見出し画像

【映画評】 中村佑子監督『あえかなる部屋、内藤礼と、光たち』

『あえかなる部屋、内藤礼と、光たち』-1

1)終わりの始まり
ドキュメンタリーを製作する監督の思考はどのようにあるのか、いつも不思議に思う。フィクションならば始まりと終わりがある。それがとりあえずのものであったとしても始まりがなければフィクションは成り立たないし、終わりも然りであるから、それらは明確にある。だが、すでに〈在った/在る〉ものを対象とするドキュメンタリーに始まりと終わりはあるのか。私という生は既に在りこれからも在るのだから、そこに始まりと終わりを設定するのは在るという事態に切断を施すように残酷な行為のように思われる。だが、始まりがなければ映画にはならない。なぜそんなことを思ったのかというと、とあるドキュメンタリー作品を撮った監督に、始まりは「どこから」と問うたとき、「どこからでも」、と答が帰ってきたからだ。「どこからでも」。これははぐらかしでもなんでもない。映画とは「どこからでも」なのだ。始まりとは、映画においては切断=ショットなのだ。切断がなければ映画にはならない。始まりであっても、中盤であても、はたまた終わりであても、それらはすべからく時間の中断なのである。「どこからでも」とは時間の中断、つまりは、すべての中断は平等なのであり、それが映画の倫理なのである。だが、ドキュメンタリーの始まりとは何なのだろうか。
『あえかなる部屋、内藤礼と、光たち』の演出論考において中村佑子監督は次のように述べる。「私にとって映像は、ものを考えて行くうえで、最良のメディアでした。あるいは撮りながら考えてきたことが、そのまま自分の思考となっているのかもしれません。」(ドクメンタリーマガジン『neoneo』6号、neoneo編集室、2015年、38頁)。撮るという行為は直接的には始まりには繋がらない。撮ることにより思考が生み出され、その結果として思考の集積点が見い出される。その集積点は不安定なものであるかもしれないし、回路がほんの少し違っただけで別な集積点へと到達するのかもしれない。それでいて、不安定ながらもある種の揺るぎなさをも有しているように私には思える。それが映画の始まりということだ。「どこからでも」とは、不安定と揺るぎなさのあわいから生れ出る、映画生成の現場ということなのだろう。作者の思考は映画の始まりからはじまるのではなく、始まりですでに到達しているのである。「撮りながら考え」「そのまま自分の思考」となり、その集積点として映画の始まりがあるということだ。思考の集積点という終わりから映画は始まる。「どこからでも」とは、〈終わりの始まり〉ということである。私はフィクションを見るとき以上に、ドキュメンタリーに始まることのサスペンス感を覚える。それは、監督が述べる「撮りながら考える」ほのめきのような光としての思考の到達点に〈終わりの始まり〉を見るからだ。

2)始まり
まず光があり、その光を支えるものは樹林のように思われた。樹林と断定できないのは、幾本もの平行にある形の物質の隙間から光は横溢しており、その物質が明確な形として光と分離できないからだ。始まりにおいて光は物質よりも先に在った。続いて光と物質は等価となり、水という物質から波として映える光が提示され、水路に流れる水の提示があった。地球の創世記めいた記述になってしまったが、『あえかなる部屋、内藤礼と、光たち』はこのように始まる。すでに〈在った/在る〉ものに始まりを与えるのは「切断を施すように残酷な行為」と述べたが、切断とは、デデキントの実数論で見るように、切断そのものが連続を生み出すこともある。ドキュメンタリー映画は、どこかで連続を担保されなければならない。始まりという切断により、過去は未来へ分け入ることを可能にし、連続体を生み出すのではないのか。それがデデキントの切断の意味だったように思う。『あえかなる部屋、内藤礼と、光たち』の場合、光により連続が担保される。この作品に先立つ2010年、WOWOW放映作品・中村佑子監督『はじまりの記憶、杉本博司』(残念ながら、私は劇場版を見ていない)において、杉本作品を通して原初の光を監督は示した。杉本博司は大型カメラの焦点距離操作により、海や建築物という物質を、形ではなく、光として結晶化させた写真家である。スクリーンに投影した映画を1本分シャッターを開くことで、映画内の形ある映像も単一の光に還元される。私たちは母親から生まれ落ち、世界を物質という形ではなく、光として見ることから始めたことを知っている。それが「始まりの記憶」であり、記憶の古層とでもいうべきものだ。『あえかなる部屋、内藤礼と、光たち』の始まりの樹林のように思われる物質から漏れる光とそれに続くショットは、前作品の「始まりの記憶」との連続体としてある。そしてこの始まりという切断は、やがて内藤礼の光と接続されることになる。この始まりのショットにより、中村佑子は光を求める映画作家であり、光には層があるのだと気づかせてくれた内藤礼の記憶を呼び覚まし、この一連のショット以外に始まりはありえないと私の精神は映画の始まりに震えを覚えた。

3)モノローグ
ドキュメンタリーとはドキュメント・資料の提示のことだ。作家・内藤礼の資料。それは豊島美術館の《母型》であり、内藤の故郷である広島の原爆投下をテーマにした作品の制作過程という資料であり、内藤礼の部屋という資料である。だが、『あえかなる部屋、内藤礼と、光たち』が他のドキュメンタリーと一線を画しているのは、監督・中村佑子と内藤礼の対話、後には、中村佑子のモノローグとしてあることだ。監督自身のドキュメント・資料を提示しているのだ。ここではそのドキュメントについて詳しくは述べないが、母親の残りの生をどう受けとめていいのか分からない監督には、「深い息をする」たびに内藤礼の作品が必要になったというモノローグ。「生を受けとめる」ことと「深い息をする」ことは等価であるということ。母親の胎内を思わせもする内藤礼の作品《母型》に、監督は内藤礼との出会いの奇跡を見たのかもしれない。胎内としての《母型》は母親なのかもしれないし、内藤礼なのかもしれない。あるいは監督自身なのかも。そのことは映画を見る私には判断をつけ難いのだけれど、映像として映し出される《母型》は確かに深い呼吸をしているように思われる。そこには光や大気の動きがあり、そして水が世界の最小存在単位であるかのように生成と変容を繰り返しては消える。世界は不明瞭だけれど、そこには何かが在り、そして消滅する。内藤礼が述べるように「世界は絶えず呼吸している」し、世界は理由である以前に絶対的に在るということ。そこには生成と消滅があり、監督は、そこに「深い息」を感じたにちがいない。この「深い息」は内藤礼のアトリエの壁面に貼られた、西日に照らされ退色したシモーヌ・ヴェーユの写真へと接続される。この西日のショットは、《在る》という純粋性が《生成/消滅》と等価であり、「なにごとが起ころうと、宇宙は満たされている」(シモーヌ・ヴェーユ著作集Ⅲ『重力と恩寵』渡辺義愛訳、春秋社、1968年、72頁)ことの直接的な表象であるだろう。監督は〈私〉を語るモノローグを「恥ずべきものという戸惑いがありました」(前掲『neoneo』6号、40頁)と述べているが、モノローグ「深い息」と内藤礼の世界とを繋げることで、内藤礼の普遍的な世界が、「深い息」という〈私〉の領域に繋がることを映像として結晶化させることができたのではないか。

4)不在
『はじまりの記憶、杉本博司』において、写真家・杉本博司は雄弁だった。そこでは、監督の中村佑子をリードするかと思えるほどに杉本博司は自らを露出していた。だが、内藤礼は、広島での制作半ばで撮られることを拒む。「あるかなきかも分からないものが壊れてしまう」ということが理由である。撮ることは暴力でもある。撮ることて映像として定着化させる。それが映画である。それは「あるかなきか分からないもの」が固定化されることでもある。生成と矛盾することであり、在るという事態をむかえることなく消滅することに等しい。実はこの映画において、これ以前も以後も、内藤礼は手と背後でしか映されない。「撮らないで」と述べるときも、側面から微かに撮られるのみで、顔としての存在はない。そのとき、監督である中村佑子の側面が横顔とともに(ほんの一瞬、ただ一度だけ)捉えられる。顔のある存在、顔のない存在は、後に述べるように、これは内藤礼の作品世界を特徴づけるものである……もとより、内藤礼は個人の身体性を消したところから出てきた作家であり、身体が必要なのは、インスタレーションを鑑賞する観客の固有性、展示物が構成する「身振りのオブジェ」(キュレーター長谷川祐子の表現)である。
不在の内藤礼。不在をどのように撮るのか。ドキュメンタリー監督なら、不在を撮ることの難しさを幾度も経験しているだろうし、多くの場合、見るも無残な作品になっている。不在を撮ったからといって、不在は容易には現れてはこない。だが、不在を見事に顕現化させた監督を私たちは知っている。邦人の女性監督としては纐纈あや。『ある精肉店のはなし』において不在を気配として起ち現わせ、いわば不在を実在化させることができた。目の前の光景の背後と向こう側に眼差しを向けることで、そのことを可能にした監督である。不在はあるがままに現出し、それとともに不在が纏っているイデオロギーや時間も起ち現れてきた。(私の映画ブロブ「纐纈あや監督『ある精肉店のはなし』。不在と気配」参照)。では、中村佑子監督はどのように不在を撮るのか。それは、不在を不在そのものとして引き受けるのである。

5)配置
中村佑子監督は、互いに面識のない5人の女性を内藤礼の作品《母型》に呼び込むことで、内藤礼の不在を引き受けようとする。つまり、不在のフィクション化である。
モデル、少女、ケアマネージャー、画家、編集者。内藤礼は顔のない存在として…顔がないことと匿名性とは等しくない…在ったのだが、彼女らには固有名も顔もある。
モデルの谷口蘭は、愛媛という「閉ざされた感覚の強い地元から開放」されたく東京にでる。自分のことを「空っぽな感じ」と思う。
少女の湯川ひなは、何も怖いことはないという眼をした恐れべき少女。「大人は嫌いではないが大人にはなりたくない」と思っている。
ケアマネージャーの沼倉信子は、「人の痛みは自分の痛み。自分を投げ出し無にすることで他者の痛みを感じたい。それはすごく不安」だと思う。そして自分は「存在する価値もない」のではと自信を喪失している。
画家の田中恭子は「花と自分は等価」であり、そこには死というものがあり、死は身近にあると思う。そして「いるだけで不安になる世界に生きている」と感じている。
編集者の大山景子は事故に遭い生と死の淵を彷徨う。監督の中村佑子は、水面下に沈んでいる大山を呼び戻したいと願っている。
監督はこれら世代も境遇も異なる5人の女性を《母型》に呼び込む。いや、呼び込むのではない。配置するのだ。《母型》とは単なる入れ物でも建築物でもない。構造体としての空間である。母型という構造体、matrixである。構造体に5人の女性を配置し、流動させる。そうすることで構造体に変化が起き/起こし、変容する。変容するとは物語・時間、つまりフィクションの発生ということのようにも思えるけれど、ドキュメンタリーとフィクションの狭間などといった使い古された言葉では捉えきれないものを出現させる。いったい何が出現するのか。それは彼女たちの配置は何かという問いでもある。その答えを私は明確には見出せない。『あえかなる部屋、内藤礼と、光たち』が私に問いかけるのは、彼女たちはpresentとしてあるのか、それともrepresentとしてあるのかということ。presentならば、彼女たちのワークショップとしてそこに在ると考えられる。配置されることで《母型》から何かを受け取る。「共に在る」ということ、「自分が在る」ということ、あるいはそのことを忘れるということ、世界には「他人が在る」ということ、それら「在る」はすべて奇跡であるということ。それがpresentの実相であるだろう。representならば、そこに在るのは彼女たちではない。ある種の巫女のようなもの。《母型》の中で、構造体そのものと共振する存在、在ることの理由を求めるのではなく、在るということで世界は充溢しているということ、それがrepresentとしての彼女たちなのではないか。おそらく、彼女たちはpresentでありrepresentでもあるだろう。ここで言えるのは、不在としての内藤礼はやはり不在として在り、それだけでなく、監督の中村佑子も外側に在るということである。〈私〉を語ることを「恥ずべきものと戸惑った」彼女は、ここでようやく外側へと去ったのである。
だが、内藤礼は不在であり続けるのか。この映画を見たものなら誰もが気になるであろう2本の白いリボンの帯。大気の動きに揺られ、風の悪戯に消えては現れる白い2本のリボン。これを内藤礼の化身と考えるのは滑稽だろうか。内藤礼を顔のない存在として撮ることの意味はここにあるのだろうし、彼女の作品世界は、顔という固有性を超えるた普遍性に満たされているのである。監督の中村佑子もそのことを知悉しているし、大気にたゆとうリボンのショットを幾度となく捉えることで、内藤礼の世界をスクリーンから溢れさせ、私たち見るものに届けようとしたに違いない。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)


この記事が参加している募集

映画感想文

サポートしていただき、嬉しいかぎりです。 これからもよろしくお願いいたします。