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ショートショート 「道草の証拠」

近所へ使いに出ていた定吉が、そろそろ日も暮れようかという頃になってようやく帰って来た。
帰宅の挨拶もそこそこに台所へ入り、丁稚仲間を相手に軽口を叩いたり、沢庵をつまみ食いしては炊事を担当する下女から嗜められたりしている。
そこへ手代の権助がやって来た。

「おせえじゃねえか定公。どこで道草食ってやがったんだ?」
「人聞きの悪いことを。あっしは決して道草なんぞ…」
「顔見りゃ分かんだよ」
「いくらなんでもそんな訳…」
「あるんだ」
「仰ってることが滅茶苦茶ですよぉ。超能力者じゃあるまいし…。あ!」
「なんでえ。急にでっけえ声出しやがって」
「権助さん。あっしの着物にGPS発信機をお付けになったんでしょ?」
「バカ言え。そんな七面倒臭えことするかってんだ。やい定公」
「なんですか?」
「水瓶を覗いてみろ」
「みずがめ…?」
「そうだ」
「なんでまた?」
「いいから」
「一体なんのためにあっしが水瓶を…。あ、分かった」
「なにが分かった?」
「へへ。その手には乗りませんよ」
「なんの話だ?」
「後ろから後頭部を押さえ付けて、あっしを水んなかへ沈めちまおうって魂胆なんでしょ?」
「はぁあ?」
「あっしを始末して、その代わりにフローレンス・ピューみてえなボインのカワイコちゃんを雇い入れるつもりなんだ。そうだそうだ。そうにちげえねえ」
「…」
「それにしても権助さん。名は体を表すって諺、ありゃまさに真理ですね。権助さんのお名前は権力の権と助平の助って字で出来てるんですから。いやはやご両親の先見の明には頭が下がります」
「この野郎…」
「ええ、ええ。たしかにあっしはイケメンですよ。でもねぇ、あの希臘神話に出て来る野郎みてえな自惚れ屋じゃあねえんです。だから水面を覗いたからといって、うっとりしてそのままドボンなんてことには…」
「おい」
「茶々入れねえで下せえ。あっしの話はまだ終わっちゃ…」
「!إخرس أيها الأحمق!」
「はい…?」
「黙れ小僧、って言ったんだよ! 亜剌比亜語で」
「分かんないですよ」
「バ〜カ」
「…」
「黙って聞いてりゃ言いたい放題抜かしやがって。てめえのどこがイケメンなんだよ? 水瓶を覗いてとくと思い知りやがれってんだ、このニュウドウカジカめ!」
「ニュウドウカジカって…」
「さあ覗け!」
「ヤですよぉ。あっしはまだ死にたく…」
「やれと言ったらやれ!」
「だって…」
「コロスゾ!」
「…」

定吉は背後に人がいないことを確認してから、恐る恐るといった様子で水瓶を覗き込んだ。
すると態度が一変、あっさり観念し、ニッコリ笑って頭を掻くのだった。

「へへ…。バレちゃ仕方がありませんね。ウソをついてごめんなさい」
「ふん。油売ってる暇があったらさっさと裏へ行って薪を割って来い」

定吉は「へえ」と返事をし、着物の袖で口の周りに付いた草を拭った。

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