見出し画像

私は駿台予備校卒業生 その2 物理の山本義隆先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 物理の山本義隆先生の話。

 1970年代中頃、私は駿台予備校の生徒でした。毎日、高校が終わると図書室に行き、そこから御茶ノ水まで通いました。夏休み、冬休み、春休みも自宅から講習会に通いました。
 同校には、個性あふれる講師の方々がいらっしゃいました。私の心を捉えた講師の方々は、皆入試のためではなく学究生活の礎としてというスタンスで授業を構成していらっしゃいました。

 今回は、物理の山本義隆先生の話。

 私としてのキッカケは、元全国全共闘連合議長という不思議な経歴。学生運動の何たるか知らぬままの興味。本質は今でも整理できていないのですが。

 一度だけ上手く授業に紛れ込んだのですが、拍子抜けするほど期待した毒気のない、スマートな講義でした。経歴は以下の、綺麗にまとめたものがありますので、そちらをご覧になってください。

 講義ですが、経歴とのギャップに強く感銘を受けました。考え方を大切にして、数学をツールとして使うスタンスも気に入りました。授業の詳細も以下に綺麗にまとめたものがありますので、そちらに譲ります。

 以降、60歳を過ぎても物理学への興味は枯れず、数学を、今はコンピュータープログラムやAIをもツールとして使うスタイルで知的な好奇心を満たしています。
 特に、物理へのスタンスをそのまま音楽制作にまで適用して、人生を楽しんでいます。

 山本先生との出会いが、人生を豊かなものにしました。




この記事が参加している募集

忘れられない先生

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?