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記憶の欠片(幼少期のエピソード)

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特に山もオチもない日常の一コマが、なぜか鮮明に記憶されている。 なぜそんなどうでも良い瞬間の記憶が、そのほか多くのビッグイベントの記憶よりも鮮明に焼き付いているのか。 あの日あの… もっと読む
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記事一覧

蝶の恋 - 素直な想いと刹那の輝き

ある日の春、高校二年生のそうそうは、校内の屋上通路で初めてちあきと出会った。彼女は色白でハーフ顔のガーリーな美少女で、まるでモデルのようだった。そうそうの心に電撃が走り、「なんて美しい人だ!」と感じたのを覚えている。 そうそうは野球部員だったが、ちあきは帰宅部。二人はそれまで接点がなかった。そうそうは野球部の先輩であるなつきさんに、ちあきについて尋ねた。 なつき「え?ちいさんのこと?彼女のこと好きな男の子多いから多分無理だよ」 その言葉にそうそうは眩暈を覚えたがすぐに持ち直

「ひと夏の夢 - 初恋の物語」

これはそうそうの初恋物語 中学2年のそうそうは、ある日学年トップ7に入るほどの美少女、きみかに一目惚れをした。 そうそうは野球部に所属し、男子1軍の下位にいた。 一方、きみかは陸上部で、女子1軍の下位に位置していた。 その時すでに、男子1軍と女子1軍のトップ層では、既に二組のカップルが誕生しており、修学旅行を間近に控えた男子1軍の下層と女子1軍の下層が活気づいていたのだ。 時はまさに、急ごしらえのカップルが生まれるムーブメント。 ある日、きみかがそうそうに言った。 「

幽霊の見える青年(アキシ)

この前、近所の喫茶店に行ったの 僕ねカフェ巡りが趣味だけど、その中でもよく行く定番の店 こじんまりしていて少し古臭いんだけど、 僕常連だからみんな顔見知りで、常連同士で談笑とかよくするの。 その店ら僕のサードプレイスになっていたんだよね その日は1人でカモミールティーを飲んでいたんだ すると近くに座っていた青年が僕に話しかけてきた。初めて見る青年だ。 「僕、幽霊が見えるんですよ。」 唐突に青年から出た言葉をいぶかしく思いながらも、なぜか僕は引き込まれた。 僕は不審に思

けつあごの生まれた日(大池ニキ)

「え?もう一つのエピソードですか?いや~、欲しがりますね~」 少し前のめりになりながら、満面の笑みを浮かべて大池氏は言った。 一見謙遜に見える態度の裏には、隠せない胸筋の躍動を私は見逃さなかった。 「大池さん、2回顎が割れたっておっしゃってたので、もう一つのエピソードを是非お聞きしたいと思いまして」 低頭でおねだりする私に対し、 「じゃあ少しだけですよ」 憎めない笑顔で大池氏は語り出した。 あれは年長の時だったかなあ、 磯部君という友達がいたんですね。 磯部君は目が細くてね

割れた顎が教えてくれた事(大池ニキ)

「いや~、小さい頃ってよくケガするじゃないですか~」 軽快に話始める大池氏は、自慢の胸筋を交互に揺らしながら、 何故か怪我の話題を嬉しそうに語り出した。 「僕ね、幼稚園の時2回顎割ってるんすよ」 けつあご・・・というわけでもないが、その鍛え抜かれた肉体からは、 いつ顎が割れても大丈夫という自信がみなぎっていた。 年少の時だったかな、幼稚園で遠足に行ったんですよ そう、浅草寺幼稚園、わかります? 浅草寺幼稚園の前て石畳なんですよね。 その石畳を、男女で手をつないで歩きながら

心の松葉杖 水野氏

あれは私が小学校六年の時の話。 その日は卒業式で、だんだん暖かくなってきて、 それにつられて私の気持ちも桜のつぼみのように優しく膨らんでいた。 卒業式は泣くのかな?なんて思っていたけど、意外と気持ちは淡白で、 なんだかガラス越しに卒業する自分を眺めていたように感じていた。 だからなのかな、卒業式の記憶ってほとんど残ってない。 ただ、卒業式の記憶が残っていないからこそ、 小学六年の卒業式は私の心に強く刻まれている。 それは、卒業式日私の足の甲の骨にはひびが入っていたから。

殴る友達 と チック症(トゥレット症)

0.プロローグ幼少期の思い出(なんでもない日常の記憶)について話を聞く。 そんな趣味がありまして、昨年末~1月にかけて、 20人程度の方に70以上のエピソードを頂きました。 そのうち半数は文字起こしして、短編ストーリーになるように勝手にいろいろ脚色したりしてnoteマガジン「記憶の欠片(幼少期のエピソード)」に投稿している。 残りの半数は、なんか面倒くさくなって放置している。 いずれまた文字に起こす予定だが。 さて、今回の話題はそんな頂いたエピソードの1つ シャインマス

上海ボーリングストーリー(ジュリア)

幼少期は上海に住んでいた。 そのころの記憶なんだけど 、 当時の上海はまだ混沌としていて色々な情報が錯そうしていたし、 アメリカをはじめ西洋の文化はまだまだ見る事が少なかった。 小学校に上がる前の私にも、なんとなくそれが解かっていて、 だからといって、何か特別に思う事もなかったんだけどね。 その頃、私のおじいちゃんは出版社に勤めていた。 多分その関係でなんだろうけど、 当時上海ではすごくレアで珍しかった「アメコミ」を入手してきた。 おじいちゃんはすごいもの

殴る友達(あきし)

最近ね、占いを受けた事があって、 その時に過去の自分を振り返るってのをやったんです。 過去を振り返るってあまりしてこなかったから、 良い機会かなと思って。それで思い出したんだけど、 幼少期から小6くらいまでの間、 僕のことを殴ってくる友達がいたんです。 もう、ほんとに意味もなく。意味がわからないんですよ。
 何もしていないのに急に手をあげて叩く。 何か言うわけでもなく、ただ叩く。 でも痛いとか、悲しいとか、そういう記憶はないんですよね。 記憶に残っているのは、悲しそうなそ

エプロンとカンガルー(あきし)

小学生の頃、近所の河原を散歩していました。 地元熊本ですからね、田舎なんですよ 基本的に人なんて歩いていない でも、その日河川敷をあるいていると犬の散歩しているみたいな人がいたんです。 「あーめずらしいなー」と思いながらも、 じっと見ているのも気まずいので目をそらしました。 それで、ちょうどすれ違う時に、 もう一回散歩しているおじさんの方を見たんです。 ぎょっとしました。 犬の散歩だと思ったそれは、犬ではなく、カンガルーだったんです。 え、嘘だろ そう思って二度見し

優しい手(海を越えるアサギマダラさん)

小学校に入る前だから、5歳か6歳の頃だと思います。 当時の私は体が弱くて、風邪をひくといつも高熱を出して寝込む程重くなっていました。 頻繁に熱を出す私に、両親は大変だったんじゃないかな。 私が熱をだすと、いつもお母さんが看病をしてくれていた。 でも、印象深かったのはお父さんの話。 お父さんは仕事から帰ると、真っ先に私の部屋に来て、 ただいまも言わずに、「辛かったね」と優しく言いながら、ぎゅーっと強く抱きしめてくれる。 そして、ゆっくりゆっくり、上から下へゆっくりと、何度も

孤高の上海ハニー(ジュリア)

3歳か4歳の頃 おじいちゃんとよく散歩に行っていた 当時中国に住んでいたのだけど、 当時の中国の道路事情は未開発で、舗装されていないとか、 突然穴が開いているとかがざらだった。 おじいちゃんは私が転ばないようにと、 いつも手を引いて誘導してくれていた。 その日もいつものようにおじいちゃんと散歩に行ったのだけど、 なぜか私は手を引っ張られて誘導される事が許せなかった。 「私より先を歩かないで!!」 そう叫びながら、おじいちゃんの手を振り払い地団太を踏んだ。 昨日ま

傲慢な社会は何を捨てにいくのか?Bちゃんの話(レモンさん)

今でもずっと知りたいと思っている本のタイトルがある 小学生の時の友達でBちゃんがいた 背が高く、控えめで、鹿のような眼をした女の子 私は小学校の時、活発なグループに所属していて、 Bちゃんは物静かなグループに属していた 小学校時代のBちゃんとの思い出は、卒業式のカラオケ大会。 活発な私は複数のグループに所属していた。 一方Bちゃんは、どのグループにも所属で来ていなかった。 私はBちゃんに声をかけ、 「一緒に”Wink(ウィンク)”を歌おうよ!」と誘った。 打ち合わ

怖さを曝け出したら、先生にめっちゃ褒められた(レモンさん)

小中学校の時の夢は小説家だった 母が幼少期に本を読み聞かせしてくれた事や、 お年玉やお小遣いは全て本を買うくらい本が好きだった。 それもあって、私は作文は得意だった。 わたしは、小学生にしては、ひねりの利いた文章を書けることに自信を持っていたが、 先生が私の作文を評価してくれた点は別だった。 それは、障子が怖いという作文 昔の家には和室があった。 和室の障子は西日が当たり、部屋に伸びる黒い格子の影は 私に不吉な連想をさせ、恐怖の対象だった。 その事を、思うがままに書いた作