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羨ましさから離れる

昔はよく「〇〇はいいな〜」と思っていた。
それは、憧れや目指したい道しるべというよりも、その地位や環境を与えられることを願っている状態だった気がする。

「羨ましい」
意味:他の人が自分より恵まれているように見えて、自分もそうならよいのにという気持ち。
語源:羨ましいの漢字「羨」は、「羊」+「よだれ」からなる会意文字で、良いものを見てよだれを長くたらすこと。
「羊」は、「よいもの」「うまいもの」を表している。

要するに、”指をくわえて待っている状態”だということなんだと思う。

ただ、今は羨ましさという感情が全く無い。
それは、年齢を重ね、様々な体験・経験の中で少しずつ無くなってきた感じ。

もし羨ましいと思って、願った地位や環境が本当に手に入ったとしたら、、、。
それは、100m走でトレーニングせずにオリンピックの表彰台で一番高い場所に立っているようなもので、サッカーで予選を戦わずしてW杯で優勝しているようなものだからだ。

いや、、、。という感じでしょ?
それで喜びが感じられるだろうか?楽しさがあるだろうか?と思ってしまう。
そして、羨ましいと思って眺めている”それ”は僕の人生ではないし。とも思うわけで、羨ましいという気持ちは他人軸で、自分の人生の時間を誰かに、何かに依存している状態なんじゃないかと思う。

そんなことを感じ始めてからは、羨ましいという感情から離れるようになってきたし、人や環境とのちょうど良い付き合い方を考えられるようになった。

自分の人生を創れるのは自分だけだし、それは”今”という積み重ねでしかない。
その時間が人生に鮮やかな彩りをもたらしてくれる。

母親に昔から言われてた。
「人は人、あなたはあなた」。




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