平野琢也

編集者

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焼け残り

<焼け残り> 全焼の火事跡にも郵便が届く 炭化した柱と折れ曲がった鉄骨の脇に 黄色い郵便受けが立った 焼けた家の名を小さく記し 足元を分厚い鉄板と煉瓦が支える 私は火に抗うと宣言するように 焼け跡に小さな青いテントが立った 4本の支柱と屋根だけで雨は凌げる 後片付けの時に休むのか 逃げ戻った猫たちのためか テントを風が吹き抜ける 今日は手紙が届くだろうか 焼け跡を掘る スコップで鶴嘴であるいは素手で 探すのは燃え残った財産ではない ここで過ごした幾十年の歳月が 灰の間から

    • お喋りなヴァイオリン

      <お喋りなヴァイオリン> 歌ってなんかいられない 喋らねば喋らねば この世は伝えたいことばかり 音符の多さうねりの強さは 心の動きそのままなのだ 喋らねば喋らねば 音符は心に追い付かない でも時には川辺でひと呼吸 羊飼いのマドリガーレ ジプシー奇想曲 スペイン舞踊 あちこち転がっては戻ってくる リズムよくテンポよく 国から国へ 時代も軽く飛び越えて 早く早く伝えたい 楽しい思い出 勇者の帰還 もの売りの声 荷馬車の掛け声 この世に人がいる限り この世に言葉が湧く限り 喋らね

      • 風の通り道

        <風の通り道> 入り口はこちらという矢印に従い 細い通路で裏手に回る 青と白のペンキが剥げた小屋から パンを焼く匂いが流れていた    ブルーベリーの助けを借りて    風が運んでくる酵母を育てます    培養した酵母をつないでパンを焼いています 風の通り道に立っているのはパン焼き小屋とパン職人 酵母に囲まれ技能をみがき パンを介してみんなとつながる    酵母がうまく育たないとき    パンが売れないとき    私はもう一度風に聞く    それが私の暮らしの形    

        • かたすみに

          <かたすみに> 土地がないので花壇に埋めました 小山を作って枯れ枝を立てました 雨が降っていました 傘はさしませんでした 勤め人がたくさん歩いていました 小山を作った砂が少し崩れました 土地がないので花壇に埋めました 水をやり花が咲き人が行き来して やがて土にかえるでしょうか ひろって帰ったあの人の髪の毛

          遠すぎる

          <遠すぎる> 遠すぎる そう言って痩せた若者が闇に走り込んだ 海まで遠すぎる 故郷まで遠すぎる 夢まで遠すぎる 明日まで遠すぎる 若者は酒を飲む 若者はメシを食う 味はなかった 若者はやせていった 遠すぎる 明日まで遠すぎる 遠すぎる 夢まで遠すぎる あなたまで遠すぎる 若者は何度も同じ歌を歌って 闇を走り抜ける

          こんな月夜に

          <こんな月夜に> こんな月夜の山に明りを持ち込むのは誰だ 薄青い光が作る陰の中で 獲物を探すもの、眠りにつくもの 遠吠えするものが住まうところ 熱すぎる光は穢れと清浄の区別をなくす 暗すぎると思うなら立ち去れ あるいはそこで朝の光を待て 夜の光に生きるもの 朝の光に生きるもの 住まう世界も見える景色も異なる掟に生きるもの 熱すぎる光ですべてを照らし出そうとするものよ 闇をどこに持ち去ろというのだ 光度が増す分、世界は水と土と空気を失くしていく 原子の炎、水素の反応は 夜と

          こんな月夜に

          悪口

          <悪口> 根腐れして骨の髄まで崩れている 傾いだ体を自ら立て直す気力はなく 惰性の風に吹かれて なんとかこのぬかるみが終わらぬかと虚しく願う この国の政治家の志の低いこと 猿が生き延びようと子供をたたき殺す意志にも及ばぬ腑抜け面 私を選んだ者たちを笑え 奴らがこの政治風土を作ったのだと 高笑いする二世三世の勘違いども 血の濃さだけが自慢の厚顔無恥 世が動くのは私が動かすからだと札束の上で昼寝する 脂でてらてら光る鷲鼻の臭いこと それに気づかず他人を指弾するのは 特技の物忘れの

          ミズダコ

          <ミズダコ> 知床の冷たい海にすまうミズダコ 世界最大のタコは他人の巣穴に長い手を伸ばし 安全な空間を乗っ取るのだ 落ち着き場を得たメスは強いオスを待つ 先陣争いに勝ったオスは長い腕をメスの巣穴にねじ込むのだ 腕の下には精子の詰まったカプセルが幾百 一時間もまさぐり合ってオスは去る 残ったメスは卵を産む 穴の天井に仏具の華鬘のように卵の房をぶら下げて メスは口を鞴(ふいご)にして新鮮な水を吹き続ける 時には八本の脚を歯車のように回転させ 巣穴の汚れを外へ掻き出す そうやって冷

          心がいっぱい

          <心がいっぱい> 心がいっぱいになる 清冽な流れを見たとき 山稜を超える雲を見たとき あの人のことを思い出すとき 心がいっぱいになる 仕事の結果をさげすまれたとき 父の手術が失敗だったと知ったとき 誰も声を掛けてくれなかったとき 心がいっぱいになる 赤ん坊が笑ったとき 自分の子供が友だちと一緒に走り去ったとき 入院した母の足の爪を切ったとき

          心がいっぱい

          切り株

          <切り株> 木を切り倒すのは快感ですか 大きな木ほど征服感は深いですか 最後に残った繊維が木の自重で切れて倒れるのはいい気味ですか 濡れた新鮮な切り株に乗れば 歓声を上げたくなりますか 大きな唸りを上げるチェーンソーを使うとき 全能者になった気分ですか 道具を介して自然と向き合うとき 対等な対戦相手になった気分ですか 人が去った切り株の上に小さな虹が立つ 弔うように祈るように 小さな雲が湧いて地の水を呼ぶ 百年生きた木にまた原初の芽吹きを促すように 風が森の命を連れてくる

          自己紹介

          <自己紹介> 男です 夫です、父です、やがて誰かの祖先になります 空に挨拶、森に挨拶するように 私は降る雨と雷に自己紹介した 光や水は作りません でも水を飲んで明るい部屋で本を読みます 種は作れません でも耕して種を蒔き水をたっぷりやってます 電気も石油も作れません でも祈ることはできます 挨拶することも 空に森に雨に雷に 新鮮な心と体で

          我が子よ

          <我が子よ> 我が子よ、と呼びかけたことがない 気恥ずかしいうえにおこがましい 半人前の大人ではなく一人前の子供 そう呼んで接してきたが 我が子よと呼びかけたことはなかった 自分の所有ではないのだが 他人のものでもない つまずいた、うつむいた、悔し涙を流した その度に駆け寄ったが 我が子よと呼びかけはしなかった 正面から向き合えなかったのかもしれない 向き合うことで自分の至らなさを晒すのが怖かったのかもしれない 我が子は今病に伏せる 我が子は今裏切りの中で深く傷つく あの

          帰りたい

          <帰りたい> 帰りたい そう思うと同時にどこへという声がする 家族のもとへ、森のなかへ、あるいはゼロの世界へ ここではないどこか 私を包んでくれるどこか そこにいてもいいと許してくれるどこか 誰もいないどこか 誰かがいてくれるどこか 私は遠い所からやってきたと思えるところ もう先に行かなくてよいと思えるところ 時計がないところ 帰りたい そう思うとき、私は何を見ているのだろう 鳥の声は聞こえず、風も吹かない場所 私が放り出されたところ 夢の捨て場所

          運ぶ

          <運ぶ> 両手に生きた鶏を下げて運ぶ 頭にポリバケツを乗せて水を運ぶ 片手にサトウキビの稈を握って運ぶ 両手で今夜の薪を運ぶ トラックの荷台に20人の働き手を運ぶ 誰かに何かを届けるため モノを運んで人と人を結ぶ バスで飛行機で運ぶ 車で自転車で運ぶ 荷物は山盛り こぼれ落ちないよう気を付けて 運ぶ ロケットで探査機を モーターボートで救急医療品を ロバが引く荷車でキャベツと人参を 運ぶ 歌が思いを 波音が遠い記憶を 運ぶ 川が道路が海が空が モノと人を包んで運ぶ

          再会

          <再会> もうお会いすることはないでしょう 蝉の声がいつまでも衰えない夕暮れ 遠くで雷が鳴りだしました 相まみえたのはもう7年前 手紙もメールも途絶えて 噂を伝え来る人もなくなりました 再びお目にかかることはないでしょう それなのに忘れることはできそうにありません その声、仕草、横顔と手紙の文字 何がきっかけになるのか 散歩の橋の上であるいは 台所の窓から見える梢のそよぎの中に 毎回、初めてのようによみがえってくるもの もうお目にかかることはないでしょう それなのに忘

          夏草

          <夏草> 草の成長エネルギー 太陽から光と熱を受け取って 身を鍛え上に伸び下に潜る 夏草は抜いてもむしっても刈り取っても 再び生えてくる 根がある限り、種ある限り 何度でも生まれ直す 黒光りする太陽光パネル 耕す人が消えた田畑や山裾に入り込み 風雨にさらされ埃をかぶりながら電気を生み出す 賢い人が生み出した技術の結果なのに 親しみや敬意が湧かないのはなぜだろう 二十数年の耐用年数を超えるとゴミとなり また別の黒いパネルがやってくる その年月の間に人はもっともっとと電気