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#ネトフリの映画感想『第4回、ブレードランナー・シリーズ〜教養にもなる、文学的映画作品〜』

ビフです。
この記事は、若かりし日のハリソン・フォードが主演した『ブレードランナー』のディレクターズカット版(ブレードランナー ファイナルカット)と続編の『ブレードランナー2049』。そしてYouTubeに投稿されていた続編の前日譚となるショートアニメや実写などのブレードランナー・シリーズをあらかじめ視聴した上で書いています(1500文字程度です)。

なお、ネトフリの映画感想とありますが『ブレードランナー ファイナルカット』については、U-NEXTの無料視聴期間を通して観ました。

オリジナルと2049では、合成人間レプリカントを狩る、同じレプリカントの捜査官がハリソン・フォードからライアン・ゴズリングに代替わりしています。

オリジナルの主演男優、ハリソン・フォードが演じるデッカード。渋いですねー。
続編の主人公で、レプリカントの捜査官(ブレードランナー)、ジョーを演じるライアン・ゴズリングです。

私が生まれた80年代に映画化されたオリジナルは、サスペンス色が強く、アクションの魅せ方が(バレエをイメージした)前衛アートのようでした。反面、続編ではミステリィ色が強く、前作のラストで結ばれたデッカードとレイチェルの二人のレプリカントから子供が生まれる、という奇跡のような話が大筋となっています。

作品の良いところは……
・フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(未読)という文学作品が原作に選ばれ、テーマ性とメッセージ性が深い、ある意味において意識の高い芸術作品のような映画に仕上がっている。

悪いところ……
・魅せばに来るまでの、暗い画面で目が疲れる。
・ヌードシーンがあり、抵抗がある人には辛い。またヌードの女性が殺されるシーンもある。


続編はエイリアン・シリーズでも著名な、リドリー・スコット監督のオリジナル版の良さを傷つけないように、細心の注意を払いながら、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が制作しています。

共通したテーマは、人間以外のヒトと同じ姿をした者同士が育む愛情。

特に続編では、レプリカントのジョーが、ホログラフでできたAIの女性、ジョイを妻のように扱い、触れられない彼女をいたわる姿が、とても甲斐甲斐しくて。

これは単に、AIとレプリカントとの恋愛というよりは、パートナーが肉体的に大きな病になったカップルの愛情にも通じるところがあるでしょう。

ストイックな刑事の主人公という設定も一貫しています。若き日のハリソン・フォード(続編では74歳!)も、ライアン・ゴズリング(主演当時、36歳)も、ともに強靭な肉体をもつタフガイ。彼らは、どこか退廃的な未来のディストピアで、ハードボイルド(感情をおさえた行動的な主人公が、登場する探偵小説の一ジャンル)を演じていました。

この作品自体が文学的であり、たとえば、こちらはオリジナル版でレプリカントの犯行グループのリーダー、ロイが最期に言うセリフを抜粋してみました。

「お前たち人間には、信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇にまたたく閃光。それらすべての瞬間が時の中に消えていく。雨に打たれた涙のように。死の時が来た」

か、かっこいい……!(筆者私見です)。

こんなダンディズム(知識、教養や格調、洗練を求めた“気取り”)にあふれた言葉が、敵の大ボスには似合っていますね。

前作の敵は単なる反抗グループに過ぎませんが、続編の悪役、レプリカント制作会社の社長ウォレスは人でありながら、実験としての殺人もいとわない盲目のマッドサイエンティストです。

また、ウォレスとの決着はついておらず、続編のラストでは傷ついた主人公のジョーが雪の降る階段に倒れて生死不明。

壮年になったハリソン・フォードが演じるデッカードも登場しますが、本筋のひとつ、レプリカントの解放がまだなされておらず、3作目が作られる余地があります。


重厚なテーマ性(人造人間の権利)と深いメッセージ性(ヒトならざる者たちの愛)を描いた本作は、語ろうと思えば、どこまでも語ることができるような、、、そんな奥行きの深い文学的映画作品でした。

画面の暗さや、残酷さに耐えられる人にはぜひ、観ていただき、教養の一部ともなるような作品ですので、役立てて頂けばと思います。

続編2049でジョーの妻、ホログラフAIのジョイを演じるアナ・デ・アルマスさんがじつに美しい!





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