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話した事がなくても、繋がっていると思われるユーコ先生(2016年47歳)

週に1回、「夜のヨガ教室」に通っている。
今この文章を再々々々推敲している2022年現在で、かれこれ6年くらいになるだろうか。

目的は、あくまで疲れやすい体の“体質改善と体力づくり”である。
決して柔軟性やプロポーションの向上とかではない。
ただただ頑健になりたいのだ。

ヨガと言えば今や大人気。
モデルさんや芸能人の皆さんも習われていたり、カラフルでちょっと露出度高めなウェアであったりと、おしゃれでキラキラした「意識高い系」の習い事というイメージが少なからずあるだろう。

片や、私が通っている教室は、トレンドなんぞどこ吹く風。
プレーンなTシャツやジャージ姿の皆さんで溢れている。
それは、場所が「市の体育館」だからなのか、「40名ほどの大人数」だからなのかは定かではないが、私はこの力の抜けた雰囲気がものすごく落ち着く。
だって頑張らなくていいのだ。楽でいい。

また、人々の健康増進を図る「市の事業」なので、受講料が非常にリーズナブルな上に、きれいなヨガマットやヨガブロックまで貸し出し無料。
予約も要らず、人との交流もほぼ無く、サックリ参加してサックリ帰宅できる。

レッスンのレベルだって、老若男女どんな人が飛び入り参加してもついてゆけるよう、担当のユーコ先生(私より1つ年上の美魔女。さすがにオシャレ&セクシーなウェア着用)が毎回工夫しながら、初級レベルを繰り返して下さるので、体力に自信なき私でも無理なく楽しめるのである。

いやはや、「ものは試しに」となんとなく参加した教室が、こんなにもベストフィットするとは、なんともありがたい。
おかげで、「つまみ食いしてご馳走さま」を繰り返して来た数多の習い事史上、快挙とも言える継続率を叩き出しているのであった。

……と、この時点で十分満足しているのだが、実は更にもうひとつ、継続率を高めている「最大」の理由がある。
それは、開始直後と終了前に語られるユーコ先生の「ヨガの思想(ヨガ哲学)」のお話である。

これまで私は、6名の先生に教わったことがあるのだが、皆さん“ストレッチ体操”や“筋トレ”の要素が強かった。
……いやまあ、それはそれで良かった。終わった後は体が軽くなるし充足感もあるのだが、続けようと思える「何か」が明らかに足りなかった。それが何だったのかを、この教室で見つけたのだ。

私はお話にハマり続けた。すると、そのハマりっぷりの理由を解説するが如く、ある日先生はおっしゃったのだった。
「世のヨガ教室では、運動要素が強かったり、美しいポーズをとることに重きを置いたりするところが実際多いです。……もちろんそれも健康上大切なことですが、大前提として“ヨガ哲学”に基づいた“自己探求”“心の在り方(例えば、心を常に中庸に保つ。善し悪し・好き嫌いなどのジャッジをしないなど)を感得しなければ、その真髄(根本的な心身の健やかさ)には辿り着けません。ヨガとしてあまり意味が無くなってしまうんです(意訳)」

そう言い切る程にきもなのであろう、「ヨガ哲学」。
ユーコ先生は決してストレートに語ることはない。
いつもフツーの世間話からなんとな~く始まり、なんとな~く着地するのがヨガ哲学なのである。

でもって、ちょっと不思議なのが……いや結構不思議なのが、それらの内容とタイミングが、何故か毎度のように「その日その時の私」にベストマッチすることである。
つまり、なんとな~く聞き始めたのに、突如「天啓のような助言」や「追い求めていた答え」がもたらされ、脳天を突かれたような衝撃を受けることになるのだ。
それがまた、先生とまともに話したことがないのに起こるのである……。

教室に参加し始めた頃の私と言えば、「怒涛の暗黒期」の真っ只中であった。
日々これでもかと押し寄せる通過儀礼的大ピンチは、誰にも頼れないものばかり。おまけに、己すらも全く頼りにならず、心の中でもがき泣き叫びながら、ひとり静かに戦っていた。

その孤軍奮闘を「後方支援」するかの如くもたらされたのが、先生のなにげなくも深い話だった。
それらは、時に力強く励まし、時に己の道の正しさを示し、時に「自然の法則に即した智慧」に気づかせてくれた。

特に、私の最も深い部分とガッチリリンクした時などは、カタルシススイッチが自動でバチコン入り、突然の垂泣。勝手にダラダラ流れる大量の涙に慌てふためきながらヨガを行う……なんてことも多々であった。

さて。このような数々のシンクロを不思議に思いつつ、通い始めてから1年ほど経ったある日。
開始直後、先生はまずあぐら座で皆の心を静めると、ふとおっしゃった。
「ヨガを習いに来ているのに、いつも私の話が長いと思われている方もいらっしゃるのではないかと思います。フフ……ねー、分かります。でも、私は大切なことだと思っています」
「でね。実は私は毎回何を話すか決めて来る訳じゃないんです。いつもこの場に立って、皆さんから感じる何かをキャッチして、言葉が自然に出てくるという感じです。きっと、この中にそんな私の話を必要としている人がいるんだと思います」

『やっぱりそうだったんだーー!!!』
瞬間、私の感情はシャウトした。
……そうなのだ。誰にも相談出来ず、ひとり戦わなければならぬ事ばかりでも、それでも何かしらから助けの手は必ず差し伸べられるものなのだ。完全にひとりぼっちじゃないのだ!

……私は感動に胸を震わせた。
そして、もちろんこの日も、涙のヨガとなったのだった……。

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それから4年ほどが経過した頃。
様々な気づきを受け取り続けた私の心は、徐々に安定していった。

で、そのせいか否か。近頃の先生のお話は、心の探求よりも体づくりのライトな内容が多くなってきたような気がする。
しかも、ワーク自体も私の苦手な“筋トレ要素”が増えてきた気が……。

などと思っていたら、その理由はほどなく明かされた。
「ヨガをやめてしまったらどうなっちゃうんだろう…と思っている人もいると思います。(中略)なので、仮にヨガをやめてしまっても、この先ずっと健康を維持できる体をこれからしっかり作っていこうと思っています」

……思わず鳥肌が立った。と言うのも、ちょうどその頃「今、家を探しているから、もしかしたら遠くに引っ越すかもしれない。ユーコ先生のヨガと離れたらどうなるのだろう……」と思い始めていたからだ。

しつこいようだが、先生とは一度もまともに話したことがない。
やはり何かの形で繋がっているとしか思えない……。

「見えない力」を信じさせて下さる、先生のヨガ。それは人生の暗闇旅で、偶然授かった光であった。

市が主催している半ばボランティアのようなレッスンであるにもかかわらず、加えて参加者の「人生への意識」も様々であるのにもかかわらず、毎回決して手を抜くことなく、誰にともなく情熱を持って根気よく深く濃く、ヨガ哲学を語り教えて下さる先生に、心からの感謝が止まない。

これからもずっと健やかに、そして先生らしい熱いヨガを楽しく続けられるよう、私もひっそりと熱く願うばかりである。

こんなに泣いたって、40人も参加者がいるので目立たない(多分)。
つまりその人数の多さも、自分を解放する手助けになってくれていたってこと。
…ありがたい



ここまでご覧くださいましてありがとうございました😌
余談もあるのですが、長くなるため次回更新します。
良かったらそちらもご覧ください (/ω\)

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