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いま、日本古代史がアツい

証言はあくまで僕ひとりなので、確たる証拠はどこにもない。それでも、腹の底から叫びたい衝動に駆られている。


「いま、日本古代史がアツい!」


このことに気づいたきっかけは、このNHKの番組だった。

以前から、歴史、とくに日本史にかんする番組は多かった。とりわけ、NHKなどでは定期的にこのような特集が組まれている気がする。察するに、NHKは、これまでに何度も歴史番組を制作してきた知見と実績がある。くわえて、いまテレビを観ている視聴者の平均年齢は高そうなので、「大人の学び直し」という昨今の風朝ともピッタリ合致している。

ところで、「邪馬台国と卑弥呼のなぞ」は、非常に興味深い。

僕もこれまでに、その名前がつく本や番組には注目していたつもりだけれど、冒頭のこの番組は、非常にユーモラスでミステリアスで、新たな説にまた刺激された。

邪馬台国と卑弥呼のなぞ。

推定場所として有力なものは、近畿説と九州説である。くわしいことは調べてもらえればよくわかると思う。邪馬台国といえば、我が国の歴史テキストの最初のほうにかならず載っている国の名前のひとつである。読み方が、のちの「ヤマト政権」と似ていることや、大和、いまの奈良県にある「箸墓古墳」が卑弥呼の墓であるなどと、わりと近畿説に傾いてきているのが現状だと思う。

それにしても、3世紀中頃(卑弥呼の死が247〜248年頃とされている)の事実が、1700年以上経ってもわからないままというのは末恐ろしい。1700年もまえのことだからわからないんじゃないか、という声もありそうだけれど、世界中どこにいる相手とも会話ができたり、電気自動車や宇宙ロケットだなんだと言っている未来人の僕たちなら瞬時にわかりそうなものなのだが、そう簡単なものでもないようだ。

想像をめぐらす。

当時は、紙の資料どころか、そもそも文字も言葉も存在しない。では一体どうやって彼・彼女らは家族になり、食べ物を確保して、ときには争いをして、国というまとまりをつくることができたのか。それは当然、「後世に残す」という意味での文字や言葉がないだけで、古代人にしか理解できないコミュニケーションツールがあったからに違いない。それがはたして、身体から発する音なのか、表情なのか、身振り手振りなのかは、いまの僕にはわからない。

こういった事情もあって、この頃の我が国の歴史は、中国の歴史書などからうかがい知るしかないのだけれど。それでも限界があるから、1700年も経ったいまでも「なぞ」なわけで。

あとはもう、わずかな手掛かりから想像をするしかない。幸いにも、学会で発表したりするどこぞの先生方よりも、変に余計な知識などがない僕たちのほうがイメージの幅に制約がないのでは、と思ったりもする。

そう。古代史の想像は、お金もかからないし、時間にも場所にもとらわれない、我々大人たちに与えられた「無限の遊び場」なのである。

ご参考までに。

ちなみに、僕のおすすめ本はこの3冊です。

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