【苦笑、禁断の恋愛❗️❓😅😆😍】リンパ芽球性リンパ腫・白血病(7)

遠い遠い異国の地での出来事。これが事実かフィクションかは、読者の皆さんの判断に任せます。

タイミングとしては、確かICUから一般病棟に上がって間もなく、まだ医局兼ナースステーションに近い部屋に「住んでいた」時の出来事。

ちょうど、いつぞやの現代では「難民クライシス」と呼ばれる時期の出来事。

遠い遠い紛争地域から、色々乗り越えて、私の当時いた国に難民として受け入れてもらった看護研修中の男性。彼はよく私を受け持っていた。

しかし、まだまだ現地のやり方というか、病院のやり方に不慣れ。まぁ、だからこそ生まれる優しき行動や絆もあるんだよね☺️。

ある日、私は彼の腕を見て、輝きと艶(ツヤ)が尋常ではなく、きめ細かくてとっても綺麗な皮膚をマジマジと見て、なんだか感動するくらいその皮膚の若々しく元気で美しい様子に心打たれた。

つい、「なんて綺麗な肌」とボソッと声に出してしまった。

すると、彼は驚き、「バス停では黒いから汚いとか、いつも沢山の心無い言葉を浴びせられる」と悲しそうな顔で打ち明けてくれた。正直、現代社会でそんな人種差別的言動が飛び交うことに驚きを覚えながら、「それは、その言葉を発する人々の心の汚さを露呈するだけで、あなたの容姿も人格も一切現していないよ。なんて可愛そうな人々がこの世にいるものか」といったいったようなことを言った。

本心であり、本音がそのまま言葉になったのだ。

その後、何を話したかは、あんまり覚えていない。しかし、彼は元々一所懸命だったが、さらに色々奮闘していた。元々明るくて前向きだったが、以前よりも明るい笑顔に輝きが増したように感じた。

ある時、私がトイレに行くのに、普段は車椅子を使う場面で、彼は私の初めての介助を任されていた。その時、ヒョイとお姫様抱っこで私をトイレまで連れて行ってくれた。

身長は私と同じくらいの彼の力と身軽さ、機敏な動きに驚きつつ、ありがたかった。

それから、何度も同じ場所で時間を共有する中で、私たちは急速に距離を縮めていった。

連絡先を交換し、キスをして、私が寛解導入療法と次のサイクルの治療の間リハビリ病院に転院した後も毎日電話をした。

彼は、私に深い安心感を与えてくれて、私にも何か惹きつけられることがあったのだろう。距離が急速に縮まっていった。

アハハ、髪をオールバックに結び、何かでキラキラに整えて、再度ICUに入院した時に綺麗なバラの造花の美しい花束を持ってきてくれた。

彼は空手を学んでおり、その型を見せてくれたり、大会のビデオを送ってくれた。

こうして、急速にお互いがお互いに惚れていったとさ😊

今を大切に生きよう!

追記:私は今迷走しているように感じる。正直、自分の記憶と病気と蘇生周辺の事態への恐怖心の底なし沼で溺れていると感じることも多々ある。けど、人生、本人がイキイキと生きれば、色々な場面で華があり、色々な素敵な時間がある。身体的状況と「生きる」という可能性はかならずしも(=)イコールで結ばれているものではない。

大丈夫、大丈夫。

「今」を大切に「生き」よう!


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