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雑感記録(236)

【オム族とヤプー】


実は先日、体調不良で仕事を休んだ。ここ最近どうも気圧の変化が激しく体調が優れない。元来僕は誰に似たのか頭痛持ちであり、気圧の変化には弱い。また、これは過去の記録にも書いたが腰痛持ちでもあり、気圧の変化で痛くなってしまう。何だかこう書くとナヨナヨした人間みたいだ。事実そうなのだから否定はしない。こういう部分で見れば僕はまだ若者なのかもしれない。

それで昨日は1日静養していた。自宅でベッドに入り寝て起きてを繰返して過ごしていた。夕方ぐらいには熱も下がり、身体の調子も元に戻りつつあった。それでそそくさと家事を始める。掃除したり洗濯したり、夜ご飯作ったり、風呂入ったり。色々とパッパと済ませてモニターの前に座る。「今日は何の映画を見ようかな」と思いとりあえずNetflixを開く。

しかし、僕は最近いつもNetflixばかり見ているような気がする。ついこの間も『遊戯王』を見終えて「早く新シーズン配信にならないかな」と期待を胸に膨らましていたし、『アカギ』を見始めてみたり、シューマッハのドキュメンタリーを見返してみたり…。Netflixが僕の生活の中心みたいになっている節が少なくともあった。それで今回はNetflixから離れてAmazon Primeで何か作品を見ることにした。

実際にAmazon Primeを開くと何というか「ああ!これこれ!」みたいな作品が結構ある訳だ。それで僕は「視聴履歴からのおすすめ」というような項目に飛び映画を探した。最近のこういうインターネットによる「履歴からのお勧め」という機能は本当に凄いと感じる。自分が何となくだけれども気になっていた作品が並んでいることが多くて驚く。そこで僕は前々から少し気になっていた『グランド・ブタペスト・ホテル』を見た。

これが個人的に結構面白くて、何というか話の構造?とでも言えばいいのか。これが面白かった訳で。詳しく書きはしないけれども話がズームからフェードアウトする感じが綺麗だったので心なしかそういった意味での爽快感があった。

それで、これを見終わって次に何を見ようかなと思い探っていると、久々に『ファンタスティック・プラネット』を見つけたのである。実はこの作品は僕にとって結構思い出がある。と仰々しく書くと大層なことを書くのではないかと何とも思わせぶりな態度を取る訳だが、そんな大したことは無い。僕にとってこの作品は「Amazon Primeで初めて課金して視聴した作品」であるということだ。ただそれだけ。大した話じゃないでしょう。

それともう1つ付け加えるならば、まあこれは有名な話だから実際に聞いてもらえればいい。僕は志人のラップが大好きで、その作品の中でも取り分け有名な作品が『禁断の惑星』というものである。実はこの『ファンタスティック・プラネット』がサンプリング元となっているのである。ぜひご興味があれば聞いてみて欲しいものである。

それで僕は『ファンタスティック・プラネット』を見たいなと思って、再びレンタルするかと思いページを開いたら、何と!驚くことに!プライム会員!無料!なんと!!!これには思わず嬉しくなってしまった。僕は万全の準備をして再び『ファンタスティック・プラネット』と対峙したのである。


La Planète sauvage(1973年)

あらすじについて書きたいところだが、それでは興醒めしてしまうだろうから本当に表面をサラリと触れる程度の説明をする。これは異星人である所のドラーグ族が人間である所のオム族を飼っているという話だ。と平然に書いている訳だが、要するに人間がペットとして生きる世界戦がここに描かれているということにある。

ちなみに、これはどうでもいい話なんだが、この「オム族」の「オム」というのはフランス語でいう「homme」つまり「人間」を指す言葉らしい。……まあ、そんな話は置いておくとしてだ、中々この絵のタッチが強烈なんだな。ドラーグ族の描写が何というか不思議なんだ。彼ら自身は作中では「高度な文明を持った種族」として説明されるのだけれども、実際にドラーグ族の身の周りはどこか後進的なものを感じさせる。

実際に見て頂くと分かるのだが、高度な文明を持っているくせに、何だか自分たちの居住区場所以外は荒野原というか1歩出ればそこは異郷な訳だ。しかも、変な生物が歩けばすぐそこに居るし…。何も機械の発達が文明の発達だとは僕は思わないけれども、何だかそういう所の設定が不思議だった。何ならオム族の人間たちの方がかなり利口である。何故なら彼らはロケットを自力で作り上げる訳だからだ。ドラーグ族はどうやらロケット製作には失敗しまくっているみたいだが、オム族には目立った描写はない。

そういう所も面白いんだけれども、僕は単純にこれをもう1度見直して「これって『家畜人ヤプー』のライト版では?」と思ってしまったんだ。

とはいえ、僕も最近『家畜人ヤプー』を購入したばかりで、ちょこっと読み始めたばかりなので何とも言えない。だが、テーマ的な部分というかそういう所では若干似ているような気がしなくもない。だが決定的に異なるのは、異星人が人間を屠るか、未来人としての人間が違う人種の人間を屠るかという点にある。これが胸糞ポイントとして大きいところがある。


『ファンタスティック・プラネット』は宇宙人(ドラーグ族)がオム族(人間)をある種の愛玩動物のようにして飼うという描写が何度も現れる。確かにこの作品の主人公となるテールというオム族の人間は半ば着せ替え人形のように弄ばれている訳だ。終いには、テールのご主人様、つまりドラーグ族のティバは他の友人が人間同士を決闘させている所で「テールの方が強いんやで~」みたいな感じで戦わせる。僕はこれを見て、『ぼくのなつやすみ』シリーズを思わず連想してしまった。

ぼくのなつやすみ2(2002年)

元々僕はゲームをするのが苦手だが、この『ぼくのなつやすみ2』は大好きである。これは名作だ。ビンの王冠を集めてみたり、釣りしてみたり、昆虫採集してみたり、確か…ロケット飛ばしてみたりもあったかな?結構僕は好きな作品だ。その中でね、主人公とその友達が捕まえたクワガタムシとかカブトムシで「虫相撲」をするんだ。あの時の場面が思い出される。

僕はそういう世代というとまた語弊があるかもしれない訳だが、「虫相撲」をしたことは無い世代だ。虫取りは好きで幼少期には虫かごを持って父親の釣りに同行するということはあった訳だが、実際に虫と虫を闘わせるということはしたことが無い。また、日本でだけかどうかは僕も知らないが「闘犬」があった?というのが正しいのか、あるいいはそういう品種、土佐闘犬があると言った方がいいのか。そういった犬と犬とを闘わせるということがあったらしい。

ここが個人的には難しい所で、今では犬というと先にも書いたけれども「愛玩動物」として存在している。つまりは闘わせることが前提とされていない訳だ。だけれども、それが成立していたという事実を見てみると、人間vs犬と人間vs虫という構図である訳で、同じ地平に立っている者同士による支配・従属関係ではなくて、どちらか一方に圧倒的な優位性がある訳だ。そもそもの種族間の違いとでも表現すればいいのだろうか。そういうのが昔から染み付いているからこそ、あまり違和感なく『ファンタスティック・プラネット』については見れるのではないかと思う。

ところが、『家畜人ヤプー』の場合はどうか。

これは、まあ酷いもんで、人間が人間を支配するという構図だ。言ってしまえば「奴隷制」みたいなものだ。これもある意味で人類の歴史という広大な目から見ると、過去にそういうことはあった訳だ。だが、ヤプーの場合には労働に従事するというより、「物として生きろ」みたいな感じである。例えば日本人が所謂「せっちん」として存在したりするわけだ。これが1番顕著な例になる訳だが。

それで「奴隷制」と一口に言われても、僕らはあまり意識出来ない。何というか僕らの生活の延長線上というか、そこよりも掛け離れた世界の話だと認識してしまう。例えばだけれども、「奴隷制について話をして」と言われていざ話すことを考えた時に、大概出てくるのは中世とか昔の話であって現在に於ける「奴隷制」について話を出来る人がどれくらい存在するのかを想像してみるといかもしれない。僕は恥ずかしながら、全く以て知らない。過去のことは分かるけれども、現在のことは分からない。

何と言うのか、ある意味で『家畜人ヤプー』の場合はそういった人間の過去の醜悪を全面的に思い出させようとするという点に於いて非常にインパクトのある作品となる訳だ。『ファンタスティック・プラネット』はある意味で周辺のことのような気がするから何となくどこかで了解してしまえる部分というのがあるのだろうけれども、『家畜人ヤプー』にはそういうことがない。徹底的なまでな「排除」とでも言うんだろうか、そんな感じが僕にはして堪らなかった。


とここまで書いてみて、僕は『家畜人ヤプー』って現代版のサドなのかとも思ってみたが、それはまた読み進めていく中で考えてみたいとも思う。

今日はこのぐらいにしておこう。いずれにしろ、『ファンタスティック・プラネット』はオススメなので見て欲しい。Amazon Primeで今なら見放題だ。僕は今日も帰ったらもう1度見るぞ!

あ、そうそう。本気で『身内対談集』を創ろうと思って、レコーダー購入しました。ぜひ皆との会話を文字に起こさせてください。お願いします。

よしなに。

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