はじめて愛されて、パニック障害になりました。④

知らない間に体が悲鳴を上げ、無意識に自殺を図るまで、私は私のSOSに気づいてあげられませんでした。


休学前までの苦しかった日々のことは、今でも鮮明に思い出せるのに、その日のことだけはモヤがかかったように記憶が曖昧です。


ただ一つだけわかっていることは、

もう二度と、起きたくない。

死にたいではなく、そう強く強く思ったことです。


これで、きっと悪夢にうなされることもなく眠れる。それがすごくいいアイディアだと心から思った。死にたいとは一ミリも思わずに。目の前にあった薬を意識が遠のくまで飲んだので、何をどのくらい飲んだのかは覚えていません。なのでおそらく、抗不安薬だけでなく、鎮痛剤とか、鼻炎薬とか色々だったんだと思います。もちろん、後遺症も残らず、救急車も呼ばなかったので、きっと大した量ではなかったのだと思います。


ここからさきの記憶はひどく断片的で、気づいたら彼と、共通の友人の二人が部屋にいました。おそらく何か言葉は交わしたのでしょう。ですが、ただふわふわした状態がひどく心地よかったことしか覚えていません。


家に帰って、薬のゴミと死んだように眠る私を見た彼が、あらゆる知り合いに連絡をとったこと。そして、私より先に鬱で休学していた自分の後輩を家に呼んだこと。当時の担当教員にあわてて電話をかけたこと。彼にとって、二度と忘れられない傷を負わせた日になったことを、しばらく経ってから聞くことになりました。


次の日も薬は抜けぬまま、このまま近所の商業ビルから飛び降りようと決意しました。頭はぼーっとしているはずなのにどこか冴えていて、口座のお金をおろして、美味しいものを食べに言って、彼と最後の一日を笑顔で終えるつもりでいたのです。もちろん死のうとしていることは彼には一言も言わずに。最後の一日はとびきり素敵な一日にしようと思っていたのです。


『もう大丈夫だよ。あんな馬鹿げたことはしないから。』

これが、私が彼についた最初で最後の嘘でした。


でも、彼はその日一度も笑ってくれませんでした。



シンデレラストーリーでも、精神疾患の指南書でもない完全ノンフィクションの私の軌跡です。誰のためでもなく、私が忘れないために。それでもその過程で誰かをほんの少しでも勇気づけられたらなと思います。






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