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文章スキルは「読み手の定義」と「他人に伝える」ことの習慣

本記事は、介護記録をはじめとした「文章を書くのが苦手」という人たちを主たる対象にした記事です。

これを読んですぐに文章が書けるようになるわけではありませんが、すくなくとも「なぜ自分は文章を書くのが苦手なのか?」を知るきっかけになれば幸いです。


■ 文章を書くのが苦手問題


「介護記録の書き方が分からない」
「介護記録は何を書けばいいのか分からない」

このような悩みを抱える介護職員は少なくない。
それに対して介護記録の書き方に関する書籍はたくさん出ているし、記録作成のための支援システムも出ている。

しかし、いつまで経っても記録作成における悩みが尽きる気配はない。
それはなぜだろうか?

この手の話になると「文章を書くのが苦手」「文章を書くセンスがないから」といった主張をする介護職員いるが、それは思い違いである。

文章作成は多少の理屈と習練により修得可能な、ただのスキルだ。
また、仕事における文章にセンスなんて不要である。

特に仕事においては正確な情報を書くことが肝心であって、それがないままセンスを見せつけようとしても価値はない。


■ なぜ文章を書くのが苦手なのか?


文章を書くという行為自体、実際のところそこまで構えることはない。しかし、介護職に限らず多くのビジネスパーソンは文章を書くことに対して身構えている。

その理由の1つは、社会人になるまでの間に「文章の書き方」を学んでこなかったことが大きいと思う。

そして、文章を書く以前の話としての「他人に伝える」という機会が少ないことにも由来していると思う。

つまり、「他人に自分の考えを適切に伝える」という機会を意図的に増やして、「文章の書き方」を学ぶことによって、文章を書くことに対してのハードルはぐっと下がるのだ。

このことを知らないまま文章を書こうとするから、何を書けばいいのか分からなくなったり、いざ書いたとしても見栄えの悪さが気になるのだ。


■ 「読み手」と「価値」を定義する


では、「文章の書き方」とは何か? となるが、それこそ「他人に伝える」という話である。

抽象的なので少し具体的にすると、まずやるべきことは・・・

「読み手は誰なのか?」
「読み手にどんな価値をもたらしたいのか?」

・・・を定義することである。

文章を通じて他人に伝えるとは、読み手を定めて、読み手にとってプラスになることまで想定する必要がある。

介護記録に悩む介護職員もそうだが、文章が苦手という人たちの多くは「その文章を誰が読むのか」を考えないまま、言ってしまえば無目的に言われたとおりに書こうとする。

一方、目の前にある文章が「誰が読むのか?」が分かれば、そこから伝えたい情報が見えてくる。逆に言えば、その相手によっては不要な情報も見えてくるということでもある。

例えば、特定の相手を食事に誘うとき、相手を想定すると「〇〇さんは肉が好き」「△△さんは魚は食べないな」と分かっていれば、準備する献立も方向性がつきやすいだろう。

それと同じように、仮に文章に対してのテーマが決まっていたとしても、可能な限り「他人に伝える」ことを前提としたうえで、その読み手を特定しておくことで文章はそこそこ書きやすくなる。


■ 「他人に伝える」という習慣


とは言え、読み手を想定すると急に言われても困るだろう。

それはなぜかと言えば、私たちは日常において伝える相手を想定しないまま、自分の考えや情報を発信しているからである。その1つの表れとして、文章を書くときに手が止まってしまうのだ。

日本には”以心伝心”という言葉があるが、これを誤解してなのか「言わなくてもわかる」「常識だろう」として、コミュニケーションを省略してしまう人が少なくない。

その結果として「他人に伝える」という機会が少なくなってしまう。ときにはそれがトラブルや人間関係の軋轢に発展してしまうこともある。

しかし、海外の方々は随時話し合いをする。それは決してケンカ腰ではなく、テーマが定まっているほどに冷静にお互いの意見に耳を傾け、一方で自分の考えも伝える。

海外では適切なディスカッションの習慣があるからこそ、「他人に伝える」ということの意義が身についている。

「海外の人たちは押しが強い」「自己アピールがスゴイ」と思っている日本人は少なくない。しかし、それは海外の人たちが異常なのではなく、単純に日本人が「他人に伝える」という機会が少ないだけの話である。

また、日本は世界的に見て礼節スキルが高いと言われているが、だからと言って海外の人たちに礼節がないという話ではない。むしろ、傾聴と受容のもとに、相手に配慮した言い回しはどの国でも見られる。

別に日本人のコミュニケーションのあり方を批判しているわけでなく、文章を書くのが苦手という根本の原因として、他人を想定していないことを挙げているだけの話だ。


■ 読み手にアンケートをとる


それでも「読み手が分からない」「読み手を想定することができない」というならば、身近にいる人たちに聞いてみるのも良いだろう。

介護記録で言えば、同じ職場の介護者や管理者に「この介護記録は、誰が読むものですか?」と聞いてみればいい。もちろん、その質問の意図はちゃんと言わないと「?」となってしまうので注意しよう。

そこで「これは利用者やご家族に配布するよ」「事業所のサービス実績として残すから、管理者や請求担当かな?」「次に入るヘルパーも読むよ」「カンファレンスの前に確認するかも」など、色々と出てくるだろう。

すると、その次はピックアップされた読み手に直接聞いてみるのだ。

「この記録の主にどの項目を読みますか?」
「もっとこの情報を書いてほしいなど要望はありますか?」
「ケアの質を上げるために書いたほうが良い情報はありますか?」
「今の記録は情報共有になっていますか?」

などと聞いてみれば良い。最初は相手は悩まれるかもしれない。

本来ならば、このあたりは仕事ならばプロフェッショナルとして相手の期待するものを、仮説したり引き上げたりするべきである。
しかし、アンケートやヒアリングという形をとるのはアリである。これは商品やサービス開発における市場調査とも言える。

文章を書くときに「何を書けばいい」と悩む時間よりは、「何を求めれられているか」を聞いたほうがよほど早い。特に介護職であれば、周囲に聞くことでケアの質を向上できる可能性があるので、どんどん聞いたほうが良いと思う。


――― 定期的に介護記録と文章の書き方をテーマにした記事を投稿している。別にブログに同じ内容の記事を書いてはいけないというルールはないので気にしていない。

それでも、記事にするたびにそのときの自分の考えがアップデートされている実感はある。これもまた、文章を書く訓練になっていると思う。

まあ、冒頭に記事の対象を示してみたが、結局のところは自己満足な内容になっている。

記事を読まれる方を絞って、読まれた方にとってプラスになって欲しい気持ちはあるが、何だかんだ言って、私にとってのブログは自己満足のアウトプットでもある。つまり、私のブログは私自身も読み手であるのだ。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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