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「書くこと」が精神安定剤だった

このことを一番実感したのは、アメリカに留学して2年目の夏だった。

アメリカの新学期は9月から始まる。前倒しで日本から渡米した私は、ファミリーが引っ越した新しい家にポツンと一人の時間を過ごしていた。というのも、ファミリーはフロリダへ旅行に行っている最中だったから。

知り合いが顔を出してくれるし、特に不便はなかったが、独りでいることが不安を煽ったのか、よからぬことばかりが頭をよぎった。

当初、長期の留学に両親は反対で、最後は折れてくれたものの、私を送り出す時はどんなに心配だったかを思うと心が痛んだ。

反抗期まっただ中で、自分の家族を忌み嫌い、私をわたしたらしめるものをとにかく否定したかった。
「この家にいたら腐る」本気でそう思い、自分の逃げ場所を探しながらこんなところまで来てしまった。

今までの素行の悪さがたたり、日本に残してきた家族になにか悪いことが起こるのではないかという思いでいっぱいになってしまった。
いてもたってもいられなくて、必要以上に日本に電話をかけたりしていたが、それでも気持ちは収まらず、私は憑かれたように不安をノートに吐き出した。
神様に向かって、ごめんなさい、ごめんなさい、どうか家族を守ってください、と。
いま思えば、どうにかしていたなと思うけど、あの時は書くことでなんとか自分を保っていたんだと思う。
誰とも共有できないと分かっていたから、自分の心に直に語りかけるように、ひたすら祈りの言葉をつづり、「大丈夫大丈夫」と言い聞かせていたのかもしれない。

ファミリーが戻らない間、私の面倒をみてくれた親戚のおばちゃんがいて、彼女に心の内を少しだけ話したことがあった。その時に言ってくれた言葉を今でも覚えている。
「離れていても、あなたが大丈夫であれば、あなたの家族もきっと大丈夫なはずよ」
(そっか、私が大丈夫なら家族も大丈夫なんだ)
心にスッと入ってきて、だいぶ気持ちが楽になった。
それからファミリーが帰宅して、新学期も始まり、目まぐるしい毎日の中で私のパニックは身をひそめ、書くことからも遠ざかっていった。

書いたものを見返すことはほとんどなかったが、筆跡は傷跡のように残っており、そこに感じ取れるのは16そこいらの一人の娘が、なんとか今を必死に生き延びようともがいている姿だった。


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