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雑感記録(166)

【駄文の円環】


これまた2023年のうちに書かれる記録であり、何だか雑感記録(164)で1年の振返をした途端に考えることが数多く出てきてしまっている。「今年はこれでお終い」と息巻いていたにも関わらず、こうしてダラダラと書き連ね「何だかな…」と思いつつも、こうして書かずにはいられないのである。

「書かずにはいられない」?何だか自分で書いていて馬鹿馬鹿しくなるな。「書かずにはいられない」って所謂、中二病が言いそうなセリフっぽい。正直、格好つけようとして書いている節がある。と書いてみるも、自覚的にこれを書いているかと言うと難しいところである。こうして実際に文章を書いている訳だが、どうこれがここに書かれるのかということを大真面目に考えた時、的確に「こうである」と答えることは僕にとって不可能である。

さっきから「書く」だの「書かれる」だのとうるさい。自分自身で「書い」ているのだから自業自得な訳だけれども。


「最近、金井美恵子のエッセーを読み耽る。『目白雑録(ひびのあれこれ)』という作品である。これが僕には物凄く響いた。他にも『重箱の隅』というエッセー集も好きである。何が好きかと言われると」

とここまで書いて一瞬全て消した。そして再び書き起こした。
(ご丁寧に「」なんか付けちゃってね。)

いや、何で消したんだろうなと思いつつも、恐らく「金井美恵子のことを書くにはまだまだ僕には知らないことが多すぎる。」ということなのかもしれない。とこれまた書いておき、何で自分のことを書いているのに「~だろう」と推量の表現で書いてしまうのであろう。

書く時の「自分」とこれを読み直す「自分」、書きながら読む「自分」と少なくともここには3人の僕がいる…はずだ!もしかしたら隠れている「自分」も存在するかもしれない。誰だっけ、平野啓一郎だっけか?分人?だったかな?なんかそんな話書いてたけど…それとはまた違いそうだな。まあ、いいや。確定は出来ないけれども、この場に複数の僕という存在が重なり合って文章が書かれている(また!くどい!)訳であるのだ。

おっと、ここでは思いっきり断定してみせちゃったよ。急にね。

いずれにしろだ(おいおい、ここで無理矢理まとめようとしてる?)、「書く」という行為は(行為は?)、結局よく分からない。(おい)


思うんだけど、「書ける」のが凄いんじゃなくて、「書く」のが凄い。(ちょっと何言ってるか分かんない。)書くことの誘惑?ん?ちょっとよく分かんないな…。でも確実に言えることは(おっと、再びの断定)、書き始めたら止まんないということだ。

病気、なのかもしれない。ふと「人は止まれない」っていう言葉がよぎる。そもそも言葉は人じゃないがな。『クローズ』の映画で小栗旬が校内放送で言ってた記憶があるような、ないような。人の記憶はいつまでも曖昧であるが故に「らしさ」を感じるのは正解?

実はこれ、会社で書かれてる(仕事しろ)。でもやることがない。パソコン打ってる「フリ」だけするのはしんどいでしょ。かと言って、「フリ」だけしてるのは時間の無駄な気もするし。何か生産性のあることをせねば…。

という思考そのものが資本主義に支配されているのではないのかと思われて仕方がない。そもそも「生産性」ってなんだよ。これを書いてること(また出た!「書く」!)って何の意味もない訳じゃん。だって読んでるの結局最初に読んでるの自分だし。書きながら読んでるし。ん?書きながら読むってどういうこと?


今この文章を書いている、同時に読んでいる。思惟してもいる。これを書きたいとかないけれど、ただ手が指が勝手に打ち込んでいる。意識してる?いや、書いちゃったら「意識しろ!」って自分に言い聞かせているみたいじゃん。何かむかつく。言葉に左右されるって何か癪に障るんだけど。

よくさ、有名人とかの名言集とかってあるじゃん。あれって何なんだろ、ほんとに。あれはさ、言葉が凄いってよりも、言葉に使役されてるって事じゃんな。さぞご立派なこと言い立ててるけどさ、結局のところ言っちゃったことと辻褄合わせるために身体動かしてんじゃん。言葉がアプリオリにあるんじゃなくて、前提として行動があるからその言葉が成立すんだよね、きっと。

ちょっと何書いてるか分かんなくなって来たけど、少なくとも書いてる自分には分かってるらしいからあとはそいつに任せよう。もう何も言うまいって書かなきゃいいんだよ、書かなきゃ!!って書いたところで意味なし。(書いたの書くだの、書かんだのうるせえ。)

逆を(何の?)返せば、何にもしてねえ奴の言葉の方が凄みがある気がする。何というか「すげえ、馬鹿がなんか言ってやがらあ」って。で、そうそう!ここであれだよ!金井美恵子のところに戻るんだったわ。(わざとじゃないぞ。適当に書いてたらこうなったんだぞ。)

文学とか仰々しく言ってる奴いるじゃん?(それは俺。異論は認めない。)馬鹿だよなホントって思ってきている訳。自分も含めてね。オオマジメニ。金井美恵子のエッセー読むと、目から鱗よ。もう痛烈なのなんのって。これはね、読んで貰った方がいいね。特に男性。物書き目指してる男性。必見。心折れるから。

だからね、っていう訳ではないけれど、僕も柄谷行人みたいに実は昨今の「文学」なんて期待してないんだよ。期待?まあ、僕は読む側の人間だから別に期待しなきゃ期待しないで読まなきゃいいだけの話なんだよ。でも、やっぱ何となく嫌な訳。どことなくムカつくんだ。説明できないんだけど!腹立たしいんだ!

「文学」「文学」「文学」…って何だかもう自分が虚しい。だってそうでしょ。今この時代に於いてやれ「文学」がどうのこうのとか、やれこれは純文学でどうのこうのとか、無意味じゃん。結局社会のエンタメで終わるんだよ。本気で考えてnote書いたって何にも変化なんてしねえ。ぐるぐるぐるぐるグルコサミン。円環。1人で回ってんだよ、犬みてえに。

結局のところさ、こんなこと言ったら元も子もないけど、「文学」を真面目に考えてない奴ほど「文学」「文学」とか声高に叫んでんだよな。(それは俺だ。ん?)いや、でも僕は反論したい。(俺に?)そう。僕は今の「文学」に実は期待していないのだ。(おいおい、今ここで取り繕ったんじゃねえのか?)というかさ、今「文学」「文学」って言う必要ないんだよな、そもそも。


僕は既に「文学」というのは死滅していると思っている。というか、金井美恵子が「私は文学など担いたくもないね」と堂々と言っているその姿に感動したね。そうなんだよ、今この時代に「文学」「文学」って言ってる方がちゃんちゃらおかしな話だ。死んでるんだもん。「文学」なんてもはや死語なんだよね、恐らく。

だから、黙ってやりゃいいんだよな。だから実はめちゃくちゃ反省してるんだよね。僕は。何だかさ馬鹿みたいにさ「文学は死んだ」とかさ、いやアホ丸出しのニーチェかよってね。(……。)だからもうそんなレヴェルで話するんじゃなくて、そのものとして話をすべきなのよ。当たり前だけどさ。

もうね諦めが悪いクソ親父なんだよな、思考が。「未だに文学はあるんだ!」みたいな感じでギャンギャンnoteで騒ぎ立てている。でも、これ本気で考えたことある?だってさ、「あなたにとっての文学作品は何ですか?」って聞いてみてごらんよ。僕は絶対に聞かないけど。(なんで言い出しっぺのお前が聞かんのだ?)多分さ2通りのパターンがあると思ってるのよ、個人的にね。(ほうほう。)1つ目が無難に自分の好きな作家ね。しかも最近読んでる。(なるほどな、最近読んでるってのがあれだな。)ほんで2つ目は無難に昔の作家を挙げるんだ。「私無難でしょ」ってな。(なるほどな~、良く魅せようっていうだけなんだよな。)

僕は前者でありたいわけよ。というか、僕の場合は最近読んでるもんが哲学とか所謂「文学」って言われてるもんなんだよな。(そのお前の言う「文学」ってのは何なんだ?)僕がね、想定している「文学」ってのは、要するに「近代文学」っていうやつなんだよな。(ん?それはどういうこと?)なんて言うかさ、前も書いた気がするんだけども「社会を変え得るような作品」ってことね。(ん?そしたら今の「文学」と言われるような作品は違うのか?おかしいじゃねえか?お前が最近の小説を読んでねえだけじゃねえのか?舐めたこと言うなよ。)

うーん、それを言われると辛いな…。(ほらみろ、お前はただ「文学」?「近代文学」って奴に捕われているだけなんだよ。幻想ばっか追いかけてねえで現実見ろや。)しかし、何だかな…。(何が「何だかな…」だ。ふざけんな。)でも確実に言えることはあるだろ?(なんだそれ。言ってみろよ。)


それは…。(それは?)


何度も言うようだけど、「本の商品化」が根深くなったってことなんだよ。

(は?)

僕はね、常々思うんだよ。今この世界で本を書くということは同時に「売れる」ってことなんだよ。つまりはさ、何のために書いてるかっていうのが資本主義に全部根こそぎ持ってかれてるんだよ。(ほう…。)というか、「売れる」の質が下がったんじゃないかと思うんだよ。(ん?訳分かんねこと言うなよな。)

いや、だからさ、読む側としても、書く側としても双方に質が落ちたってことだよ。当然に僕も含めてさ。(あん?喧嘩売ってんのか?)だってさ考えてみ?(おん。)『君の膵臓がたべたい』が大ヒットする世の中だぞ?あんな詰まんねえ小説がヒットするなんて訳分かんねよ。(…んまあ、それは俺も激しく同意するな…。)それにさ、他のもの、小説でも映画でも何でもいいよ。(おう。)何だか「売れるために作ってます」みたいなのが見え見えじゃんか。(ほう、例えば?)

例えば?そんなの挙げ出したらキリ無いぞ。(いや、そこまで言うなら挙げて見ろよ。)そうか?じゃあ、試しに挙げてみるぞ。この間といっても結構前だけど、恩田陸の何かを読んだんだよ。(何かってなんだよ。)確か『麦の…』なんちゃらみたいなやつ。それさ、読むじゃん。読んでるとさ、もう先の展開が見え見えな訳よ。(ほう。)ほんでさ、ミステリーぽかったからさ叙述トリックの1つや2つでもあるかと思ったら普通に終わる訳。(ほう。)

もしかしたら僕が詰まらない作品を選んでしまったかもしれないのかもしれないけれども、まあ酷いもんだったよ。(どこが?)だってさ、こっちが「うーん、これってこういうことなのかな…」って考える間もなく次の文章に答えが書いてあんだもん。(ほう。確かにそれは詰まらんな。)いやね、別に良いんだよ。書いてあったって。(無論そうだ。)でもさ、毎回毎回答えばっか書かれてたら読む意味ないじゃん。(いや、でも読まなきゃ分からんだろ?)

いやいや、そう言うことじゃなくてさ。(じゃあ、どういうことなんだよ。)つまりはさ、僕らの積極的な能動的な読みっていうの?そういうのをする余地がないんだよ。(なるほど。それは分からんでもないな。つまりはお前の言いたいことってのは、自分を没入させる事無く読書が出来てしまうってことに危機感を覚えている訳だな。)そう!そういうこと。そういう作品があまりにも多すぎる。余白がねえんだな。

金井美恵子も言ってたけどさ、何かを論じるとか書評みたいに短い文章書きたいってなったらさ、最低限のマナーとしてさ辞書を引くぐらいの努力はすべきじゃん。あのね、そんなもんじゃない。引く気すら起こさせないの。だって、読めば分かるんだもん。(そらそうだ。ミステリー作品なんかはそうだな。読めば結局犯人とか分かるしな。)

で、そういうことを考えて見た時にさ、そういう作品多すぎじゃね?(んまあ、確かにそうだけどさ…。でも、お前がそういう作品を知らないだけじゃねえの?例えばさトールキンの『指輪物語』なんてさ、それを読む用の辞書がある訳じゃんか。って考えたら探せばあるんじゃねえの?)まあ、其の通りなんだけれどもさ、探すのもめんどくせえのよ。(まあ、それは分からんでもない。)


とにかくさ、何て言うか「文学」について考えるのが阿保らしくなった訳、最近ね。ものすごく。(そうか…。じゃあお前はこれからどうすんの?このnoteも結局のところクソみてえな文章ばっかになるじゃねえか。それはお前のプライドが許せる訳?だってさ、お前はお前が書く文章が1番好きなんだろ?納得できねえ文章ばっか書き続けることなんて出来んのか……?)

だから、方向性を変えるんだよ。(ほう。)

僕が好きなのは「文学」じゃなくて「作品そのもの」なんであって、「文学」が好きなわけじゃない。(何だか、お前、屁理屈じゃねえのかそれ?)そして、これからnoteに書き続けることは「文学」についてではなく、好きなことをただ書くことにしようと思うんだ。(いやいや、無理無理。)

どうしてさ?

(だって、何だかんだで「文学」ってのを信じてんだろ?)


茶番劇。笑えない。だがこれは僕の生の声に近いかもしれない。

よしなに。


※この記録は12月27日(水)に書かれたものである。本当は散文詩みたいに書きたかったのだけれど、自分の文才のなさに呆れた1日でもあった。






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