愛犬の命と向き合う事、己の命と向き合う事。(命は向き合う事で命が命として機能する)

最近私事でバタバタしておりまして、
少し疲れているのですが、
その中でも一番気になっているのが、
私の愛犬である、
フレンチブルドックの武蔵の事です。

昨日も昼と夜と、
動物病院を渡り歩きまして、
結局あまりいい方向には、
進展しなかった感じです。

愛犬のフレンチブルドックの武蔵ですが、
現在13歳4ヶ月で、
フレンチブルドックではまぁ長生きしてまして、
色々と体もガタがきてとても心配の毎日です。

自分自身の中では、
去年くらいからある程度心の準備もして、
ある程度割り切って考えるべきところは、
考えていこうと腹をくくっているわけですが、
現実的にやはり、
そこに大切な命があると、
心は穏やかではありません。

昨年に4歳離れた姉が44歳で亡くなりまして、
母親も4年程前に亡くしました。

どんどんと大切な命を亡くし、
命とはなんなのだろうか?
とやはり改めて考えるわけです。

しかし私は美学などを研究していますし、
20歳の時に己の命を実験として使う、
その様に心に固く決めた、
だからこそ、
この様に言葉を紡いでいくのだ、
その様な上でずっと活動や行動をしています。

では「命」とはなんでしょうか?

「人間」という意味よりも、
もっと広い意味を持つ「命」。

例えば人間は少なくとも、
「人格」や「人間としての尊厳」が保障されています。

しかし愛犬武蔵の様に、
「犬」には「命」がありますが、
社会制度上「もの」として扱われるわけです。

家族同然に過ごしてきた「命」が、
「もの」だなんて考える事は出来ません、
しかし社会制度上「もの」であるという現実、
それに対して向き合う事も大切なのだと考えています。

この「世界」には、
「命」を宿した「もの」たちが、
数限りなく存在します。

私たち「人間」は、
その尊い命をどう考えていけばいいのでしょうか?
これは非常に難しい問題です。

しかし、
私は愛犬武蔵とともに生きてきた事から、
その「命」に対する「答え」を、
最近気づかせてもらったのです。

少なくとも私は、
「命」というものを懸命に「生きようと」する、
その「命」としっかりと向き合っていく、
それが唯一の答えだと。

少しづつ老化していく愛犬武蔵を、
見ない事にしたい、
体の病気を無い事にしたい、
弱っていく彼から、
できるなら逃げたい。

時にそんな自分の弱さが、
脳裏をよぎるわけです。

私は誓うのです。

彼にいい環境を提供できないかもしれない、
彼に幸せな生活を送らせてあげれなかったかもしれない、
彼に最善の医療を受けさせてあげられないかもしれない、
しかし私は、
愛犬武蔵の「命」と、

しっかり真正面から向き合っていく。

それこそが、
「命」が「命」として唯一機能するのだ。

それは「人間」「己」も含めて、
あらゆる「命」に言えるのだと考えています。

動物、植物、人間、己。

「命」は真剣に向き合ってこそ「命」なのだ。

目を逸らさず、
斜に構えず、
真正面からその「命」に向き合う。

そうやって、
愛犬武蔵に最後まで寄り添っていきたいです。

美学者母

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