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憎みたい心と慈悲の瞑想

悲しいことに、生命の心は慈悲をやりたいようにはできていません。

どんな生命の心にも必ず慈悲の種は眠っていますが、いとも簡単に憎しみの種が顔を出してしまうのです。心は放っておくと、悪い方に悪い方に回転します。

もちろん僕の心も例外ではありません。小さな頃から無意識に、心の中の憎しみの火に油を注ぎ続けてしまいました。

おかげで今までの人生は、ずいぶんと苦しかったです。周りの人を敵対視して苦しんだり、わけのわからない強烈な孤独感を感じたり。心の病気にかかっても、誰にも助けを求められなかったり…

またこうした自分の憎しみは、いま世界で起きている戦争と地続きになっているのだと思います。自分が戦争に加担してしまっていると考えると、恐ろしい気持ちになります。

これからはもう憎しみで自分自身を苦しめたくないから。

世界中の仲間が争い、悲しみに打ちひしがれている姿を見たくないから。

周りの大切な人たちと、宇宙全体に愛を広げていきたいから。

僕は毎日慈悲の瞑想を続けます。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
怒り、憎しみ、恨みから自由になりますように。
互いに慈悲喜捨の気持ちで接し合えますように。
安らぎと静けさで満たされますように。

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