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誰にも言えなかった父のこと(続き)

こんにちは。

今日も心地の良い秋晴れです。

空が高く、雲が一つくらいしかない、絶好の秋晴れとなっています。

昨日といい今日といい、こんな素晴らしい天気の日に、僕は部屋にこもって一体何を書いているのでしょうか?笑

そうです。

昨日から「誰にも言えなかった父のこと」と称して、親父のことを書いています。(読んでおられる方は若干引かれるかもしれませんが、僕は今まで「人には決して言わなかったこと」をオープンにすることで、何とも言えない、心が軽く洗われるような気持ちになっています)

前にも書いたかもしれませんが「note」を始めて本当に良かったです。

ただ、サクッと1回で終わるつもりでしたが、書き出すと意外とだらだら長くなってしまいました。

まさか、昨日今日と2回に渡るとは思いませんでした。

さすがに3回にも渡る内容にはしたくないので、今日は「父に言われた8つのこと」と称して、僕に刺さった「良い言葉・悪い言葉・普通の言葉」をごくごく簡単に紹介したいと思います。

【父に言われた8つのこと】
①「お前はワシの子やない!〇〇の子や!」
②「お前にワシの気持ちが分かるんか!」
③「お前に義理っていうものが分かるんか!」
④「なんや?ワシをどつくんか?やれるもんならやってみぃ!」
⑤「体育科なんか行って何の役に立つんや?高校なんか落ちてまえ!」
⑥「大学行くカネなんてあるか!行くんなら自分で何とかせぇ!」
⑦「オンナができたら責任の取れんことだけはするなよ」
⑧「オンナなんて世間にはなんぼでもおる」

それでは、8つ続けていきます。

①「お前はワシの子やない!ヨシオカの子や!」
出ました!いきなりヘビーワード!笑
これは反抗的な態度ばかり取っていた小学5年生の僕に対して、酔っぱらった父が僕に言った言葉です。
これまでにも父と母が夫婦喧嘩した時に、父が「ミハル(僕の妹)はワシの子やけど、シュンイチ(僕)はワシと違うて背も高い。ひとつも懐かんしのう。ワシの子と違うんちゃうか。ほんまにヨシオカの子とちゃうんやろな?お前と別れたらミハルはワシが引き取るけど、シュンイチは施設に入れる」と言っているのを、偶然聞いてしまったことがありました。
それを聞いて以来、僕の心はずっとざわついていましたが、父が泥酔したある日、はっきりとこの言葉を僕に言いました。
(当時は「給食のカレーが自分の分だけ足りなかった時」と同じくらいショックを受けましたが、時が経つと嫌な気持ちなんて忘れるものですね。今の僕の正直な気持ちとしては「ヨシオカって誰やねん!俺は間違いなくオヤジの子や!」と父に言いたい。ただそれだけです)

②「お前にワシの気持ちが分かるんか!」
③「お前に義理っていうものが分かるんか!」
④「なんや?ワシをどつくんか?やれるもんならやってみぃ!」
これは3つに分ける必要がなかったですね。ある状況の時にまとめて言われました。
それは僕が中学2年生の夏休みの出来事です。生まれてこの方「盆も正月もない。家族旅行もない」という我が家に嫌気がさして、僕は父に対し「小倉のばあちゃんの墓参りに行こや。一回も墓参りしたことないやん。ばあちゃん可哀想やわ。小倉に行ったら親戚もおるやろ?義理の親戚でもええやん」みたいなことを言ったのです。
すると、父がキレましたねー。「もういっぺん言うてみい!お前にワシの気持ちが分かるんか!オフクロに見てもろてない、ワシの気持ちが分かるんか!」と言って殴りかかってきました。
そして「義理やと?お前に義理なんて言われてたまるか!お前に義理っていうものが分かるんか!」と言って、思いっきり踏みつけられました。
今となっては父の気持ちがすごく分かります。僕は言うたらあかんこと言うてしもたんやなーって。
「義理の親戚」はみんな祖母(父の母)の再婚相手の子です。父は自分の母(祖母)に育ててもらえず、祖母は再婚相手の子の面倒だけを見ていました。
父はそんな中、ずっと寂しい思いと苦労をしてきました。そんな父の気持ちに、僕はづかづかと土足で入り込んだようなものです。
ただ、当時中学2年生の僕はそんなことは全く分かりません。「俺は何も悪いことをしていないのにボコボコにされた」という気持ちになり、完全にキレました。中学2年生にもなると僕も身長が170cm位あり、小柄な父に対しては体格的に負けていません(ただし父はとび職なので、筋骨隆々でしたが)。
僕は父の右腕を左腕で思いっきりつかんで、全盛期のアントニオ猪木バリにアゴをしゃくり、父を睨みつけ、右の拳をぎりぎりと握りしめ、その拳を後ろに引きました。
その時、父が僕に向かって「なんやお前?ワシをどつくんか?やれるもんならやってみぃ!」と怒鳴り返してきました。
僕は父から左腕を離し、右の拳を解き、悔しくて悔しくて、その場に泣き伏せました。
(いやー。この一件以来、ますます父との不仲は深刻になりましたね。この後、おそらく1年以上は全く口をきかなくなりました。それにしても、この時の状況は今でもはっきり覚えています。ある意味、父との最大の修羅場だったのかもしれません。今言えるのは「父に手を出さなくて本当に良かった」ということです。何があっても子どもが親に手を出したらあきません。もしあの時僕が父に手を出していたら、お互いにとって深い傷となり、今の僕と父の関係はなかったと思います)



ふぅ…。


わー!

あっかーん!!!

2000字を超えてきました!!!

すみません!
3回に渡るつもりはなかったのですが…。

さすがにこれ以上は長い!
長すぎますよね?

なので以下の4つ…
⑤「体育科なんか行って何の役に立つんや?高校なんか落ちてまえ!」
⑥「大学行くカネなんてあるか!行くんなら自分で何とかせぇ!」
⑦「オンナができたら責任の取れんことだけはするなよ」
⑧「オンナなんて世間にはなんぼでもおる」

については「明日につづく」とさせていただきます…。

こんな暗い話にお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
(でももう今となっては全て笑い話ですし、父のことはまあまあ好きです。ついでに言うと「亡き母」のことは父よりもちょっとだけ好きです。笑)

それではまた明日。。。

失礼します。。。

#日記 #家族 #メンタルヘルス #休職 #双極性障害 #躁うつ病 #毎日note #毎日更新


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