で一時中断が危ぶまれたが、当初の予定より2ヶ月弱遅れた程度ですんだ。むしろ子どものためを思えば首がすわって移動の際にさほど気を使わなくて済んだし、渡英前に数種類の予防接種とBCGを受けられたのでよかった。(イギリスにはBCG接種がないらしいので一般的な病院では受けられない。かかりつけの小児科の勧めで推奨生後5ヶ月だが1ヶ月早く打ってもらえありがたかった。)

時差ボケと達成感でぼんやりするなか、私はいわゆる駐妻デビューをした。顰蹙をかうようで言いづらいいが、駐妻に憧れもそれほどなくむしろ20代半ばからはキャリア志向だったので専業主婦として海外生活、子育てをする人生は予想外だ。ずっと独身で十分に稼ぎ、自分を食わしていくのが豊かな生活だと信じていた。

夫と出会って徐々に“結婚”への距離を詰めるなか、こうなることを想定するようになる。いつか子どもを産むだろう、いつか外国についていくんだろう、そのとき私は何かを手放さなければならないんだろう。入籍したとき、喜びよりじわりじわりと訪れるその時の衝撃を最小限にとどめようと、心の準備にとりかかる。もしかしたらあとあと結婚を後悔をするかもしれない、だからキャリアへの諦めや職場への未練を今今から前借りしていく。カウントダウンが始まる。その時がきたら、独り相撲だったと思えればいい。

生計を共にしない共同生活から

京都での生活は何不自由ない。パートの母と、娘との3人暮らし。立地のいい母のマンションに転がり込んだから買い物にも困らないし、掃除や洗濯、娘のおむつ替えなどを積極的にやってくれたので存分に甘えていた。朝は8時頃おきてダラダラとワイドショーを見ながら娘の世話をする。昼から買い物や渡英準備で事務手続きに出かけることもあるが、大体はスーパーで夕飯の買い出しをして、夕方には家に帰りまた娘の世話をする。パートから帰った母に娘を見てもらい夕飯の支度をする。夕方からは大体機嫌が悪く抱っこしていないと四六時中ぐずるので、片手で抱きながら夕飯をたべる。シャワーを浴び、娘の身体を洗い、母に受け渡して身支度を任せる。夜9時から10時くらいには添い乳をしながら就寝。深夜3時頃と明方6時前くらいに泣くので乳をやり、それ以外はずっと寝てくれるので私もとくに寝不足になったことがない。そんな毎日の繰り返しだった。

家に主婦が2人もいれば申し分ない。阿吽の呼吸で滞りなく生活がまわる。ただ、不自由がないとはいえ、食べることに困らないとはいえ、誰からも責められることがないとはいえ…
贅沢な身分は承知だが、とはいえ目的意識のうすいそんな毎日を過ごしていると不安に駆られ辛い。今は子育てが仕事みたいなものだといばそうなのかもしれないが、“こんなことして、飯食っていいのか?”と思うと虚しさがまとわりついた。いつしかあれだけ好きだった食べることに対して、罪悪感が生まれていた。

母とは生活費は適宜出し合っていたが、特にこまかなとりきめはなく丼勘定だった。光熱費は払っていないが、一緒にスーパーにいくときは割り勘で、それ以外は基本的に食費は私が出していた。出産手当金が支払われるまでは、これまで働いた自分名義の預金口座から食費に当てていた。

“食費や生活費につかって”と夫から手渡されていた家族カードはある。けれど自分の食べるものを人のお金に頼らないといけないのかと思うとなかなかカードを切る気にはなれない。無駄な固執なんだろうが、”食わしてもらっている“という後めたさがあるくらいなら身銭を切ったほうがマシだと思っていた。産休中は当たり前だが給料は出ないので、残高は目減りしていく一方。擬似的に生活困窮を感じて本当に気持ちが折れそうになる。

なぜ私は母の分の食費をだしているのか…世話になるからと暮らし初めてすぐ少しの生活費を母に託したが、光熱費よりも食費の方が高くないか?と色々腑に落ちずストレスだった。母はあまり細かいお金のことが気にならない性格のようで、一緒に暮らすようになった2月から一度も食費に関して言及してくれたことがない。当たり前のように買いおきや、作りおきをたべる。それでも娘のこと色々やってもらってるしな、とか住まわせてもらってるしなと自分の中で折り合いをつけて過ごした。

私がどういう気持ちかを知る由もないので、”今日晩ごはん何食べようか?“ときくと、”あるもん食べといたらいいやん“と平気でいうのだった。私はその言葉が嫌いだった。この世の中に”あるもん“なんてない。誰かが生産し、誰かが働いたお金で買い、誰かが時間をかけて調理したものだ。”あるもん食べといたらいい“というのは不躾すぎやしないかと腹が立つ。本人は倹約からの言葉なんだろうけど、そんなもん自給自足してから言えと思う。

結論、母との共同生活にはチームのような一体感は生まれない。共通の目的や分け合う資本がないだけに、気を使い合ってしまうのは当たり前なのかもしれない。ただお互いが見返りを求めずに好意的に動き生活を守っていた。

家族はチームという考えかた

出産ハイが終わった娘の生後2ヶ月目くらいから、渡英の見通しの立たない暮らしを抜け出したかった。不可抗力にはあらがえないと分かっていながらも、なんとか渡英できないかとずっと焦燥感に駆られる。職場を離れるべきではなかったのか、もし渡英できなかったらワンオペで復職できるものか、、。このまま京都で母のために食事の用意していても、私の暮らしは辻褄が合っていないように思える。もし夫のカードを切るのであれば、子どものものはまだしも、身の回りの生活を支えるための労働を提供してからでないと。かわいい盛りの娘を夫に抱かせることもなく、どんどん知らぬ間に成長していく。夫の帰国までこうしてこの生活に意義を見出せないまま、ただ食べて寝るのを繰り返さないといけないんだろうか…と思うと恐ろしかった。

今こうやって無事に3人での暮らしが叶って嬉しい。もちろん家族だから一緒に暮らせる嬉しさはもちろんあるが、子どもが生まれ、なる予定のなかった専業主婦になってみて”家族はチームだ“とひしひしと感じる。食わしてもらってる、食わしてやってる、みたいな考えに執着するのは時代遅れだ。家族というチームにはいろんなスキルを備えたメンバーがいて、それぞれが長けたスキルを還元しあい、生活というプロジェクトを回していく。できないことをやってもらうことに後めたさを感じる必要もなく、もちろんフリーライドすることは言語道断なんだけど、やってあげてる、やってもらってるという考えがあっては期待以上のパフォーマンスを上げること(より豊かな生活の実現)はできないと思う。これは生計を共にする家族だからこそできることで、言ってしまえば前述の母との共同生活とはまた違うものだなぁと実感した。

私たち3人のメンバーがこの家庭をよりよく、みんなが豊かに暮らせるにはどうしたらいいかを主体的に考え頭と手を動かし、出し惜しみなく自分の能力を発揮することで家族はもっと強くなれるはずだ。経済的な安定を夫が、家庭の秩序と健康を私が、無垢な愛情を娘が担う。いつか夫がビデオ通話越しに『このお金は2人で稼いでいるんだよ』と言ってくれた。家族はチームであることを象徴する言葉だ。それをきちんと言葉で伝えてくれて嬉しいし、自分がこの家族を金銭を稼ぐということ以外で支えているという実感を与えてくれた。

だから今は専業主婦を全うしたいと思っている。食わしてもらってるという何の価値もうまない考え方は捨てて、夫と娘が居心地のいい、より豊かな暮らしができるように働きたい。安い材料でも体に良くて美味しい家庭料理を作るし、2人の健康をいつもきにかけていよう。常に清潔で居心地のいい家であろう。いつかまた復職するその時まで、専業主婦だって立派な仕事だって胸を張れるように、その職責を果たしたい。


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はじめての家族写真Mayfield のラベンダー畑にて

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