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Letter to ME

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自分へ贈る日々の備忘録
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2014年9月の記事一覧

恋とか愛とか

人は何かに「恋」をしながら生きているんだろうなと思った。それは、恋愛とか、たとえば恋人、のようなものでなく、乞い、というところにつながるような、ある種祈りにも似た、感情を、抱きながら生きている。のかもしれない。とても抽象的なので、言葉にしようとするとちょっと無理を感じるけれど、そういうことを、ふと思ったのだった。

たとえば純粋さに恋する人、たとえば恋に恋する人、友達に恋する人もいれば、仕事に恋を

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遠い眠さの果て

夜更かしした次の日ほど、頑張って早起きしようと思う。でも、できない。大体いつもそうだ。夜更かしした次の日は大体休日なのだから、早起きなんかしなくてもいいのに、誰に言われるでもなく自分がだらしない人間だと言われそうな気がして、だから、早い時間に目覚ましをかけたりしてみるのだった。でも、起きれたとしても起きれなかったとしても、やっぱり眠いので、昼寝をする。昼寝をしても、目の疲れはとれないが、それでも昼

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刺さる光

先週の金曜日から日曜日にかけて、旧友と下田や伊東や沼津へ旅行に行ってきた。こんな風に言うのはなんだか感傷的だけど、久しぶりに腹の底からげらげらという声をあげて笑った。本当に、げらげら、という擬音が似合うような笑い声だった。

下田にはかの有名なペリー提督が来航しているが、観光地の雰囲気を上から塗りつぶす庶民の生活臭が面白く感じた。下田に立ち寄ったのが平日だったから余計か、鈍色の空の下の閑散とした町

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金魚の墓

先日、母が浮かない顔をしていたのでどうしたのかと尋ねたら、飼っていた金魚が死んでしまったらしかった。この家に住み始めた頃から、我が家の玄関には金魚鉢が置いてあって(常滑焼の大きな陶器の鉢だ)、そこにはいつもホテイアオイが浮かび、金魚が数匹泳いでいた。一番最初に、ホームセンターで買った金魚は確か「和金」という種類だったように思うけれど、私は母ほど熱心に金魚の世話をしていなかったのでよくわからない。こ

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男女男と女男女

今日、仕事で書類の束を大きいクリップで止めたかったのだが、大きいクリップをまず広げるほどの握力がない。ガタイはいいのに握力がないので、散々バカにされてきたのだけれど、書類を束ねられないのは困るので、男の先輩に「すいません、私握力ないんで、クリップ開いてもらえます?」と頼んだら、「え、握力いくつなの?」と聞かれたので、屈辱的だと思いつつ「19です」と言うと、彼はがはは、と豪快に笑って「なんて女子みた

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存在しない落とし穴

自分のことを一番貶めるのは自分自身だと思う。毎度思う。毎度思いながら、自分が一番可哀想だと思わずにはいられない。雨の日や、風の強い日、誰かと喧嘩した日、憎んだ日、愛した日、なんでも、どんな日でも、自分が自分を貶めている。どうして、そんな風になってしまうのか、死ぬまでよくわからないのかもしれない。

今日は一日静かに仕事をした。いつもだと先輩や後輩とぶつくさわあわあ話しながら仕事をしているのだけれど

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身近なみなもと

大学時分に、文学の先生が教えてくれた松尾芭蕉の俳句が思い出せず、ネットで思い当るキーワードをやたらめったら打ち込んでみたけれど出てこなかった。そもそも、芭蕉じゃなかったかもしれない。でも、奥の細道だったか笈の小文だったかをやっていたときだったと思うので、芭蕉だったと思う。一輪挿しと硯か、なんか、そんな、ぼんやりした組み合わせで、大したことを読んだ句でもなかったのに、美しくて感動した。そのときに先生

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栗大福のこと

今日、両親と一緒に買い物をして、帰り道に父が「お前、栗大福食べる?」と聞いてきた。家用と行きつけの喫茶店のマスターにお土産用に買ったらしく、二個入りか三個入りか、どちらを家用にするかを悩んでいたらしい。私が食べるなら三個入り、食べないなら二個入り。私は即座に「食べない」と答えた。そうして喫茶店には三個入りが贈られ、二個入りのうち一つを、さっき父がもぐもぐ食べていた。

よく、小説で「栗大福」とか「

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よこから好きだと言えばいい

人には向き不向きがあって、そういうことを、ときたま忘れて、「無敵」とは思わないけれど、自分はそれなりになんでもできるんじゃないかと驕るときがある。驕る、というか、やっぱり忘れるという表現が一番近いと思うから、忘れてしまうときがある。

物事にぶつかったとき、治りかけのかさぶたをひっかいて「あ、かさぶたあったんだ」と思い出すように、「あ、わたしこれ向いてない」とか「あ、私これ苦手なんだ」って思い出す

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Top of the world

自分にとっての最高のものってなんだろう。

抽象的すぎて自分でもよくわからないけれど、最高にいい、と思うものって、やっぱり、少ない。少なくて、そしてそれは突然、現れる。

意地くそが悪いので、自分以外の創作人のものに目を通すことはほとんどないのだけれど、興味はあるので気まぐれを起こしたときに不意に「最高」を見つけると、身震いがしてごめんなさい私が悪かったです、と謝ってしまう。土下座してそのまま地中

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