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【ものがたり】ショートショート

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短い物語を。温かく見守ってください。修行中です。
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記事一覧

いえない男女|ショートショート

 炬燵机で斜め向かいに座る男女。女が持ち出した離婚届が机の上にある。女の側は記入済み。 「えっと……、これ、本気?」  戸惑うように女を見る男。口元だけで微笑む女。 「本気じゃないよ。だから、俺はいやだって言ってほしい。でもあなたは言わないから無理でしょう」  うつむき、目を泳がせる男。今度は目元も笑う女。 「私はあなたと結婚していたいし、これからの人生も一緒に過ごしていきたい。でもあなたはそうじゃないみたいだから」  男の口がもごもごと動く。けれどなにも言わない

言葉の裏側|ショートショート

 妻が唐突に、首を傾げて囁いた。 「ねえ、あたしと結婚して良かった?」  妻の目は丸く澄んで純粋だった。その目を前に誰が否定の言葉を放てるだろう。 「もちろん、良かった」  間髪入れず答えた僕に、妻は莞爾と笑う。これは誘導尋問だ。妻が安心したいがための。  けれど安心を与えたはずの僕の心には、もやっとしたものができた。妻の言葉によって、そうでない可能性が目の前に浮上したからである。もし彼女と結婚しなかったら、別の人と結婚していたら、その方が僕は良かったのではないか。  浮気し

そこにつくる想い|ショートショート #月刊撚り糸

 じわりじわり、とその感情はわたしを浸食した。だれもなにも悪くない。ただタイミングが悪かったのだと、そう叫びたかった。 「ね、別れよっか」  わたしがそう告げたときの彼の表情を、よく覚えている。鳩が豆鉄砲を食らったような、と言うのがぴったりな、なにがあったのか分からないという顔をしていた。 「へっ?」  その表情が愛おしくて、微笑んだ。なぜだか分からないふりをした涙を零すまいと堪えた日々の終焉が笑顔だなんて、秀逸すぎる。 「え? ちょっとどういうこと?」  諒(り

角を曲がったところにあったもの|ショートショート #月刊撚り糸

「ね。別れよっか」  笑顔でそう告げられたとき、俺はとても間抜けな顔をしたと思う。何を言われたのか、何と言われたのかにわかには理解できなくて、驚きすらもまだ訪れていなかった。 「へっ?」  俺たちは一緒にNet○lixで映画を観て、お茶を飲みながらだらだらしていたところだった。映画はふたりとも好きなアクションもので、面白いねと笑顔で話をした。いつも通りの日常、この1年間一緒に住んで馴染んだ日常そのままだった。  なのに架寿実(かすみ)は、いつもと変わらない笑顔で、言葉の

ジョハリ #月刊撚り糸

 ふと目覚めて、隣を見て溜息が出そうになるのを慌てて堪えた。安らかな寝顔と安らかな寝息。なんだか息苦しくなって、涙腺が緩んだから反対側に寝返りを打つ。  どうしてだろう、と思う。この人生を選んだはずなのに。この人を選んだはずなのに。  部屋はまだ暗い。きっと朝は遠いのだろう。もうひと眠りして起きたら、あの友人に電話をしようと思う。 *** 「ジョハリの窓って知ってる?」  佳奈がそう言ったのは、社会人になったばかりの頃だった。 「うちら何学部卒よ?」  椎名はそのとき

明けまして #月刊撚り糸

 本当に何年振りかで、年賀状を出すことにした。実家にいた頃は両親が毎年用意するのに便乗していたものだが、ここ数年は喪が続いたこともあって姿を見ることもなかった。  寒空の下、郵便局の外に張ったテントではがきを売るお兄さんから、三十枚ほどを買い取る。パソコンのソフトを使ってデザインを作り、はがきに印刷した。自宅の小型プリンターから吐き出されるそれらを見ながら思う。出す相手は三十人もいないのに、こんなにたくさんあってどうしようか。  脳裏に、久しく連絡を取っていない友人知人の

知っていた、信じてた。 #月刊撚り糸

 海を眺めて生物の歴史を知る、空を仰いで世界の小ささを知る、そんな高尚な人間にはなれなくても、ケイは充分幸せなのだと自認していた。  ケイは、特別頭のよい人間でもなく、特別見目の整った人間でもない。特別友人が多いわけでもなければ、資産家の家庭に育ったわけでもない。 それでも、幸せなのだと思う。そう信じて生きてきた。  信じることと知っていることは似ているけれど反対だ。  ケイの友人に、リョウという人物がいる。小さく可愛らしく、くりくりとした目がまるで小動物のような、ほん

あちらとこちら、夢のまた夢 #月刊撚り糸

 僕から見て、彼女はいつも『あちらに行ってしまいそう』な人だった。あちらってどこかだなんて訊かれても答えられない。とにかく、ここじゃない、もう二度と会えない、そんなところだ。  はじめて彼女に会ったのは、僕が新卒で入った会社を燃え尽き症候群で辞めたばかりのころだった。もうなにもやる気がしなくて、なにもできる気がしなくて、残業のおかげで貯まる一方だったお金を頼りにひたすらぶらぶらしていた。食べることにだけはやる気を見出せたから、その日も僕はずっと気になっていたお店に出向いた。

同じで違って同じもの #月刊撚り糸

 空が泣いている。  その表現は昔、ある男の人が彼女に教えてくれたものだった。 ——なんて、夢物語が現実だったらいいのに。  今日花(きょうか)はほうとため息をついた。空が泣いている、という表現を彼女に教えたのはなにかの本で、それがいったいなんの本でだれが書いたものなのか、彼女はもう覚えていない。  忘れられているからこそ夢がある、ようでない。そんな言葉を胸に抱えて、今日花は四角い窓の外を眺める。時雨。日本の雨を表す言葉は美しい、と思う。 「きょーうかっ」  どん、

世界|ショートショート

<和那の場合>   息の詰まったような感覚があって、和那はくいと顎をあげた。昨夜の行いやそれより前の会社での会話を思い出して、肺がいっぱいになる。  自分の中に、他人がたくさんいるのが苦しい、と思う。  それは彼の言葉や行いであるし、職場の先輩の態度や話であるし、友人から定期的にくる現状報告の連絡であるし、そういう他人の持つ気配のことだ。  普段は——、そう、普段は特別なにも思ったりはしない。淡々と、それなりに面白がって楽しみつつ、日常を超えていく。  ただ、どうしてもそ

隣の異世界#ショートショート #月刊撚り糸

 異世界、という言葉がある。自分が今住んでいるこの世界とは別の世界のことだ。最近は、異世界転生、なんてのも流行っている。そういうことを、城戸小鳥遊(きどたかなし)は一般常識として知ってはいた。けれどもその異世界とやらがこんな近くに存在していることは、知らなかった。 **** 「キャベツをトマトで煮込むの? え、なにそれ、なにができるの」  藍田景子(あいだけいこ)の言葉に、小鳥遊は目を剥いた。景子の顔をまじまじと見つめるが、彼女の顔に冗談やからかいは見当たらない。あくま

心の開く場所|ショートショート

「美濃さん」  給湯室で声をかけられて、美濃香乃子はぎくりと肩を揺らした。バレたのだろうか。  声をかけてきたのは、香乃子の所属する広報課とは険悪になりがちな、総務課の片桐あゆ子だった。 「購入申請のあったソフトなんだけど」  淡々とした口調に安堵を覚える。なんだ、仕事の話か。安心して背筋を伸ばして返答する。仕事の話であれば、香乃子は自信を持って判断し断言できる。自分の言葉に価値があるのだと、自分の行為に価値があるのだと、そう思うことができる。 +++ 「壁作って

貝輪|ショートショート

 あなたは、私の友達に会ってくれる。会わせられる人なのが嬉しくて、ついつい私も友人との場に連れていったわ。本当にバカね、私ったら。 〇○○  他の友達は名前覚えないのに、■■のことは覚えるのね、って言えば。 「俺■■のしもべやからな。あいつは魔性の女やで」  冗談だとしても、そんなの聞きたくないの。ふーんって流した私に、否定の言葉くらい寄越してよ。 「■■って、結婚はすんの?」  それあなたに関係あるの? 「彼氏が俺と同じタイプなんは聞いたんやけど」  それで? だから

出会った日の寄り道 #月刊撚り糸

 その人とはじめて会ったのは、なんてことない寄り道でのこと。夏服がないと思って買い物に来たのはいいけれど、大荷物に炎天下がきつくてわたしは早々に音を上げた。とにかく涼しいところに入りたい、とその一心だったのだけれど、頭の片隅に住むミス倹約が、カフェなんてとこに入るなよ〜無駄遣いだぞ〜、と囁いている。そんな彼女との妥協案として許されたのが、入場無料の展示会場で、そこが運命の場所だった。    灰色の小さなビル。ガラス張りの扉を通った1階。受付らしき綺麗な服を着たお姉さんが、にっ