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狂った人? 第768話・3.2

「おいあれを見ろ!」ひとりの男が叫んだ。ここは船の上。100人くらいの人が乗っている遊覧船の中である。みんな思い思いに船からの風景を見て楽しんでいたので、最初は男の叫びについても、テンションの高い人がいるくらいにしか思わなかった。
 だが「逃げろ。あれは危険だ!!」とさらなる大声を出したものですから、さすがにみんなが男の声の方に向く。男の顔色は顔面蒼白で、おびえた目をしている。さらに口元が小刻みに震えていた。それが男が腕を伸ばし、さらにその先人差し指も先までが小刻みに震えている。
「いったい何が?」みんな男の方を見るが、どこにでもありそうな島で、驚くようなものはない。ただ雲ひとつない快晴の空。そこからはまばゆいばかりの太陽が見えるくらいだ。

「ああああ、だめだ、みんな、こ、殺される!」男は三度目の叫び。本当に何かにおびえているために、みんなも驚いた。「だれか、スタッフを」男がおびえている理由はわからないが、これはただ事ではないと思った乗客が、船のスタッフを呼びに行く。
「だ、大丈夫ですか?」別の乗客が男に話しかける。男は聞こえていないのか、その声に反応しない。ただ一呼吸を置くと「ああ、だ、だめだ、逃げろ、いや逃げても無駄か。みんな殺される!」と叫んだ。
「これは病院に運んだ方が」明らかに精神的な問題を抱えているように見えたのか、別の乗客がそのように声を出す。すると「お、お前こそ!何を言っている。俺は、まだ死にたくない。死にたくない!」と喚き散らした。
 ようやくスタッフが数名、男の前に来ると「お、落ち着いてください。みんなびっくりしています。さ、こちらへ」と男を呼びよせるが、男は首を横に振り「き、貴様!俺を殺しに来たな」というと、身構えて戦うそぶりをする。「だめだ、完全に頭がいかれているぜ」様子を見ていた別の乗客はつぶやく。スタッフのひとりは、その乗客に「いま、救命艇を呼びました。まもなくこの船に近づきます。後しばらくお待ちください」と冷静によびかける。その後「皆さん申し訳ございません。まもなく解決します!」と大声を出した。

「解決だと、な。何が、嘘をつけ!」今度、男はスタッフに絡みだした。スタッフは男から危害が加えられるおそれがあるため、ある程度の間合いを取り、他の乗客との間に入る。
「お前たちの好きなようにはさせぬ。みんな、海に飛び込め、そうすればまだ助かる可能性があるかもしれん。このままでは全滅だ!」男はスタッフをまるで殺人鬼のように見ているらしい。他の乗客に飛び込んで逃げるように促すが、男のいうことを、まともに聴く者は誰もいない。

「おれが、おとりになる。早く逃げろ!」男はなおも叫んだ。スタッフは視線だけは男にぶつけながらも慎重に間合いを取る。「俺を消し去る気か、そうはさせん」男は戦う気満々だ。やがて遠くからジェットエンジンをふかせた船が近づいてきた。スタッフが呼んだ救命艇である。
「こ、この人です!」ひとりのスタッフが男を指さす。「う、ぎゃああ」それを見た男は声を荒げると、指をさしたスタッフに向かってきた。「あ、ああああ」スタッフは男の狂気に満ちた表情を前におびえだす。男はスタッフに近づいた。他のスタッフは手が出せない。ここで、救命艇から武装した警官が船の中に入ってきた。「とまれ!」男に対して大声を出す武装警官。男はスタッフにとびかかる直前だが、立ち止まると、今度は武装警官の方に向いた。「おのれ、お前たちが、手遅れだ!」男は武装警官にとびかかろうとする。「に、逃げろ!早く、早く海に飛び込め!」男はなおも叫んだが、ここで武装警官は男に銃を向けると、そのまま一発発砲した。「がああ!」男に弾丸が命中したのか、その場で倒れこんだ。それを見た乗客は恐ろしくなり顔色が変わった。

「さ、片付きました。遺体を海に」武装警官に言われると船のスタッフが3人がかりで倒れた男を抱きかかえる。そのまま海に投げ落とした。「そ、それは!いくら何でもひどすぎますよ」乗客のひとりが声を出す。すると武装警官はその乗客に銃を向けた。

「そこまでだな。俺たちはこの海域を支配する海賊だ、今からお前たち全員を拉致し、我が拠点に人質として連れて行く。良いな」銃を構える武装軍団。そして船のスタッフ全員も仲間のようで、態度が豹変。不気味な笑みを浮かべている。
 ここでその場にいた乗客全員が顔色が変わった。そして全身から震えが出ている先ほど打たれた男同様に。
 こうして船は、武装軍団が乗っていたジェット船とともに進路を変えて、最初に男が指をさした島のほうに連れ去られてしまった。

ーーーーーー
「よかった。飛び込んで正解だったなあ」連れ去られた船を少し離れたところから見ていたのは、手漕ぎボートに乗っているふたり。そのうちの背の高い方が、声をだす。泳いで逃げたので、全身がびしょぬれだが、生き延びれたと安どの表情を浮かべている。実は男が撃たれる直前に、海に飛び込んでいたのだ。「最初はあの客が狂ったとばかりに思っていただろ」背の高い方の問いに、ようやく口を開いたのは、やはり全身びしょ濡れである背の低い方。「おう、当然だ。だけどうまく逃げられた。で、お前なぜわかったんだ」
「ふっ」背の高い方は軽く笑った。「なんだろう、直感かな。武装船が来たとき、男はスタッフのひとりにむかっていっただろう。あのときに『この人は狂っていない』って思ったんだ。あとスタッフがおびえているように見えたが、あれもどうも嘘くさく感じてな」「で、間一髪飛び込んだ。でもこの船良く見つけたな」

背の高い方は自慢げに胸を張ると、「そのとき、ちょうどこの小船が目に入ったんだ。誰も乗っていないこのボートをな。それで決断した。それにお前だけが気付いたとはな」「俺も何となくだ。あとみんな拉致されてどうなるんだろう」

「俺たちにはわからない。殺されるのかな。でもこの船オールも何もないから手でやるしかないが、とりあえず港に戻ろう」ふたりは無事に逃げたが、これからが本当の試練であることに気づいていなかった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 768/1000

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