自分がどうでもよくなると、人生が楽になる
自分がどうでもよくなると、人生が楽になる。
これは僕が最近、よく感じていることだ。
自分がどうでもよくなると、人生が楽になったのだ。
わけがわからないと思う。
僕もそうだ。
言っていてわけがわからないのだが、自分がどうでもよくなると、この絶望の世界が少しだけ楽になるのがわかったのだ。
ということで、これを言語化してみたい。
自分がどうでもよくなると、なぜ人生が楽になるかを改めて、自分なりに言語化してみたいのだ。
自分がどうでもよくなる、とはどうゆうことなのだろうか。
自暴自棄
自分がどうでもよくなる。
という言葉を聞くと、
「あ、こいつ自暴自棄になってるな!」
なんて思うかもしれない。
確かにそうだ。
自分がどうでもよくなる、という言葉にはなにか負の感情がある。
「…あー何もうまくいかない!」
「自分なんてもうどうでもいい…」
自分がどうでもよくなる=人生をぶん投げている絶望野郎
なんてイメージがわいてくる。
しかし、断じて違う。
自分がどうでもよくなるという言葉は僕にとっては、絶望とイコールではない。
命はもっと粗末に扱うべきなのだ
カイジという漫画に出てくるキャラの言葉に、
「命はもっと粗末に扱うべきなのだ」
という言葉がある。
この言葉が端的に、自分なんてどうでもいい、という言葉の真髄を表している言葉だと思う。
死ぬか生きるか問題になる。
漫画なので、のるかそるか、生きるか死ぬか、という極端な問題になっている。
もちろん、僕が今日伝えたい、自分なんてどうでもいい、という言葉には、
『チャンスが掴めないのなら、死んでもやむなし』
なんて意味合いはまったくない。
生死の話ではない。
しかし、この、
「命はもっと粗末に扱うべきだ」
という言葉は、僕が思う、自分なんてどうでもいい、という言葉のニュアンスをうまく表現してくれている言葉で間違いない。
自分のキャラをもっと粗末に扱うべき
なんとなくわかった。
文章を書いているうちに『自分なんてどうでもいい』という言葉の、伝えたいニュアンスがわかった。
自分なんてどうでもいい、には少し言葉が足りない。
『自分なんてどうでもいい』に僕が伝えたい、一言を加えるとこうだ。
『自分のキャラなんてどうでもいい』
これだ。
多分、僕が感じている自分なんてどうでもいい、には、この、
『自分のキャラ』
という一言が足りていなかったようだ。
自分のキャラという、訳の分からない足かせ
自分のキャラにがんじがらめにされている人は多い。
僕もよく、こんな訳の分からない、『自分のキャラ』にがんじがらめにされていた人間だからよくわかる。
いや、今でもそうだ。
僕は今までのクソみたいな、『自分のキャラ』にがんじがらめにされている。
自分は明るい人間ではなく、暗い人間だ
自分は努力が苦手な人間だ…
自分は頭の悪い人間だ…
なんて、僕のなかには、それを思っていても、全く自分の得にならない『自分のキャラ』が存在している。
自分にとって全く得にならない、『自分のキャラ』が存在していることで、僕は何事にも、挑戦ができないでいた。
知らんがな、だ。
自分のキャラなんて、知らんがな、だ。
『自分のキャラ』なんて足かせは、いますぐ捨ててしまえばいい。
言語化できて良かった。
僕は、以前から『自分なんてどうでもいい』と思っていたのだが、今回文章にして、言語化することで納得ができた。
結論はこうだ。
『自分のキャラなんてどうでもいいから、自分がやりたいこと、望むことをやってしまえばいい!』
というオチだ。
よくある自己啓発になってしまったが、まぁそれでもいい。
なぜなら、それも自分だから。
「そんなの自分のキャラじゃない!」なんて思い込みは、ただの足かせだ。
ということで、駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
お疲れ様です。
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