プラタナスの実#10 読了【+健忘録//昔話】

一言で言うと、「良かった」です。昨晩眠前と今朝朝食前に二回も読んでしまいました😅


温かさが際立ち、登場人物達の葛藤もなんだか共感できるものばかりでした。

正直、プラタナスの実の鈴懸家のゴタゴタは経験ありません。でも、家も祖父の財産が全てパーで相続も零…… これが、騙されて根こそぎ持ってかれちゃったんだから、どこか鈴懸家のお父さん兼院長に親近感が湧く。加えて、家の祖父は患者さん一番で、良心的で最善の医療を儲けを一切考えずに提供する人でした。良いか悪いかはさておき、院外処方に変えずに、ずっと院内処方は患者さんが楽だからと維持しちゃってました。入院病棟を減らしても、当時入院患者さんで忙しい病院を支えてくれた看護師さん達を一人も解雇出来ずに、超赤字経営……優しすぎだったのでしょうし、あまりにも世間知らずだったでしょう。そして、口癖の「オラは医学以外のことは知らね」……と……祖母が病院の医業以外のことは全て担っていましたからね……第二次世界大戦中に女性なのに栄養大学を卒業したのだから、祖母も相当頭が切れたのでしょう。幸せな家庭と患者思いのひっそりした田舎の医院……それは、私の家でもあり、原点でもあったでしょうね。祖母は随分早く癌で亡くなってしまって……



祖母方は元々武士の家系で、明治維新後は呉服屋さんをやった時期もあったとか。お爺ちゃまと呼ばれる人物は、ど田舎から慶應義塾大学に出たイケメンボーイ風な地元では慕われた人物だったとか……その、おじいちゃま家系のご子息の株?の財産が今何やら裁判沙汰になっているとか……母は弁護士に相談して、無視して介入しなくて良いという助言に従っている。詳しいことは知らないけど……書いてみると、ドラマみたいに壮絶?🤣



祖父方は江戸時代から医者の家系で祖父は満洲育ち。日本が第二次世界大戦に敗れて、祖父が日本に逃げ帰った際には、見渡す限りの山々が自分達の土地という環境から、パンツ一枚で命からがら日本に逃げ帰った状況へと激変したとか。貧困の中で結核を患い、京都大学に編入予定だったところを変更して祖母の実家の療養所近くの大学に入学したそう。後?に療養所で出会った祖父と祖母は結婚して、私の片親を産み、私の両親の出会いと結婚、私の出産へと血筋が受け継がれたとさ……(私で途絶えさせたくはないなぁ)


ある意味では、祖父は一世で両家を復刻させたのかな? 一時は地元の医師会長で土地などの資産も沢山持っていたとか……それが、同じ代で零以下のマイナスにまで転じちゃうというのも凄い話だろう。とはいえ、私は直接的な恩恵も損害も受けていないと思う。母が色々処理して、色々堰き止めて、下の代は守ったのかな?


あ……横道に逸れてしまいましたね。プラタナスの実第10巻に戻ります。


潰瘍性大腸炎の内科的治療の寛解方向からの再発で、どの治療もFailってのも、どこか親近感が湧く。


私は……


内科的治療も外科的治療も両方受けているが、外科は最後の砦、内科は今やルーチンなものの、開始当初は国内初症例。



多分、一時期は内科的治療も色々と世界初症例だった。というか、多分じゃなくて、事実世界初の治療だと説明を受け、それに同意して治療を受けたこともある。随分と成功のみを確信して色々行ったなぁ……



潰瘍性大腸炎の内科的治療がどれも効かずに、外科手術での治療を余儀なくされた少年と、私自身が移植後再再発以来、色々思うように回復せず、今治療継続が綱渡り状態な自分の境遇が少し重なる。私に完治できる手段はないけれども、あったらいいなぁなんて思っちゃうよね。そして、この治療が最善と断言できちゃうエビデンス豊富な疾患のそういう側面には、若干の憧れもあったり……(世界初ってのは、前例ベースにこれが今までの経験上一番上手くいくと言えないってのが難しくもあり、そういうチャレンジは……人と場合によってはやり甲斐だったり……)


どこまで似ているかはさておき、今回の主人公患者の治療が行き詰まって、最後の手段を使ったことも妙に親近感が湧く。



外科医であるヒデくんが、私情が絡むからと「医師によっては身内の手術の執刀はできない」と、自身の仕事やプライベートの交差による葛藤も、妙に身近に感じる。


私は父の病理レポートを見た際に、このKi67で抗がん剤はこのタイプの腫瘍には効かないと…… とある症例で聞いたばかりだった。無感情?に抗がん剤の効果は否定的な可能性を主治医に確認すべきだと述べた。


しかし、同時に効かないのだとしたら、免疫抑制で引き起こされる感染症の重症化やそれの致命率にも思考は巡らせた。(敗血症含め、重症感染症は随分と身近で、抗がん剤治療中に最も警戒する合併症の一つである。)


今思い返して、情報と思考を整理する度に、今も当時と同じ結論に至るし、何度思い返しても、結論は同じだ。でも、やっぱり考えずにはいられない。診断から7年以上生きたということも、当時の決断が最善だったであろうことを裏付けているようにも思う。


本題に戻そう。


本人や家族に中立的で無感情な客観的判断は難しいと思う。当時最善を求め、最もエビデンスに基づいた選択をしたつもりではある。しかし、幾度となく自らの思考過程と当時の情報を回想し、その考えや判断に思いを馳せることは尽きない。(これは、患者や患者家族に限ったことではなく、医師も治療を指示する当事者として、医師のプライベートや一人の人として全くの無感情で客観的であるとも思っていない。皆が皆、己はパーフェクトではないという前提で考えて行動することで、最善のプランに行き着くと思っている。同時に、無感情で客観的ということが、私情・感情・熱意よりもベネフィットの大きい立場だとも考えていない。全てが入り交ざった感情も思考も、ある程度重要であり、全てを統合して最善を追求するのが一番だと思う。)医師も人間である以上、患者によって動かされる感情や思考が違うという現象も、それによって生まれうる葛藤も共感できる。特に思い入れが強くなる患者さんもいる。逆に、私情がプラスではない症例もあろう。それが、もしも害になるくらいならば、別の医師に患者を委ねた方が患者のためかもしれないと考えるヒデくんにも共感する。同時に、感情があっても、プロフェッショナルな判断はそれによって脚色されずに決めようとする院長にも共感する。様々なことを総合的に考え、自分で最善の治療とアフターフォローをしようと奮闘する気持ちも分かる。そして、プラタナスの実の鈴懸家程の影響となると分からないが、患者のプライベートと患者としての病気の治療を切り離せる心情にも共感はできる。ただ、この辺は皆がある程度受ける影響や葛藤、答えがない道で全ての医師が多かれ少なかれ常にさらされ続けることだろう。それを上手く3人の登場人物で描き出しているとも思う。



入院中に友達になった人と、院外で会って仲良くするのも、すっごく親近感がある😍(実は、この男児の患者くんと女児の患者ちゃん、将来恋愛に発展して欲しいなんて妄想もある。根拠は……ここでは書かずに心に閉まっておきたい。)


最後にヒデくんと真子ちゃんがキャッチボールをするシーンもなんとなく懐かしく、なんとなく昔の自分の夢を思い出させられる。


余談だが、昔、お父さんとキャッチボールをしたり、お父さんにサッカーを教えてもらったりするのに憧れた。父は脚を怪我しており、スポーツは出来なかった。代わりに、母が色々と相手をしてくれたり、教室に連れて行ってくれたりはした。けど、「お父さんにスポーツを教えてもらって強くなる」ということに、憧れは抱いた幼少期はあった。身近な助言でサクサク強くなるのに憧れたのかな? 母とスポーツをして、父にパズルをもらって……一番最初に手品をススメたのは父だったかな?けど、結局はお母さんとやったり、自分で練習したり……最初のロボット作成は母が可能にしてくれた。その後のロボット達も……か。母とも父とも一緒に遊んで、母に虫取りとかは教えてもらった。幼稚園児の時の夢は、お母さんのように素手でトンボを捕まえられるようになることだった。小学生で夢を達成したのだが、やはり母のようにもっと上手で素早くトンボを逃さず捕まえられるようになりたいと願った。楽しくて、素敵な子供時代を過ごしたと思う。それなのに、人間は貪欲だね〜。隣の芝生は青く見える。幼い頃は「父に教えてもらう」という、この教わることに憧れたなぁ。なんだか、ヒデくんと真子ちゃんが大人になって再会後初めてお父さんの家でキャッチボールをして楽しむ姿に、過去のしがらみや無駄な憧れなど捨てて、今の自分が目一杯楽しんでいる未来と夢を少し重ねたくなった。



またまた脱線から、プラタナスの実に話を戻さねば💦



ということで、今回の漫画の登場人物の背景や現在進行形の治療オプションの狭まり方や院内での出来事に、共感せずにはいられないのかもしれない。


普段は、なにかとツッコミを入れたくなるのだけれど、第10巻は共感と走馬灯の嵐的な作品でした。


読書感想というよりは健忘録に近いけれども、プラタナスの実第10巻読みたくなりましたか?


とても心温まり、前向いて未来を夢見られる素敵な作品です。



ぜひ、ご一読を〜😉🎶💕


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