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九:『忠告する者』

 時刻は16:30過ぎ。高校時代にはいくつかの文化部を掛け持ちしていた。演劇部とか、美術部だとか。ほとんど顔を出してはいなかったけれど。だからといってすぐに帰宅はせず、空き教室で創作の時間に費やしたり、図書室で資料集めなどをしていたものだから、帰る時間は18時過ぎくらいだった気がする。いや、もうだいぶ昔のことだから、記憶違いかもしれない。
 いわゆる『帰宅部』だったとしたら、このくらいの時間に帰れたのだなあと、店に入ってきた女子高生二人を見て考える。彼女達は制服を着ているし、下校途中に寄っているのだろう。
「いらっしゃいませ。二名様でしょうか」
「はい」二人のうち、茶髪にポニーテールをした子が答えた。「二人です」
「それでは、お好きな『札のない席』へどうぞ」
「札?」彼女はいくつかテーブル席を見て、「この『利用中』という札ですか?」と席に誰も座っていないテーブルを指差した。
「ええ。そうです」
 彼女は首を傾げつつ、「予約席ってこと?」と呟きながら、再び店内を見渡し、座る席を探す。
「里美、カウンター席でも良い?」
 彼女は連れの、もう一人の女子高生に声をかけた。里美と呼ばれた黒髪にボブヘアーの子は、小さく頷き、二人並んでカウンター席に座った。

 俺は二人分の水の入ったグラスと、メニューを置き、「ご注文がお決まりになりましたら、お声かけ下さい」と言って、キッチンへ移動した。カウンターキッチンであるから、席に座っている二人の様子が見て取れる。黒髪の子は顔色が悪く、茶髪の子が「大丈夫だよ」と背中を撫でながら励ましている。体調が優れないのだろうか。声をかけようか。
「小町、小町、また聞こえる」
 黒髪の子が更に青ざめた顔になり、震える手で両耳を塞ぎ始めた。「梟の声」
 小町というのは、茶髪の子の名前だろう。彼女は黒髪の子の肩を優しく触れ励ますように声をかけていた。
「大丈夫。明後日までの辛抱だよ。宇佐木先生が言ってたじゃん」
 聞き慣れた名前が飛び出した。宇佐木──宇佐木月光は俺の幼馴染だ。よく見ればこの二人は『三日月西女子高等学校』の制服を着ている。最近、月光はその高校のスクールカウンセラーになったと話していた。
 とすると、月光が携わっている案件なのか。興味が湧いてしまい──悪い癖だと分かっているが──詳しく話でも聞けないかと考えていると、店のドアが開く音がした。
 非常に残念だが、接客をしなければならない。キッチンから出て店の入り口に近づく。そこにいた人物に驚き、俺は歓迎の言葉を飲み込む。
「宇佐木先生?」
 俺より先に茶髪の女子高生が言葉を発した。玄関に立っている人物は宇佐木月光──と同じ顔をしていた。そいつは俺の顔を見て、にやにやと笑った。
「お客を睨みつけるなんて。酷い店だね」
 俺が露骨に顔を背けると、月光と勘違いしている茶髪の子が声をあげた。
「先生!里美が今、また梟の声が聞こえるって!」
「そうなの?でも、ごめんね。僕は月光じゃないんだ」
「え?」
「僕は月影と言います」月影はカウンター席に一番近いテーブル席の椅子を引き、女子高生達と向かい合うように座った。「でも知ってるよ。今日の昼、月光に相談していた山本里美ちゃんに、神田小町ちゃん」
 月影は名前を呼びながらそれぞれの顔を見た後、最後に俺の方を向いた。
「僕、アイスミルクね」
「…………」
「返事くらいしてよ。僕はいまお客なんだけど?」
 口を尖らせて指示をする月影に苛立ちを感じながら、俺はキッチンへと戻り、作業をしながらカウンター越しで成り行きを見守ることにした。

「あの、宇佐木先生のお知り合いではあるんですね。ご兄弟?双子?」
「まあ、似たようなものだよ。それで梟の声が聞こえるらしいね」
「はい」黒髪の子が恐る恐る両耳から手を離しながら答えた。「今、落ち着きました。その──」
「数週間前から学校で梟の声が聞こえて、次第に家でも聞こえるようになった。病院で検査を受けても異常なし。精神的なものではないかと保健室の先生の勧めで、木曜日にくる宇佐木月光先生に相談した。同時に、宇佐木先生の実家がお祓いをやっている神社だと知って……もう一つの可能性についても相談することにした」月影はにやっと笑った。「もう一つの可能性、旧校舎の呪いについて」
「……宇佐木先生から聞いたんですか?」
「聞いてはいないよ。月光はカウンセラーなんだから。守秘義務があるでしょ」
「じゃあ、なんで知っているんですか?」
「君たちが月光に話したから」
 二人は意味が分からない、といった表情だった。俺にも分からない。しかし女子高生達もそれ以上は何も聞かなかった。
 俺は一連の話を聞いていて、つい「学校で呪い?」と呟いてしまった。二人はこちらを見た。その表情に怒りの感情はなさそうだったが。
「ああ、すみません。会話が聞こえてしまって……」
「なんかね、三日月西高には木造の旧校舎があるんだって。一階建で横に長いんだけど。そこに一人で入ると呪われるんだってさ」
 月影は俺の方を向いて、ご丁寧に旧校舎の呪いについて説明した。女子高生達は再び月影の方を向く。「僕は守秘義務なんてないからね」
「……宇佐木先生は嫌々でしたけど、明後日の土曜日に神社に連れて行ってくれると約束しました」
「そうだね。忠告付きで」
「忠告……」山本里美が呟いた。

 月影は俺がテーブルに置いたアイスミルクを一口飲んだ。「梟には心当たりあるの?」
「いえ」
「宇佐木先生は言わなかったけど、僕はひとつ、思い当たることがあるなぁ」
「何ですか?」
「たたりもっけ」
「たたりもっけ?」
「死んだ赤ん坊の魂が彷徨っているうちに、梟の中に入ってしまうんだ。そしてホー、ホーって“泣く”んだよ」月影は目を細めた。「“お母さん”ってさ」
 月影の視線の先は山本里美だ。彼女をチラリと見ると、暗い顔がより青ざめたような気がした。
「ちょっと、小町ちゃんに聞きたいんだけど」
「はい。なんですか?」
「旧校舎の呪いっていつからあるの?」
「ええ? うーん。分かりません。最近ウワサで知ったから」
「『旧校舎にひとりで入ったら呪われる』一人で入ったくらいで呪われるなんて。随分とタチが悪いねぇ。それで、そんな噂があっても里美ちゃんは一人で校舎に入ったんだ」
 山本里美は身体をびくりとさせた。「はい。どうしてもやらなくてはいけないことがあって……」
「ふーん。どうしてもやらなくてはいけないこと、ねぇ」
 月影はアイスミルクに口をつけた。しばらく沈黙が続いた。
「あの」山本里美が小さな声を発した。「宇佐木先生のご実家の神社、行き方を、知っていますか?」
「僕の実家でもあるから、もちろんわかるよ」
「どこにありますか?」
「……知ってどうするの?」
「お祓い、してもらわないと」
「そうだね。でもお祓いならそこら辺の神社でいいんじゃない?」
「お祓いは、もう……してもらったんです。でもダメでした。知っています。宇佐木先生の、いえ、お二人のご実家は『みみずく神社』。そうですよね」
 月影が目を細めた。「……へえ、知っているんだ」
「あそこなら確実にお祓いしてくれるって、そう聞きました」
「聞いた?」月影はふっと真顔になった。「……いや、僕じゃないよ」
「え?」
「いや、独り言だよ」月影はコホン、と一度咳払いをし、再びにやにやした笑みを作った。「じゃあ行き方についても?」
「行き方ではなく、行き方がある、ということだけ……」
「ふーん。それで?」
「その行き方を教えて下さい」
「宇佐木先生が言っていたこと覚えてる?」
「……『自分達だけでは決して行くな』って」
「それでも行きたいの?明後日には連れて行ってくれるのに?」
「……それは」
 山本里美が口をつぐむと、神田小町が「そうだよ。今日と明日耐えれば」と励ました。山本はコクンと小さく頷いた。
 月影は懐から一筆箋を取り出し、さらさらとそこに何かを書いた。そして紙を折り曲げて山本に差し出す。
「はい。ここに行き方は書いておいたから」
「え、でも」
「行き方を知りたいっていうから教えるよ。どうするかは自分で決めたらいい」
「おい」流石に口を挟む。
「部外者は黙っていなよ」
 俺は黙って見つめているしかなく、山本は差し出された紙をしばらく見つめていたが、そっと受け取った。それを確認すると、月影は神田の方を見た。
「ところで、どうして旧校舎に“たたりもっけ”なんだろうねぇ」
「えっ?私ですか? うーん……どうしてでしょう?」
「旧校舎に赤ん坊の霊でもいるのかな?」
「あんなところにですか?でも旧校舎っていっても、そこまで古くは……」
「そうだよねぇ。旧校舎に水子の霊なんているわけないよねぇ。でも知ってる?今の子は知らないかなぁ?昔、妊娠を隠していた高校生がトイレで──」
 ガタッという大きな音が会話を遮った。山本里美が椅子から立ち上がった音だ。その顔は先ほどより酷く青ざめている。
「行きます」
「え、里美。どこに?」
「……みみずく神社」
「でもそれは……」
「小町はついてこないで」
 山本は神田を睨むように一瞥した後、ふらっと店から出て行った。
「里美、え、どうしよう」
「もし、旧校舎に赤ん坊の霊がいて、それが里美ちゃんの梟の声の原因なら」月影が神田を覗き込むようにじっと見つめた。「このままお祓いしてもいいのかなぁ。相手は赤ん坊なのに。旧校舎には何があるんだろうね」
「私……」
 神田は荷物を持ち、店から出て行こう出口のドアに手をかけた。
「小町ちゃん」月影が神田の背後に声をかける。「旧校舎に一人で入ると呪われる。忘れてないよね? 一人で入ってはいけないよ。絶対に」
 神田は一度こちらを振り向いたあと、軽くお辞儀をし、店から出て行った。

「仕方ないなぁ。あの子達の分は僕が払うよ」
 月影はカウンター席に座り直し、俺と正面で向き合った。相変わらずにやにやと、いやらしい笑みを浮かべている。
「よくもまぁ、顔を出しに来られたな」
「もっと早くに来ようかと思ったけど」
「どうしてあんなことを言ったんだ」
「教えてほしいと言ったから教えただけだよ」
「そう言うように仕掛けたんだろ」
「そう思うならそうなんじゃない?」
 月影は、今度は嘲笑うように鼻で笑った。
「『見てはいけない』それでも男は見てしまった。『振り返ってないけない』それでも男は振り返ってしまった。『話してはいけない』それでも男は話してしまった……」
 月影はトン、トン、トンと机を指先で叩いた。リズムを刻むように。
「日本神話、ギリシャ神話、聖書、御伽噺……必ずと言っていいほど神話の類にはこの手の話がある。どうしてだと思う?」
「……戒めだろう。神の忠告を無視すると天罰が下るという」
「それもあるだろうね。でもあれらの話は、“破られるため”にあるんだ」
「破られるため?」
「人間は欲を抑えることは決してできない。好奇心という欲。不安をなくしたいという欲。そういう教え。破られることは予め決まっている」
 月影は俺の顔をじっと見つめる。「君も相変わらず、欲に勝てていないようだね。でも良かったじゃあないか。それこそが、君がまだ人間だってことさ」
 すっと、月影から笑みが消える。
「ああ、本当に、嫌になる」
 それはこっちのセリフだと、悪態をついてやろうかと思ったが、何故だかそんな気になれなかった。
 今の言葉が、どこか違うところに向けていっているように思えたから。

「それじゃあ、そろそろ僕も帰ろうかな」
「ちょっと待て」
「何?」月影は不機嫌そうにこちらを向いた。
「俺の、あれの治し方を教えろ」
「ああ、月の毒か……月光が知らないのなら、僕も知らない。僕が知っていたら、とっくに月光に伝わっている」
「さっきもあの子達に同じようなことを言っていたな。あの子たちと月光とのやり取りも見てきたように。あんたが覗き見するとは思えない。いったいどういうことだ」
「僕達は、二人で一つだから」
「どういう意味だ」
「そのうち分かるよ」
「本当は知っているのに、隠しているだけじゃないか?」
「……君は僕のことがとても非道に見えるだろうね。でも月光の方が、君が思っているより酷いやつかもよ」
 月影は白鷺のような羽織を翻し、店のドアに手をかけた。
「ああ、そうだ。月光にあまりコーヒーを飲むなと言っておいて。僕は苦いのは嫌いだから」
 そう言って月影は出て言った。「またね。シンタローくん」

 月影が出て行き、しばし呆然とする。ゆっくりと店内の食器を片付けていると、月光の後輩の雨宮が入店してきた。
「熊崎さん、こんにちは。先輩はまだ来ていないんですね」
「今日は遅くなるかもな」
「そうですか。……今日はお客さん、多いですね」
「ああ、少し騒がしくしてしまった」
「普通のお客さんも来たんですか?」
「ああ」
「じゃあびっくりしたでしょうね。一見どのテーブル席も空いているように見えますから」
「札を置くようにしてみたんだが、かえって不思議がられてしまった。お前みたいに姿が見えるようなやつなら助かるんだけどなぁ」
「ふふ、嫌だなあ。僕は人間ですよ」
「え、ちがうだろ雨の──」
「人間です!」
 そういって頰をふくらませながら、雨宮はカウンター席に座った。
「なぁ」
「何ですか?」
「月光は酷いやつかと思うか?」
「何言っているんですか?先輩は僕を助けてくれたんですよ。ただの雨だった僕を……あ、違う違う。僕は人間でした。そ、それは置いておいて、先輩はいい人です。恩人です!」
「そうか。そうだよな……」
 その後雨宮とたわいもない会話をしたが、雨宮が居座っている間、月光が来ることはなかった。

 日が沈み、夜もふけて店じまいをした頃、ようやく月光がやってきた。カウンター席に座り、不貞腐れた声で「ブラックコーヒーで」と言った。
「今日は遅かったな」
「今日、月影が来ただろ」
「ああ……」
 色々聞きたいこともある。いったい何から話そうか。とりあえず、なぜ知っているのか、からだろうか。
「神田は」俺の質問の前に月光から話し始めた。「職員玄関前で待っていた。一緒に旧校舎に入ってくれって」
 あの神田という子は、忠告を守ったのか。それを聞いて少しほっとする。忠告を守る人間だっているじゃないか。
「旧校舎には何もいなかった。もう取り祓われた後だったんだろうな」
「赤ん坊の霊がいたのか?」
「……もう何も残っていないから、どうとも言えん」
「もう一人の山本という子は」
「一人で神社に行ったんだろ?」
「正直お前の神社のことは俺もよく知らないが、お前がついていかないと何かが良くないんだろ?大丈夫なのか──」
「知らない」
「……え」
「忠告を無視して神社に行ったんだろ? その後のことは知らない」
「で、でも、相談してきた生徒だったんだろ?」
「ああ。相談してきたから、俺は向き合って話した」
 そうだ。月光は助けを求めた相手に、できる限り手を差し伸べる。雨宮と、そして天宮にしたように。

「でも、今日初めて話した」
 月光はいつもと変わらない表情で。
「そこまで親しくもない、そんなやつに」
 いつもと変わらないトーンで。
「どうして、俺が気にかける必要があるんだ」

──君が思っているより酷いやつかもよ。
 
 聞きたいことが山ほどあったはずなのに、言葉が出てこない。
 月光はブラックコーヒーを口に含んだ。「ああ苦い。俺は苦いのが好きなんだ」
 それを聞いて「そうか……」と答えると、月光はうっすらと笑った。

『忠告する者』終


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