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【心得帖SS】「自転車」は好きですか?

「よし、準備OK」
動き易い服装に着替えた藤阪綾音は、髪をひとつに纏めるとリビングに足を向けた。
壁際のスタンドには、朱いミニベロがちょこんと立て掛けられている。

(このコにはちょっと引くくらいの投資をしちゃったけれど、その分思い切り楽しまなきゃね)

グローブを付けてデイパックを背負った彼女は、ゆっくりとミニベロを押してマンションのエレベーターに向かった。


「お早う、沙織」
1階に降りた綾音は、玄関を出たところで待っていた西木津沙織に声を掛けた。
「おはよう綾音。それが噂のベロちゃん?可愛いね〜」
「うわっ、ネーミングセンス皆無」
「むっ、本当のお名前は?」
「赤に因んで、【幸村サマ2号】が最有力ね」
「はいベロちゃんにしましょうね〜」
実は歴女である綾音も、沙織と似たようなネーミングセンスであった。

「沙織の自転車はとてもカッコいいね」
マンションのロータリーに立て掛けてあった漆黒のクロスバイクを見て、綾音が感想を述べた。
「パパが乗らなくなったので私が貰ったんだ。クロちゃんは長距離も快適だよー」
「チョイ乗りでも使い勝手良さそうね」
「それではそろそろ出発しましょうか?」
「うん、デイキャンプ場へGO!」


綾音達同期入社のメンバーはとても仲が良く、休日は定期的にみんなで出掛けていたが、手ぶらで利用出来る日帰りキャンプの魅力に気が付いてから、海浜公園添いのデイキャンプ場が活動の拠点になりつつあった。
前回ふと、これって家から自転車で行けるんじゃないかな?と気付いた綾音と沙織は、2人で示し合わせて次回は愛車での参加を決めていたのだった。

河川敷沿いのサイクリングロードを、2台の自転車が軽快に走っていく。
(少し日差しがキツいけど、風は気持ちいいわね)
鼻歌を唄いながら先行する沙織の背中を眺めながら、綾音は変速ギアを1段上げた。
「むっ、綾音さてはベロちゃん相当弄ってるわね?」
「そうね、ひと通りの軽量化とギア比の適正化はやってるわよ」
「…ガチ勢乙」
綾音の不敵な笑みを確認した沙織は、即座にギアをアップさせて勢い良くペダルを踏み込んだ。


「君ら、何やってるん?」
肩で息をしている綾音と沙織を見て、同じく今年度入社の塚口雄太が呆れ顔で尋ねる。
「ちょっと…ムキになってしまって…」
「ははっ、BBQの体力は残しといてや」
関西出身の雄太は派手なアロハシャツをはためかせて木炭の入った箱を担いでいった。
「…少し休んだら…手伝おうね」
「…わ、わかった…」


「いやー、ホンマにチャリで来るとは思わんかったわ」
缶ビールを片手に肉を焼いている雄太が豪快に笑って言った。
「しかも2人で競争したんでしょ?面白すぎ」
同じく同期の北詰奏がトングで器用に野菜を避難させながら話を続ける。
「で、どっちが勝ったの?」
モグモグと口を動かしながら、川西トオルが尋ねる。
「わたし」
「私よ」
「はいはい同着ね」
状況を察したトオルは両手を上げて話を纏めた。

「しかし、あれやな」
〆の焼き蕎麦を鉄板に広げながら、雄太が言った。
「チャリで自転車って言うん、もっと通じへんと思ってたわ」
「ああ、チャリンコは全国で結構通じるからね」
「あ、ウチのお祖母ちゃんは【ケッタマシーン】って言ってた!」
「補助輪は【コマ】やろ?」
「え?【輪っか付き】じゃないの?」
出身地が5人ともバラバラなので、毎回方言トークで盛り上がっていた。


「そろそろウチらも担当を持って仕事やなぁ」
半年間のOJT研修期間も終盤に近づき、来月からは正式に担当を持って業務を行うことになっている。
「忙しくなったら、同期でなかなか集まれなくなるのかな?」
少し寂しそうに話す奏を見て、綾音はニコッと笑って言った。
「大丈夫よ奏ちゃん。集まりたいときに気兼ねなく集まれるのが同期だって、先輩が言ってたからね」

隣課の四条畷紗季先輩と総務部の星田敬子先輩は、傍目に見ていると色々と捗ってしまうくらいにとても仲が良い。
あと、上司の寝屋川慎司課長と隣課の京田辺一登課長も同期のようで、たまに終業のチャイムが鳴ると2人で繁華街に消えていく姿を見かけている。


「また集まろうね。この5人で」
「それ何かのフラグみたいで嫌だなぁ」
「さあ片付けはじめるよぉ」
「食べ飲み足りへんヤツは俺ん家集合やで」
「それ、俺しか行かないパターンだな」

後に●●会社の中枢で大いに活躍する(予定の)5人は、其々の新たなステージに向かって歩き始めていた。

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