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正義感に注意

正義のヒーロー

「正義感」

耳障りのいい言葉で無条件に肯定されがちです。

映画や漫画で、
正義の主人公が悪の敵を滅ぼす話は数多く存在し人気を博しています。

その中には子供向けの物も多いです。

しかし、その大人気コンテンツ「正義」には、
次元上昇している私たちの進歩を妨げる危険性があります。

今回は正義の危険性と、正義の取り扱いについて考えてみます。


正義の敵は他の正義


正義が存在するためには悪が必要になります。

正義と悪が単独で存在することはあり得ません。
それらは相対的なもので、
光と影のような関係だからです。

勧善懲悪
(善良な人や善良な行いを奨励して、悪者や悪い行いを懲こらしめること)

が行われる際には、

何が正義で何が悪か決める必要があります。

そしてその決定は、すべての人に納得いく形で成されるものではありません。

誰か(A)の正義は、必ず他の誰か(B)にとっての悪になるのです。

ということは、そのBの正義はAの正義をくじきBの正義を貫くことです。

これが世界から争いが終わらないカラクリを示唆しています。

正義の敵が絶対的な悪ならば、悪を滅ぼせば争いは終わるのですが、
他の正義なのですから争いは無限に起こります。


自分が悪だと認識している相手には、
相手なりの正義があり、

それを互いにぶつけ合う位置で物事を見ていれば、
一時的に相手を屈服させることができたとしても、
また次の争いがやがてやってきます。

争いの連鎖を抜けたいのなら、
正義と悪という二元論の次元より高い位置から物事を見る必要があります。

つまり、
絶対的な正義と悪はない。
それぞれの世界によって物事の意味合いは変わる。

互いの価値観を尊重して、
互いの理想の世界が調和する形を対話によって実現していくことが重要。

ということです。

おそらく当たり前の結論だと感じることでしょうが、
言うは易し行うは難しです。

恐れに満ちた世界で、
先に武器を置くことは簡単ではありません。

正義と悪を超えるためには、
一人一人が恐れを手放す必要があるのでしょう。

合法的に人をたたく


正義VS他の正義は、
自分の集団を守りたいという欲からくる感情なので、
対話によっての解決もそう遠くない気がします。

どちらも目指すものは、
幸せに生きることだからです。

広い視野を持ち、
両方の集団が幸せである選択肢を見つけることができたなら、
特に自分の正義にこだわる必要は無くなります。


それに対して、
攻撃衝動を発散する免罪符としての正義もあります。

スキャンダルを起こした芸能人などに対してSNSで過剰にたたくことが昨今話題になります。

これは人をたたきたいという攻撃性のはけ口に、正義を持ち出しているにすぎません。

通常、
社会的な動物である人間は、攻撃性を前面に出すと群れから省かれてしまうので、他者に思いやりをもって接します。

しかし、
満たされていないと感じる人は、
満たされていないフィールドに他者を引きずり込もうとしてしまいます。

その結果、
自分が被害を受けていなくても、
社会的に悪とされる人が出現したとたん、
チャンスとばかりに群がります。

大勢の人にとって悪と認識されている人をたたくことは、
集団から排除される危険性が少ないです。

そのため普段隠していた攻撃性をここぞとばかりに発散できる場なのです。

魔女狩り、
コロナ警察、マスク警察

など、
叩いても自分が攻撃されない対象を見つけると、
正義感を振りかざしてしまう人というのが存在するのです。


確かに、
その時に周囲と違う行動をとり、
集団を危険にさらしてしまう可能性がある人に対して、
何らかの行動を起こす必要がある場面もあるのかもしれません。

しかし、
その場合の選択肢は攻撃が適切なのでしょうか。

行動を提案する。
通じなければ距離を置く。

実際に必要な選択はこのようなものです。


正義を免罪符にして人をたたく行為について、
私たちは考える必要があります。

それが自分にとってふさわしい行いか。

人をたたきたくなる時、
自分が満たされていないからです。

自分が満たされていれば、
他者に対して慈しみをもって接することができ、
そのほうが結果的に他者の心を動かし、行動を変えることができます。


正義感で誰かを攻撃したくなった時は、

自分疲れているな。

と我に返り、休みましょう。

本心から人を攻撃したい人はほとんどいません。
ただ一瞬調子が悪くなってしまっただけです。


まとめると、
正義感が芽生えたとき、
視野が狭くなっているのでリラックスして、
大局的に物事を見ましょう。

正義や悪といった二元的な物事の見方では問題を解決することは難しいでしょう。

これからの時代は、
二元の生み出す境界はあいまいなものになっていきます。

それだけ人々がそれぞれで感じ考えることができるくらいにエネルギーが増しているのです。

自分の内なるエネルギーの上昇を解放し、
二元論を超えて互いを尊重しより良い世界を築いていきましょう。







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