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#66 正解なんかない

あの時何が出来たのか…

物事が上手く進まない事があると、ついそこへ思いを馳せる。今その真っ只中。

難しい現状が目の前にあり、関係者みんなが各々にdestressedな状態。

なんやけども、グルグル考えて着地するのは

過去にも未来にも正解はない
あるのは今

って事

過去や起こった出来事への感情を
手放す事は簡単ではない

特に“自分が取った行動は間違っていない”と感じている時、原因は周囲や相手のせいだという思考に行きがちだ。

(そういう人、ほんま多いな〜って思う。そして外国人と日本人で考えると日本人は圧倒的に原因論思考寄り。が故に外国人と摩擦が起こる事あるなーと思う。正に異文化コミュニケーション)

それでもやっぱり過去にしがみつかず

今何が必要か、何が出来るか、
何が起こっているのか

今のこのひと時

が大事なんやなって思う。

親子間で何かが起こっている場合、
我が子が「今」何を必要としているか、
親としてしっかり観察していくには、親(自分)の心に余白とゆとりと静けさが必要。

私も親だ。
そして先走り、要らん助言をし、寄り添えていない事は多々ある。

昨日の記事に書いた「反応に反応」になれば、その眼差しを持つ事が難しくなる。


その子はただハグが欲しいだけかもしれない
その子はただ一緒に笑いたいだけかもしれない
その子はただ「そうなんだね」って聴いて欲しいだけかもしれない

あの時こうしていれば、、、

そこに正解なんかきっとない。
大人でも親でも失敗、間違い、山程ある。

一人一人が、誰かのせいにする事なく
感謝と配慮と折り合いの気持ちを持ち合わせながら
「今、自分が出来る事」に目を向けていければ、温かい社会と幸せな気持ちは増えるのかなぁと思った。

こうあるべき
こうすべき
普通はこうだ

改めて言葉に表してみると、
正解を求める思考の先に、
私は温かみを感じない。

人と人との関わり合い
人生
歩む道
子育て
教育
留学

正解なんかない

あーーーー
なんか繋がってきた。


正解を求める教育

その環境下で育った私

ちょっと「違う」からという理由の仲間外れ

中学受験の不合格

数的評価への拒否感(そこに自分を置きたくないから避け続けてきた)

海外に出て、正解よりも「あなたはどう思う?」と問われた時の衝撃

自分の意見を言ってもいい事を知り、海外で暮らし、国際結婚をし、出産し、子育てをし、我が子が現地の学校に行く中で、子育てや教育の違いを目の当たりにし、日本の当たり前が崩れた。

違う事が当たり前の世界。
違いを認め合う社会の在り方。

そして留学生のサポートという仕事を通して、
ある意味客観的にその「当たり前が崩壊する(日本のやり方が通用しない)様子」「そこから変わっていく様子」をずっと見てきている。

関わる日本人学生は昔の自分と重なる所がたくさんある。何十年も変わっていない何か。テクノロジーが発達し、英語教育も進化しているのに、変わっていない何か。

それは何なのか

彼等との関わりを通して、人が成長する過程で大切な事を、私の視点で言語化出来るだろうか。

それがしたい

なぜなら私は苦しかった。
正解を求める教育の中で、不合格になった事が。“ちゃんと、きちんと”する事が。”違うから“とX(バツ)される事が。

一歩外出たら、え?オセロ?みたいに
ひっくり返る世界がある。

今もなお、

留学や英語が話せる事に対するゴールが
未来の正解の為というニュアンスは、まだまだある。

正解なんかない。


「どうすれば英語力は伸びますか?」
「どうやって英語の勉強をすればいいですか?」
「どうすれば英語が聞き取れるようになりますか?」
「どうすれば外国人の友達が出来ますか?」

何百回、何百人から聞かれるこの質問
正解を求める質問
未だに来るかー、という失望に近い気持ちを抱く。

正解なんかない。

でもね、

それがどこから来るかが痛い程分かる。
そして、そこに正解がないのも分かる。

自分次第なのだと伝えたい。
そこにどうにか気付いて欲しい。


あかん、泣けてきた。。。

自分次第、答は自分の中にある

このマインドを育むには3つの要素の掛け算だと思っている。

掛け算やから
正解の数字なんか出ないのよ
0にもなれば、100にもなる

もっかい言いまっせ

正解なんかない

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