暇なときには緊張感を、忙しいときには余裕を持つべし(『菜根譚』前集八)
今回取り上げるのは『菜根譚』前集八からの言葉。
暇なときには緊急時への心構えが必要であり、忙しいときにはゆったりと趣味を楽しむような心のゆとりが必要である、という意味。
君子の心のあり方についての言葉です。
つまり、暇だからといって油断してはいけないし、忙しいからといって余裕を無くしてはいけない、ということですね。
『菜根譚』ではこのようなあり方の例を2つ挙げています。
天と地、そして太陽と月です。
天地は広大かつ雄大なので、私たち人間からするといつも同じように見えます。
しかし、一見何も変わらないように見えたとしても、その裏では地球規模の変化がいくつも起こっているのです。
空には多くの気流や物質が存在し、夏から秋にかけては台風も発生します。
大地の下にはプレートが存在し、少しずつ時間をかけて地球の内部に潜り込んでいます。
何もしていないように見えても、実はいつもフル稼働中なのです。
反対に、太陽と月はいつも動き続けています。
朝になったら東から太陽が昇り、夜になると西に沈んでいきます。
すると、太陽の代わりに月の登場です。
月もまた、太陽と同じように動き続け、朝になると沈んでいきます。
一年中、片時も休まずに私たちの周りをぐるぐる回っている太陽と月ですが、その動きは規則的です。
朝には太陽が、夜には月が、それぞれ東から昇り、どちらも西へと沈みます。
常に忙しく動いている太陽と月ですが、どんなときでも自分の規則を守り続けているのです。
つまり、以下ということですね。
天と地:動いていないように見えて、常に動いている
太陽と月:動き続けていても、常に本質は変わらない
これらの自然の動きから、『菜根譚』は君子のあるべき姿を見出したのです。
君子たるもの、天と地のようにどっしり構えつつも、いつでも動けるように心の準備をしておくべし。
君子たるもの、太陽と月のように忙しくしつつも、本質を見失わず、心に余裕を持つべし。
現代においても重要な考え方だなと思います。
今回は、暇だからといって油断してはいけないし、忙しいからといって余裕を無くしてはいけない、という意味合いの言葉をご紹介しました。
『菜根譚』は儒教・仏教・道教の3つの要素が組み合わさってできているのですが、今回の言葉からは、自然を原点とするところに道教の要素を感じますね。
油断はせず、しかし余裕も忘れず、という考え方は、現代の我々にとっても学ぶべきところがあると思います。
私も、忙しくなるとついつい心の余裕を無くしてしまいがちなので、どんなときでも余裕を持つことを忘れずに生きていきたいです。
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