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水上人形劇のお土産 第622話・10.6

「何見ているの?」「5年前の写真だよ」顔をの表情を緩ませている文彦は、3年前に結婚した妻・早紀と独身時代に行った海外旅行の写真を懐かしそうに眺めた。「ああ、ベトナムのね!」いつの間にか早紀は、文彦の隣にいて彼の肩に両手を置きながら、懐かしい写真を一緒に眺める。そして5年前の記憶を思い起こされた。

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「本当にいい雰囲気の湖だね。早紀ちゃんハノイまで来てよかったよ」文彦は、早紀とハノイの真ん中にる夜のホアンキエム湖を散策した。
ふたりは、遠距離恋愛中。半年ぶりにリアルで出会うことになったが、それなら海外に行こうとベトナムに来た。
 この当時、早紀がベトナム雑貨にはまっていたこともあり、その希望に文彦が答えた形。
「でも文彦君、良かったでしょう。ベトナムのことすごく不安がってたけど、喜んでくれてよかったわ」
「ああ、早紀ちゃんの希望だから。でもベトナムってバイクが多いねえ。それからえっとドンっていうの? このお金の単位が異常に大きいからちょっと混乱しているんだ」

戸惑う表情をする文彦の手を握る早紀。「そうね。バイクの数も異常だけど、お金も1万ドンという単位が、実は50円だってね。でも、急に大金持ちになった気分。それからね、私どうしても見たいものがこの町にあったから、文彦君に無理行っちゃった。ごめんね」

「ああ、いいよそれは。昼間は暑いけどこうやって夜になれば、涼しい風が吹いて気持ちいいよ。本当に町中にある湖って散歩には良い雰囲気だし。そんなことよりさ。早紀ちゃんと会えたし。で、その行きたいところとは、この湖のことか?」
 しかし、早紀は軽く首を横に振った。

「ちがうの。ここも素敵だけど、実はこの後行くところなの。それは水上人形劇」「水上人形劇?」文彦は旅の行程を先にすべて任せているので、この時まで水上人形劇のことを知らない。早紀は行ったはずだが、文彦の意識の中に入っていなかった。

「それは水の上で人形劇をするのか? この湖でとか」
「湖ではなくて、湖のほとりにある劇場だけど、実際に水の上で行われるらしいわよ」
「へえ、でも大丈夫かな。実は人形ってなんとなく苦手なんだ。人形の中には魂が宿っているとか聞いたことあるし、なんとなく不気味じゃないかな」しかし、真顔になっている文彦のこの一言に思わず声を出して笑う早紀。

「アハッハハ! 文彦君って相変わらず怖がりね。でも、大丈夫よ。だってさっき土産物屋で買ったのあったでしょう。あれ人形劇の人形よ」
「え、これが?」と文彦は、先ほど湖の近くにある土産物店で購入した袋の中身を確認した。あ、このどこか憎めない表情をした置物......。 一目で気に入って購入した。これが、水上人形劇の人形か」
「そう、それは天女だったかな。私ここにくるまでに慌てて水上人形劇のこと調べただけだから間違っていたらごめんね」
「いや、早紀ちゃん、ありがとう。なんとなく穏やかな表情だなあ。こんな人形の芝居なら、恐くはなさそうだ」

こうして、ふたりは水上人形劇の劇場の中に入った。

「やっぱり観光客の姿が多いな」
「もともとこの人形劇は、ハノイ近郊の紅河デルタ地帯の村々で行われていた物らしいけど、ここは観光客向けに作った劇場だから仕方ないわよ」早紀は見たいものと言うこともあり念入りに調べていたようだ。
「あと、動画でも確認したけど、結構水上人形劇の動きは躍動的で素敵だったわ。だから生で見られるのが楽しみ」と、言い終えると早紀は文彦に体を寄せてくる。文彦は先から伝わる体温を心地よく感じていた。

 やがて、明るかった劇場内が暗くなったかと思うと、ベトナムの伝統的な民族音楽の演奏が始まる。目の前の舞台から人形たちの姿が現れた。水上人形劇は、淡々と演目が進んでいく。ひとつの品目は数分単位で終わる。こうして10ほどの短い演目が連続して続くのだ。
 ひとつひとつに具体的な説明があるわけでもないが、毎回明らかに違う展開。水上で舞う人形たちもいつも違うから、それぞれの演目で内容が変わるのは、言葉やこの国の文化のことを知らない文彦でも一目でわかった。

 文彦は、繰り返される人形劇の動きを、最初は物珍しそうにみていたが、徐々に飽きてきた。「ふぁあ、だんだん飽きてきたな。こんなもの見たかったのか」とあくびをしながら眺めていた。
 ところが終盤のあるシーンのとき、不思議なことが起こる。人形劇のある人形と目があったのかと思うと、突然脳裏に声が聞こえた。

「聞こえていますか?」
 文彦は最初、気のせいではと思って、声を無視していたが、同じ言葉が繰り返えされ、徐々にその声が大きくなってきているような気がする。
 気持ち悪くなった文彦は意図的にその人形を見ないようにしたが、人形はずっと文彦を見ているような、視線を感じた。同じ声が連続して聞こえることに何か不安な気持ちがつのってくる。
 しかし正面では水上人形劇の人形たちが、民俗音楽をバックに黒子として操作している人間の意向どおりに動いているだけであった。この人形たちは後でわかったが、天女の舞というものらしく、数体の天女が羽根? 羽衣?? のような物が付いた両腕をパタパタと動かしながら踊っているだけである。

 だが右から2番目の人形だけはやはり文彦の方を見ていた。そう見えるのではない。明らかに文彦を見ている。そして何か話しをしたいような表情で目が合ってしまう。
 文彦は目をそらすが、頭の中に繰り返される言葉にもはや無視できる状況ではなかった。

 文彦は声に出さず、頭の中の声に答えた。「き・聞こえています。あなたは一体誰?」するとようやく違う言葉が頭の中に入る「ようやく聞こえたようですね。わたしは、今演じている天女のひとり。あなたからみて右から二番目の人形。わかりますか?」
 文彦はあらためてその人形に視線を送った。やはりその人形だけは文彦に目を合わせていて、頭から聞こえる声と一致する。

 文彦は、目の前の人形からの問いかけに戸惑いの色は隠せない。だが避けたくても避けられない。仕方なく人形とのコンタクトを続けた。「はい、わかります。しかし、なぜ僕に話しかけたのですか?」
 文彦の言葉ににすぐに反応するかのように声が続く。「実は、あなたが土産物屋で買った人形は、私の娘です。細かいことは申し上げられませんが、娘はこの舞台に上がること無く、外で売られることになりました。これは私たち人形界に生きる者にとっては致し方ないこと」

「あの人形は、あなたの娘さんだったのですね」文彦は土産物として購入した人形が入っている紙袋の方に視線を置く。
「そうです。人間のみなさんは信じないかもしれませんが、私たち人形の世界でも意識はあります。しかし自力で動けず、こうして人間によって体が動かされているだけ。でも人間の皆さんとはその気になれば、テレパシーで意思疎通はできるのです。でも本来は人形を操作する人だけにしか、こんなコンタクトはとりません。そしてこれはお互いの秘めごと。
 でも娘が土産物屋で売られることになり、どうやら日本人であるあなたが引き取ったと、娘からテレパシーでその情報を知りました。そしてそのあなたが今回の舞台を見に来ることも。だから娘のことが心配になり、どうしてもあなたとコンタクトをとりたかったのです」

 人形が文彦に話しかけてきた意図が分かり、文彦は何度もうなづく。「わかりました。ぼくたち人間は、人形にそんな感情やテレパシーのような能力があるとは思っていません。でもこうしてあなたの話を聞くことが出来ました。あなたの娘さんを結果的に引きとることになりましたが、ご安心下さい。この娘さんを日本に持ち帰ったとしても、必ず大切にします」
 文彦が言葉を発したが、人形からは答えはなかった。しかし右から2番目の人形は、それまでの表情とは違い、笑顔を見せ、かつ一瞬頭を下げているかのように文彦は見えたのだ。

 それから30秒もたたないうちに、この演目は終了し、人形たちは舞台から去って行った。

 この後も演目が続いたが、文彦は今の不可思議な出来事のことで頭がいっぱい。気が付いたときにはすべてが終わっていた。ちょうど最後に人形師が出てきて挨拶をする。
会場は拍手喝さいの音が鳴り響いた。
「文彦君、どうだった」とは、隣にいた早紀が声をかける。

「え、あ、ああ良かったよ。良い経験ができた。早紀ちゃんありがとう」
 それを聞いた早紀は安心した表情で「よかった。私の楽しみに突き合せちゃったから、正直どうなのかなと思って。私は天女の舞が可愛かったわ。文彦君は?」と言うとうれしそうに、席を立ちあがる。
「ああ、そ・そう天女ね。同じだよ、例えばあんな娘とか欲しいとか思った」とつぶやきながら文彦も席を立つと、横にいた早紀は、顔を赤らめて文彦にしがみついた。

 こうして劇場を後にした。「ちょっと見学してもいい」と、文彦が返事をするまでもなく、早紀は劇場近くのお店の中に入っていく。残された文彦は、後の劇場を見ながら、先ほどの袋の中に入っている人形を見た。
「お前の母さんが心配していたよ。でも俺は日本に帰っても君を大切にするから安心していいよ」と頭の中で人形に向かって語りかける。人形は反応があったかどうかわからない。でも文彦にはその人形が安堵の表情を浮かべているような気がしてならなかった。

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「そう、君と出会って5年。人形だから変わらないけど、成長したのかなあ」いつしか文彦は立ち上がって、部屋に飾っている人形を眺める。人形の表情は全く変わらない。でも彼の心の中では変わっている気がした。「どうしたの? ああ、あのときのお土産ね」何も知らない早紀は後ろから人形を見てほほ笑んだ。



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シリーズ 日々掌編短編小説 622/1000

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