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人生の転機に東京から名古屋までの380㎞を8日間かけて走り切った話-最終話「未来につながる380㎞編」

この記事は、海外駐在から帰国したのち会社を退職した私が、新しい人生のスタートの門出を祝して、東京・名古屋間をランニングで走り切った記録です。

前回(第2話)では、箱根湯本から藤枝駅までの間(3~4日目の114.3㎞)に起きた試練について綴った。
(※以下が第2話です。)

今回(第3話)では、8日間にわたる旅が完結。第5日~最終日(静岡県藤枝~名古屋駅の138㎞)の模様をお伝えします。


静岡名物の絶景に癒される(5日目:藤枝~7日目:三河安城/ 134.5km)

5日目、朝は昨夜からの雨が続いていたので、ホテルにとどまっていた。

雨が止むのを待つ間、テレビでマラソンのパリ五輪選考レースを見ていた。レースの舞台となった東京はザーザー降りに見えたが、こちらはシトシトという感じ。10時頃から雨が止み、昼前には掛川駅に向け出発することができた。

この日は、スタート以来一番の快晴だった。雨上がり独特の蒸し暑さと路面からの照り返しに晒されながら、西へ進む。

15㎞地点でトラブルが発生した。国号1号の小夜の中山トンネルを通過したあと、歩道がなくなっていたのだ。googleマップのストリートビュー上では通れなくもなさそうだが、交通量が多いため、これでは引き返すほかない。

トンネルの脇道を進むと、掛川名物の茶畑が並んでいた。緩やかな斜面に沿って太陽の光をいっぱいに受けて輝く茶畑の間を縫って走る。想定外の上り坂は身体にこたえたものの、見渡す限りに広がる茶畑は美しかった。

(眼前に広がる茶畑からマイナスイオンをもらって走る)

この日は日が出ているうちに、30.1kmを走り、無事掛川駅にゴールした。

(※5日目の走行データです。)

翌6日目のコースは、掛川駅から浜名湖岸と愛知県との県境にある湖西市までの49.5km。浜名湖までは東海道新幹線と在来線に沿って走る。

何度新幹線に追い抜かされたことか、数えるのが嫌になってくる。「いっそこの新幹線に乗れば東京に戻れるのに」などと考えてしまう。

加えて、連日の疲労からか、夜早くベッドに入っても、日に日に体力ゲージの最大値が減っていくのが分かる。これまで、青信号が変わりそうになればダッシュしていたところを、昨日からは早々に諦めて足を休めるようになった。

そんな静かに沈みゆく私の気分を支えてくれたのが、辺り一面に広がる稲田だった。

農地では所々で刈られた稲の束が干されていて、雲一つない秋空の下で地面には黄金色が広がっていた。その間に、コンクリートの道がまっすぐ伸びる。南アフリカ生活時は田んぼを見ることが無かったので、久々に「これぞ日本の原風景!」といった雰囲気を味わうことができた。

(天日干しされた稲を見ながら走る)

12時過ぎに浜松駅に到着。昼食にうなぎのひつまぶしをいただいてエネルギーをチャージした。googleマップ上は名古屋駅まで106㎞。ゴールが近づいてきた。

ザックの肩ひもがわきの下に食い込んで痛む、という新たな不安を抱えながらも、日没前にはゴールの鷲津駅に到着した。

(※6日目の走行データです。)

そして、7日目はスタートして1時間後に、愛知県豊橋市に入った。4日前に箱根峠から三島に入ったことを考えると、十分すぎるほど静岡を満喫できたのではないかと思う。

(鷲津駅周辺から望む浜名湖)

さて今回、名古屋をゴールにした理由は、コースの難易度が低いこと以外にもう一つある。それは「名古屋名物・シロノワールを味わう」という目的を掲げていたからだ。

(コメダ珈琲に行ったことがなかった私は、この時シロノワールは名古屋にしかないと勘違いしていた。)

愛知県に入ってからというもの、甘いものに目がない私は、このスイーツの名前を何度となく唱えた。私とすれ違った通行人から、不審者と思われたに違いない。とにかく、この魔法の呪文に救われ、無事三河安城駅までの54.9㎞を乗り切ることができた。

(安城のソウルフード「北京飯」)

(※7日目の走行データです。)

380㎞にわたる旅路は将来に繋がる道(8日目:三河安城~名古屋/ 33.5km)

いよいよ最終日の8日目。ゴールまであと30㎞と迫る中、最後の力をふり絞りながら前進した。

気持ちがはやるあまり、最初の5㎞でぺースが上がってしまい、その後の住宅街の地味なアップダウンに最後までメンタルを削られ続けた。

無事コメダ珈琲本店で食したシロノワールに加え、昭和20年創業という老舗のとんかつレストラン「気晴亭」で「しゃちほこ丼」を堪能。ボリューム満点のソウルフードを出す名古屋人の気前の良さに、心身を満たされた。

(味噌カツの両サイドにエビフライが突き刺さっている「しゃちほこ丼」は名古屋城の天守閣を思わせる)

ずしりともたれた胃をさすりながら、ゆっくりと駅に近づく。次第に道路が広くなっていくところが、いかにも名古屋に来たという感じがした。片側5車線とは、さすがトヨタのおひざ元だ。

ゴールまであと1km強。名古屋駅前の桜通に並ぶビル群が、強い日差しを遮って影をつくる。その様は、スタート直後の東京駅周辺を思い起こさせた。足を進めるほど、駅の真上にそびえたつJRセントラルタワーズが大きくなり、身体の中から自然と力が生まれてくる。

午後3時、ついにたどり着いた。名古屋駅桜通口に。

出口前の交差点は、ベビーカーを押す母親、銀行から出てくるお年寄りやスーツケースを引いて歩くビジネスマンなど、東海地方の中心地らしく多くの人々で賑わっていた。
行き交う人々の中、私は人目をはばからず両膝に手をついて、肩で息をしながら過去のことを思い返した。

(名古屋駅)

最後に名古屋駅に来たのは、6年以上も前のことだ。この時私は出張中で、目の前を慌ただしく通り過ぎるサラリーマンと同じようにスーツを身に纏っていた。

もし過去にタイプスリップできたとして、当時の何者でもなかった自分に「将来、オマエは南アフリカに生活の場を移したのちに、会社を辞め、東京から走ってここに来ることになる」と言ったところで、あの時の自分は絶対に信じてくれないだろう。

この6年の間に予期せぬことが起き、本当に様々な経験ができたものだと改めて実感した。

ボロボロになりながらのゴール。膝は棒のように固まってしまい、足首も動かなくなってしまった。両脚のふくらはぎも、いまにも破裂せんとばかりにパンパンだった。

「やり切った」

朦朧とする頭の中で、ひたすらこの言葉を繰り返した。

そして、新居への引っ越しを控えていた私は、その日の夕方、新幹線で東京に帰った。

(なんだかんだで新幹線から見た富士山が一番きれいだった)

新幹線の車中、この8日間を振り返って、一つ”学び”があったことに気づいた。それは、事前に結果が予期できないことは、とにかくやってみたほうがいいということだ。

走る前は、フルマラソンの距離を1週間走り続けるなんてことができるのか不安だった。その上、周囲からも、今回の挑戦を思い直すよう「ご高説を賜った」ことが、不安を助長させ、私の精神状態は猛烈な勢いで揺らいでいった。

しかし、いざ走ってみると、そのような心配は霧が晴れるかのように消えていった。ありきたりな表現だが、「結局は何事もやってみなければ分からないのだ」と痛感した。

そのように考えると、今までの成り行き任せだった人生も、意味ある挑戦の連続であるかのように感じられた。そして、今後飛び込むライターという新しい分野においても、ランニングのようにコツコツと努力を積み重ねていけば、予期せぬ道に遭遇できるのではないか、という淡い期待が湧いてきた。

東京駅では、妻がグランスタで私を待っていてくれた。彼女は私を見るなり、「よく頑張ったね。お疲れ様」といつもの柔らかな笑顔を向けてくれた。この労いの言葉が、これまで漠然としか感じられなかった達成感という感情に、確かな輪郭を与えてくれた。

これにて合計走行距離379.2km・走行時間46時間10分、8日間にも及んだ旅は幕を閉じた。

(完)

(※8日目の走行データです。)

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