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雑感記録(239)

【抹消したい過去】


僕には消したい過去がある。心の底から本当に消したい過去がある。

過去に書いてこれでお終いにするかとも思ったが、とかく人間生きていると不思議な線か何かで繋がっているらしく、強引に記憶の奥底から引っ張り出そうとしてくる。たまたま今日、Instagramのストーリーを眺めていたら僕の好きな企業とコラボして何やらやるらしいとの告知の投稿が流れてきた。僕はそれを見た瞬間に後悔した。しかし、ストーリーともなるとあれはタップしてからでないと内容が見られない構成になっている。どうすることも出来ない訳だ。僕はすぐさまその好きな企業のフォローを辞めた。

まあ、別に隠す必要もないしこれは方々でも言っていることだから書くけれども、僕は小学校全ての記憶を消したいと思っている。あんな時間さえなければと常々感じている。勿論、中には良い奴もいた…けれども、結局それは表面上は仲良くするけどみたいな感じであって、内心では正直あまり良くは思っていなかった。という書き方をすると如何にも、というか事実後出しジャンケン感が否めないが、どうせそんなことを言ったって既に終わっていることなのだから、どうとでもなれという心持である。

そのInstagramに映っていたのは僕が小学校を嫌いになる大元的存在である。厳密に言えば、その存在を取り巻く亜周辺とでも言おうか。僕は金魚のフンって言っているんだけれども、その金魚のフンが凄く鬱陶しかった。「もしも人を殴れたらな…」と毎日思っていたのは事実である。実際、そういった日記も残っていたのだから。とにかく僕はそれぐらい小学校が嫌いだった。何より辛かったのが「愉しそうなフリ」をして毎日学校に通うことだった。

学校の何が愉しいのか僕にはよく分からなかった。何をしても詰まらないし、授業も別に詰まらないし。何しても詰まらない。刺激が足りない。それで何をとち狂ったか、小学校の高学年の時に生徒会に入った。しかも小学校6年生では生徒会長などというクソみたいなこともしてしまった。何だかなと自分でも思ったし、それにやり始めて思った訳だが、やらない奴はとことんやらないのだ。これには非常に苦く腹立たしい思い出がある。少し書いてみようか。


小学校というのは、まあ、これはどこの学校もそうなのかは知らないが、大体夏ごろになると広島に千羽鶴を贈る。僕の在籍していた学校ではそうだった。毎年夏ぐらいだったかな?それぐらいになると千羽鶴を作る。大概、こういう時に生徒会は駆り出される。それで生徒会で千羽鶴を作ることとした。それで一応僕は生徒会長な訳で、それなりに権限はあった訳だ。「この日のこの時間に千羽鶴を織るから来てくれ。」と生徒会のメンバーに頭を下げて回った。

ところが、時間になって来たのは僕だけ。教室を見に行ったが数人のクラスメートだけ。「○○たちは?どこ行ったか知らない?」と聞くと「え、用事あるとか言って帰ったよ」と言われた。ちなみに言うと、これが最初ではない。こういうことは過去にも何度かあった。生徒会で準備をしなければならない、だから集まって一緒にというと、大概僕しかいない。余裕を持って予定は組んでいる訳だが、1日出来ないのは大きい訳だ。仕方なく僕が1人で頑張って途中まで進ませる。そういうことの連続だった。彼らはきっと覚えていないだろうが。

それで、その日も僕は黙々と1人鶴を折り続けた。千羽には届かなかったけど、ある程度キリが良いところまで折れたので帰ることにした。あの時の空の色を僕は覚えているし、その時階下から聞こえてきた生徒会のメンバーが遊ぶ声もよく覚えている。もう今更恨みつらみを書いたところで過去は変わる訳がないが、書かずにはいられない。あの美しい夕焼けの下には醜い生き物が蠢いていたことを。

翌日も僕は1人で折り続けた。もはや無の境地である。誰が来ても何も感じない。ただ延々と鶴を折り続ける。

腹立たしいのはここからだ。しばらくして、生徒会のメンバーがちらほら集まってきて「よし、鶴折るか」と言い出した。僕は1人で大体3分の1を折っていた訳で、残りを5人で折るなんて楽勝じゃねえかと腹が立って仕方がなかった。加えて僕が折った鶴の色に対して文句を言ってくる。「なんかこの色おばさんっぽい」と言われたときには意味の分からなさと苛立ちで女なぞ関係なくぶん殴ってやろうかと思った。大抵、こうやって皆で折ると喋りながらやるので手が進むのではなく口が進む。

僕は黙々と折り続ける。そうして皆は口をそろえて「じゃあ、帰るね」と言って片付けもせず僕を残して帰る。時計を見て、せいぜい30分ぽっちで何も出来る訳ないよなと思いながら、その後僕は黙々と折り続ける。その後の顛末としては、余裕を持っていたにも関わらずギリギリになり、僕が自宅まで持って帰って折る始末。それを「みんなで」紐を通して広島に送り届けた。以上がこの話の結末である。

何というかいつも貧乏くじを引かされていた。特に生徒会活動に於いては。どれだけ頑張っも結局「みんな」の手柄として讃えられる。僕は別に自分自身の手柄にしたい訳ではないけれども、だけれども、我慢の限界くらいはある。人間我慢ならないことだってある。小学生の時は特にそういうことが多かった。何だか身動きの取れない感じというか。納得がいかない。


そういえばこんなこともあった。

大概問題を起こすのは最初に書いた人物で、クラスの面倒事などの発端は全てと言って良い程彼女だ。彼女に毎回毎回振り回される。そんな生活だった。日常生活に於いてもそれを取り巻く亜周辺の奴らが盛り上がって、何だか馬鹿の一つ覚えのように、まあ今で言うところのウェイ系みたいなムーヴをかましていた。だがその背後には必ずその人物の影がある。

あれは小学校6年生の時の運動会前日の話である。

その日は保護者にも来て頂いて、学校の先生と6年生と保護者で運動会の設営や準備をすることになっていた。その準備直前まで翌日の出し物かなんかの練習をしていた。その時に男子と女子で意見が割れてああでもない、こうでもないと言い争いになった。するとその人物は泣き出してしまい、そこには同族の金魚のフンが群がる。大概紋切型として「ああ!○○を泣かせたね!」という半ばヒステリックな物言いがある訳だ。正しくそれであった。だが、僕の中ではそんなことクソほどどうでも良くて、それよりも集合時間があと10分後ということに焦っていた。

冷静に考えて、その言い争っている箇所について修正なんて今更土台無理な話である。それに正直従前の何が悪いのかがさっぱり分からない。もし議論をするにしても設営や準備が終わった後ですればいいだけの話で、このタイミングでやることではない。しかし、終わる気配が見えない。それにどうでもいいことで言い争っている。一応、僕が生徒会長ということもあるのでそれなりに対応しなければならない。親御さんや先生を待たせるわけにはいかない。だが、どうしたことか段々と怒りがこみ上げる。

多分というか、確実にブチギレた瞬間だったと思う。

僕はわりと本気で怒った気がする。人間は本当に怒りの中に居ると我を忘れてしまう。その時の記憶があまりない。ただ後から聞いた話によれば相当な罵詈雑言の嵐だったらしい。皆がキョトンとしている。そんな感じだったらしい。僕が記憶しているのは下駄箱の所で靴を履き替えている場面。周囲には男子のみ。聞けば男子だけ先に集合場所に向かわせたらしい。それで集合場所に男子のみが座って待機。

そうこうしている間に時間はどんどん過ぎていく。結局、予定の集合時間よりも1時間でようやく揃って作業が始められるという状態になった。ところが、その中心で泣いていた人物が存在しない。その人物だけ来ていない。だがもう1人の為だけに待っていられるほどの状況では決してなかった。それぞれの分担された場所に向かい準備を始めることになった。

僕ら生徒会が任されたのは来客用のトイレ掃除である。僕は黙々と掃除を始める。そうそうちなみにだけど、男子は僕以外サボっていた。クレンザーを床に撒き散らし、水をかけてブラシで只管こすり続ける。すると、入り口からすすり泣く声が聞こえてくる。しかも僕の名前を読んでいる。僕は怖くなって外に出るとさっきの人物が立っていた。そういえばこいつも生徒会のメンバーだった。何なら副会長な訳だから、言ってしまえば僕の次に偉かった人間である。そんな奴が泣きながら僕に何の用だと腹立たしかった。

そいつは僕に向かって謝って来た。

だから僕は余計に腹が立った。違う。謝るのは俺じゃない。先生だろ、保護者だろ。何故俺に1番最初に来るんだこの馬鹿は。そう思ったので「先生には謝ったの?」と聞いたら首を横に振った。駄目だこいつはと思って僕は無視した。僕が無視をすればするほどそいつは泣きわめき、謝り、「何をすればいいの?」という言葉を馬鹿みたいに繰り返す。阿保か。先生のところに先に行け。「待たせてしまってすみません」が先だろ。それを教えてやるのも何だか癪に障るので無視し続けた。そしたらいつの間にか消えていた。

それから掃除を終えて、生徒会の仕事をそそくさとこなし帰路につく。

家につき、身支度を整え僕はゲームをしていた。ピコピコボタンを押していると母親が電話を持って僕の所に突然やってくる。「同じクラスの○○から電話だよ」と。こんな愉しい一時を邪魔しやがってという怒りと、何だか嫌な予感が下の方からジワリジワリとやってくる感じだった。受話器を耳に当て「もしもし、何の用」と言い放つ。もう半ば投げやりだったと思う。だってこの電話の主は先程の人物の所謂「金魚のフン」なのだから。

「アンタのせいで○○が明日の運動会に行かないって言ってるんだけど、どうしてくれるの?アンタのせいだからね!」

といきなり怒られた。僕は正直「やっぱりな…嫌な予感大的中」と思うと同時にこれまた怒りが込み上げてくる。何でお前にそんなこと言われなければならんのか。それに僕のせいではない。自分のせいだ。自分が招いた事態を僕のせいにされては困る。だから僕はまた電話越しに怒った。だが、かなり冷静な電話口だったと後に母親から聞いた。気が付いたら相手は電話越しに泣いていた。最後に「アンタなんて知らない」というドラマでしか聞いたことのないようなめちゃくちゃクサイセリフを言われたことだけは鮮明に覚えている。

とにかく自分の中で「ああ、明日の運動会はアイツは来ないんだな」という認識と僕の中では了解していたし、どこか納得していたから何も心配することなく翌日に向け眠りについた。いずれにしろ、ヒステリーな奴は誰でも僕は嫌いだということがよく分かった。

翌日。そこにそいつは居た。

僕は何だか訳が分からなかった。「明日は来ないよ」と聞かされていたので来ないんだなと思っていたのに、何で来てるの?しかも何だかよく分からないけれど、クラスメート皆に謝って回っていた。何だかそれも気持ち悪かった。案の定僕の所にも来たので「先生に謝ったのか?保護者に謝ったのか?」と聞いたらニコっと笑って去って行った。それが何を表現しているか僕には分からなかったけど、多分謝ってないんだろうなと思った。ふと、昨日僕に電話をよこした「金魚のフン」と眼があってしまった。僕をにらみ続けている。何だか僕はおかしくて思わず笑ってしまった。

そういうことが最初に書いた人物との間で起きた出来事だ。


何だかんだで中学も高校も一緒だったのでこの手の話は沢山ある。だが、僕が1番消したいのはこの小学校の頃の記憶だ。正直中学でも高校でも、直接的な関りが無かった……いや、あったな。中学の時は今度は立場が逆転して僕が生徒会の副会長をやってそいつが生徒会長をやっていた。だが中学校ともなると話の分かる奴というか気の合う奴らもそれなりに居たから小学校の時の奴らと無理につるむ必要はなくなった。だからある程度の距離は取れていた訳だが…。

まあ、それでも騒ぎには事欠かない奴だったというのは記憶している。騒ぎの渦中にはいつもあいつが居て多くの人を振り回し、関係のない僕らにまで何故か被害が拡大しているというようなことは頻繁だった。だが既にこういう奴なんだなと分かっていたからある程度は流せてこれた。しかし、問題はその「金魚のフン」共な訳だ。あいつらが何だかんだで1番面倒くさい。何かと引っ掛かってくるのはいつもそういう奴らだ。

もしも、小学校で折鶴を1人で黙々と折っている時間に本を読めたかもしれない。自分の為に何か使えたはずだ。もしも、あの時に集合時間に間に合っていさえすれば建設的な話し合いが早く出来たかもしれない……。まあ、そんな数十年も前のことをねちねち話したって仕方がない。今のことを語ろうではないか。

それでようやく、この記録の最初の場面に戻ってくる。

実は前々からその界隈では有名人であることは知っていた。SNSでもよく見かけていたし、友人からも色々と話は聞いていたから何をしているかぐらいは知っていた。だから何をしているということは実は元々から知っていたことにはなる訳だ。正直どうでもいいっちゃどうでもいい。何をしようが勝手だ。だが僕の好きな領域にまで入り込まれるのは何だか腹立たしい。

勝手に生きてくれる分には構わないし、そもそもとやかく言う筋合いなど僕にはない。だが何となくだけど悔しいというか。ああいうのを見せつけられると「真面に生きるなんて馬鹿のやることだ」と言われているみたいだ。そう考えるとあの小学校の時間を本当に返して欲しい。でも結局返してもらえないのだから僕がどうにかするしかないんだ。だから僕は小学校の記憶を心の底から消し去りたい。いや、消し去らねばいけない。

まあ、何を言っても無意味だ。仕方がない。

どうせここでも苦労するのは僕なんだな。

よしなに。




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