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【短編を制する者は小説を制す】短編で学ぶ小説講座(2014年6月号特集)


短編の書き方の特徴

 短編小説は、400字詰め原稿用紙で言うと、100枚以内の作品になり、文学賞で100枚以内の枚数のものは短編の賞に分類されます。
 もちろん、はっきりした決まりはありませんので、単行本になった短編集の中には150枚ぐらいのものもありますが、短くて10枚、長くて100枚、多くは60~80枚ぐらいという感じでしょうか。5枚、3枚、もっと少なくて300字といった枚数の短編は掌編と呼ばれます。

 100枚の小説は、それだけでは単行本になる枚数ではないという意味では短編に含まれますが、100枚あればそれなりの結構の小説が書けますから、長編小説と変わるところはありません。
 ただ、短編の場合は、枚数の関係で、ワンストーリー、ワンアイデア、あるいは、ある断面しか書けません

 たとえば、小松左京の長編小説『日本沈没』は、「日本が沈没するという話が絶対的な核のアイデアで、日本が沈没するためにはどうしたらいいかという中アイデアがびっしりきて、沈没したらいったい何が起こるかという枝葉がある」(川又千秋先生のインタビューより)のですが、筒井康隆の『日本沈没』のパロディー、『日本以外全部沈没』は短編ですので、「日本以外が全部沈没したら」というワンアイデアで書かれています。

 さらに、もっと短い掌編になると、説明もとにかく短くコンパクトにまとめないといけません。だらだら書いたり、主人公の心の中をごちゃごちゃ書いていると、あっというまに紙幅が尽きてしまいますね。
 しかし、文は短くとも表現効果は落とさず、効率よく表現をしなければいけませんので、そこが難しいところではあります。だからこそ勉強になるのですが。

私小説というリアル

 ここでは、志賀直哉『城の崎にて』、梶井基次郎『冬の蠅』、三浦哲郎『拳銃』、村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』を取り上げます。
 日本文学には、私小説という実体験を書いたジャンルがあります。実体験を書いたのだったらエッセイではないのかと思いそうですが、一から十までノンフィクションではなく、実体験を使って創作したものです。

 読み始めて読者は、「これって実話っぽいな。うん、実話だ。実際にあった話だ」と思いますが、作者としてはしてやったりというところでしょう。
「これから本当にあった話をします。噓ではありません」という書き方をしますが、これはリアリティーを出す手法で、実際にはかなり創作が入っています

 あるいは、世間が勝手に私小説と言っているだけで、実は実体験でもなんでもなく、実体験を装っているだけかもしれません。それは作者でなければ分かりませんが、本来小説は読者を騙してなんぼというものですから、それはOKです。騙すのが作家の仕事です。

 そのようにして実話を書いたり、実話に見せたりするのは、言おうと思えば、たった一言でも言えること、人生観を漏らしたいからでしょう。

 あるとき、病気やケガをして、人生について何か思う。しかし、それだけを唐突に書いて、「人生は○○だ」と言っても説得力がありません。それは名言集などを読んでも、必ずしも感銘を受けないのと同じです。だから、出来事を通じて、あるいは出来事の力を借りて、そのことを言っているわけです。

 さて、次ページで取り上げる短編は四作とも私小説、またはそれに近い書き方をしていて、人称はエッセイと同じ一人称です。エッセイのようなスタイルですから、書くこと自体は難しくなく、書き方を真似ることは簡単だと思います。
 しかし、凝った構成やあざとい仕掛けのようなものはありませんので、それだけに読後に何か深いものを残さないと再読に堪えないところはあります。
 逆を返せば、結末を知ってから再読しても作品の良さは損なわれない。そこが名作たるゆえんです。

城の崎にて:志賀直哉

あらすじ

主人公の「自分」は山の手線の電車に跳ね飛ばされてケガをし、その後養生に、一人で但馬の城の崎温泉に出かける……

短編だから使える効果的な技法を紹介!
特集「短編で学ぶ小説講座」
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※本記事は「公募ガイド2014年6月号」の記事を再掲載したものです。