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なぜ運は特定の人に集中するのか

普段からしかるべき準備をし、考え、行動をしていれば、自ずと運はやってくる。相変わらず、運や偶然絡みのタイトルに惹かれ、購入してしまう。


勝負では、目の前で起きた不幸は自分にとっては幸福に変わるものなので、どうしても非情になるしかない。ましてや金が絡んでくるとなれば、尚更優しさや甘さは排除しなければならない。一般的に運といえば確率的に誰でも回ってきそうだが、引き寄せるためのストイックさには敵わない。


20年以上前。雀鬼こと桜井章一さんの麻雀道場に通っていたのが、若き日のサイバーエージェント藤田晋氏だった。その師弟で『運』について語ったのが本著である。対談ではなく雀鬼が語ると、それに追随するように藤田氏が持論や経験を披露する形式で進む。

ちなみに藤田晋氏は、2014年の麻雀会の日本一を決める「麻雀最強戦2014」で優勝しているそうだ。

以下備忘録。


①どんな牌が配られるか分からない「不平等」な所からスタートする。

②一定のルールに則り、配られた牌をもとに、いかに人より早く大きく上がれるかの「相対的な競争」になる。

③局の進行、相手との点棒差など刻一刻と状況が激しく変化する中で、冷静で素早い「状況判断力」が問われる

④4人に1人しか上がれないため、大半の時間は「忍耐力」を要する。

◆ポイント◆


・ビギナーは難しい複雑な手が選択肢の中にないので必然的にシンプルな手をもってくる。それが結果的に勝ちへとつながるのだ。勝負には複雑にしたほうが負けるという普遍的な法則がある。「シンプル・イズ・ベスト」なのだ。なぜシンプルなほうがいいのか。それはシンプルな手にはムダがなく、速く動けるからだ。ビギナーズラックをもたらすシンプルさは、「難しく考えない」ことからくる。すなわち、勝負を複雑にせずシンプルにするには、余計なことは考えず、感じたことを大事にすることだ。知識や情報といったものが増えると、どうしても考えが広がって選択肢がたくさん現れる。その分、迷いが生じ、決断に時間がかかることになる。



・私は運は自ら呼び寄せるものではなく、「運がその人を選ぶ」と思っている。普段からしかるべき準備をし、考え、行動をしていれば、自ずと運はやってくるものだからだ。同じ量のエネルギーを注いでも、間違った考え方のもとに正しくない行動をすれば、当然運はやってこない。こうした日々の生きる姿勢におけるちょっとした差によって、運はやってきたり、来なかったりする。「なぜ、俺はこんなにツイていないんだ!」と嘆く人は、嘆く前に自分がとってきた行動を振り返ってみるといいだろう。調子がいいときに、奢った気持ちになって仕事を軽く見ていなかったか?自分の損得ばかり考えて周りの人への配慮が足りないことはなかったか?いつも安全策ばかり講じてリスクをとることに及び腰ではなかったか?たいていこういう人は何か間違った言動を仕事や対人関係においてとっていたりするものだ。現実にそのようなことをしていながら、「俺はツイていない」と嘆く人は、ただ運に責任転嫁しているだけなのだ。つまり自分の至らなさや過ちを正面から見たくないから、運のせいにしてしまうのである。このような人はまた、他人が仕事などでうまくいったのを見ると、「あいつは運がいいよ」という感想を抱くことが多い。もちろん、その人にはうまくいった人がどれだけ努力をしたかが見えていないし、見ようともsない。運のおかげと思えば、自分の怠慢や間違いを見つめずに済むのだ。運は決して不合理で理解しがたいものではない。日々の行動や平素の考え方、仕事や生活に対する姿勢・・・そうしたものが運という形をとって表れるだけのことなのだから。運というのはきわめて具体的で、かつシンプルな原理で動く。奇跡のように思えることでも、その例外ではない。そこをきっちり認識していれば、運に妙な幻想を抱いたりして惑わされることはないのだ。



・僕は、ベンチャー投資が得意分野で、自分が投資を判断したもので過去10年間に400億円以上の利益を稼ぎだしていますが、その投資手法は簡単で、シンプルに安いと感じたときに買って、高いと感じたときに売っているだけです。また、サイバーエージェントの経営戦略を決めるときも、最後はシンプルに考えて決めるようにしています。ビジネスは複雑化すればするほど、シンプルにものごとを見ることが極めて重要になってきます。携帯電話がガラケーからスマートフォンに移行する流れが始まったときも、市場性がどうだとか、需給関係のバランスが悪いだとか、その流れを素直に見ることのできない専門家がかなりいました。当時ガラケーが衰退し、スマホは伸びるという流れは、素人が見ても自明のシンプルな話だったにも関わらずです。専門家は、ものごとを難しくとらえる傾向にあります。なぜなら当たり前のことをいったら、自分の存在価値がないからです。だから僕はシンプルに考える必要があるときは、専門家の話はあまり聞かないことにしています。結局はシンプルに考え、シンプルに行動するのが一番強いのです。知識や経験が増えてくると様々な選択肢ができて、欲や恐れが迷いにつながります。だから最後は、専門家の意見に頼るのではなく、自分を信じる心の強さを持つことが必要なのです。



・相手の運量が多いときにどうするか。運量が多い相手は勢いがあるので、序盤から流れは相手側にある。ところが、運量というのは一定しているわけではなく、状況の変化、流れの変化に応じて微妙に変わってくる。私は運量だけではなく、運が持続する時間も併せて読んでいた。たとえば「相手とこちらの運量の差が20とすれば、後30分くらいはこの勢いが続くな」といった具合だ。そう思っていれば、30分の間形成が不利でもどこか余裕を持って打てる。そうやって相手の運量に圧されても、調子を狂わすことなく耐え忍べば、「いま、運量が変わったな」という「変わり目」が必ずやってくる。その瞬間を逃せば、また相手の運量はあっという間に元の勢いに戻るかもしれない。そうなる前にすかさず潮目の変化をとらえるのである。この「変わり目」をいかにとらえるかで、流れは大きく変わってくる。それまでは耐えに耐え、潮目が変わったと感じた瞬間に一気に勝負に出るのだ。そこで相手の運量とこちらの運量はさっとすり替わるのである。仮に相手の運量に圧倒され、土俵際まで追い込まれようとも、じたばたすることはないのだ。私の中にはそもそもピンチもチャンスもない。ピンチは私にとって、単なる劣勢という状況でしかない。たとえこちらに一分の利しかないような劣勢であっても、「変わり目」を的確にとらえて逃さなければ、形成を一気に逆転することはできる。劣勢とはそんな可能性をいくらでもはらんでいるものだと思っていたので、焦ってピンチと感じるには至らなかったのである。


・毎日やっていることは極めて地味なものです。ただ淡々と仕事をしている。麻雀でいうと、耐えている時間がほとんどです。会社を始めて17年になりますが、そのほとんどが耐える時間で埋まっているようなものです。僕が書いた2冊の本、創業から黒字化するまでを描いた「渋谷ではたらく社長の告白」と、黒字化してからAmebaを立ち上げるまでを描いた「起業家」を読んでもらえばわかるのですが、内容の大半は我慢と苦悩の日々であり、それが現実なのです。だけど、そこで焦ったり、不安にかられて無理をしてはいけません。勝負所がくる前に勝負をすれば、本当の勝負所で動けません。”そのとき”がくるまで、仕事の質を落とさないよう、しのいでいる人にしかツキはやってこないのだと思います。そうして耐えている時間は、勝負の感覚でいうと、形勢不利の立場に置かれているように感じます。でも、仕事をしている時間の大半が耐えている時間だとすれば、むしろそれが普通の状態なのです。


・私が感じたことは一つ。激しい戦いも大きな風が巻き起こらない一見クールな戦いも、負けのほとんどは自滅という事実だ。ほぼ互角の打ち合いでも、息がちょっと上がったり、リズムがおかしくなってちょっと失策をやらかすだけで、あれよあれよという間に対戦相手が崩れてしまう。こちらが勝負をかけなくても、勝手に相手が卓の向こうで音もなく沈んでいく。そんな光景を何千回、何万回目にしたことか。それを見て私は、負けというものは99%が自滅であることを悟ったのだ。負けの99%は自滅。このことは麻雀に限らず、スポーツでもビジネスでも生き方でも、人が関わるすべてのものにいえることではないだろうか。実際、スポーツでも、ビジネスでも、あらゆる世界で繰り広げられている勝負はつぶさに見ていくと、自滅で「負け」を引き寄せているパターンが圧倒的に多いことに気づく。わざわざ自ら負けようと思う人はいないのに、なぜ自滅してしまうのか。それは「勝ち」を求める思考や行動のあり方にすでに自滅の要素が含まれているから、としかいいようがない。「勝ち」に囚われるあまり、おろそかになってしまうものがどれほどあることか。焦りや緊張、不安や迷いといったマイナスの感情も起きるだろう。それによって行動や思考が正しい筋道をたどれなくなることもあるだろう。ミスを犯しても気づかず、修正を怠ることもあるだろう。視野が狭くなって大局観を誤り、相手への気遣いをなくし、信頼を失うこともあるだろう。そんな一つひとつの積み重ねが自滅へのループを確実に描いていくのだ。



・たくさんいた同世代のライバルたちは、僕が抜いたのではありません。勝手に落ちていったのです。仕事のレースで脱落していく人を順番にあげうと、①忍耐力のない人、②目標設定の低い人、③固定観念が強くて変化できない人、になると僕は思っています。②の低い目標を達成して満足している人は、高い目標を目指して必死にあがいている人にはかないません。達成するかしないかの前に、モチベーションと努力の大きさで差が開きます。また目標を高くして頑張っても、③の固定観念が強いあまりに変化を恐れる人は早晩行き詰まります。しかし、何より最初に脱落するのは、①の忍耐力のない人です。忍耐力のない人は、競争に勝つことができないのです。



・私が順風よりも逆風を好むのは、そのほうが単純に面白いからでもある。順風のときは何もしなくても風に乗ってさえいれば、前へ飛ばしてくれるようなところがある。ところが逆風のときは限られた時間内で色々なことを同時に工夫していかなくてはいけない。その追い込まれた状態が、オセロの石の色を一気にひっくり返すような爆発力を生み出すのだ。崖っぷちに追い込まれたようなピンチこそ、私にとってはいつもこの上ない順風であったのだ。



・人間の能力を100%引き出せるのは、残念ながら、夢や希望に燃えているときではありません。むしろその逆で、危機的な状況に追い込まれているときに100%の力が出せるのです。仕事が順風満帆のときは、自分たちの力が発揮しきれない状況ではないかと疑うべきかもしれません。仕事が追い風のときはすいすい進んで気持ちがいいものですが、ちょっと油断をするとたちまち急降下することがあります。緊張感が失われていて足をすくわれやすいからです。反対に逆風は辛くて苦しいものですが、危機感を持ってそれを乗り越えれば、その過程が厳しいだけに他の人が真似できない、高い次元に到達することができます。その意味では、うまく利用すれば順風よりも逆風のほうがむしろ遠くへ飛んでいける可能性を持っています。



・力を抜くことは、麻雀に限らず、スポーツでも仕事でも生き方でもすべてに通じる、とても大切なことだ。力が入っているものは、一見強く頼もしく感じられるが、壊れやすい。スポーツを見ていると、そのことがよくわかると思う。緊張したり、勝ちを急ぐあまり力みの入った動きをする選手はどこかで必ず崩れたり、ミスをする。力みのないしなやかな柔らかさこそ、実はもっとも強いのである。


・仕事でも、見切りのタイミングを間違えて、身を滅ぼす人がいる。大きな成果を求めて必死に頑張っているものの、なかなか思うようにいかない。ここで退却すれば大きな損失が出てしまう。あきらめるわけにはいかない、なんとかしなくてはと踏ん張るが、残念ながら目標は当人の能力をはるかに超えている。深追いすればするほど損失は膨らむばかりなのに、後に引き返せない。このようなときは、できるだけ早くいい見切りをして、あきらめるべきなのに、それができないのである。「このまま前に進むべきか?」それとも「あきらめるべきか?」。2つの選択肢を目の前につきつけられることは、生きていればいくらでもある。いい流れをつくっていくには、要所、要所で生じる迷いを、いかに素早く見切るかということも大切だ。捨てたり、あきらめる代わりに、別のいいことがあったり、何か大事なものが守られるのだという発想の転換が柔軟にできるかどうか。そのことが、いい見切りをしかるべきタイミングでしていく決め手となるのである。


・人の運というものは、石油や天然ガスのような有限のエネルギー資源とは違う。つまり、運の量といったものは何も定まったものではなく、その人の考え方や行動によって運に恵まれたり、そうでなかったりするだけのことなのだ。運に選ばれるような、しかるべき考え方や行動を普段からしている人には、大きな幸運に恵まれてからも続けざまにまた大きな幸運が起こりうるのだ。そう、生きている間は、運は無限にあると思っていいのである。だが、それはダイヤモンドの鉱脈を掘るように、運の鉱脈をがんがん掘っていけば、ツキまくった人生が送れるという単純な話ではもちろんない。運は無限かもしれないが、それに恵まれるには正しい選択の積み重ねが必要だし、それにふさわしい苦労や努力といったものが伴うということだ。ただ、昔の人の教訓のように「そんなにいいことが続くわけがない」と思うのは悪いことではない。人の心は放っておけば、楽なほう、楽なほうへと流れるものだ。大きな運に恵まれると、それに依存して考え方の脇が甘くなり、行動がおろそかになったりする。いいことは、運が悪いほうへ変わるきっかけにもなる。「いいことは続かない」のは、そのためなのだ。その意味で、「いいことが起こるとバチが当たる」という考え方は、そうならないための戒めとして、決しておろそかにはできないと思う。



・驚いたのは、麻雀がこの10年ほどの間にかなりの進化を遂げていたことです。それは明らかにネット麻雀の影響です。勝ち方のパターンなどいままでよく見えなかったものが統計的なデータで表れるようになり、それをベースにして勝負する風潮もある。そういう中で一つの打ち方のトレンドが出てきたら、それをさらに上回るものがまた生み出されるという目まぐるしい変化も起きている。今までと同じ打ち方をしていては、研究されて勝てなくなってしまうのです。それはまさに、将棋の定跡が改善され、どんどん進化していくようなものです。当初はデジタル的な麻雀に対して僕は否定的だったのですが、いまのトレンドを知ると、データや知識をしっかり把握した上で勝負しなければ、もはやいくら強い打ち手でも勝てないと思うようになりました。


・勝負強いといわれる人は、ある共通する特徴がある。それは「勝負所に強い」ということだ。勝負所というと、多くの人はチャンスのことだと思うかもしれない。だが、チャンスと勝負所はまるっきり違う。本当の勝負所というのは、ピンチの中のピンチ、圧倒的に不利な状況のときにこそ訪れる。麻雀でいうと、自分以外の3人がリーチしている状態だ。相手3人からリーチされてもひるむことなく攻め続け、それをしのいで状況をひっくり返す。そのときの達成感は、普通の「勝ち」の中では決して味わえないものだ。



・有名な経営者たちと会うと、共通して感じるものがあります。それはほとんどの方が「腰が低い」ということ。つまり謙虚なのです。こちらが何か褒めると、判で押したように「いやいや、とんでもない」というリアクションが返ってきます。それはたぶん、本当の意味での謙虚ではなく、自分を客観視できているのだと思います。立場上、お世辞をいわれたり、褒められたりする機会が多いので、それにつられて自分や会社を過大評価してしまわないよう気をつけているのでしょう。


・パニックになるのは、起こったトラブルが想定外の大きさだあらです。どんなトラブルであれ、それが想定の範囲内であれば、頭の中が真っ白になることはありません。そのためには、あらゆることを予め想定しておくことが必要です。優秀な経営者は、経営計画を立てる際、これでもかというくらいにリスクを洗い出し、あらゆる可能性をシミュレーションし、考えられる問題すべてを一つひとつ検証します。その上でプランA、プランB、プランC・・・といったものを予め準備しておくのです。思いつく限りのことを想定した準備をしておけば、どんなことが起きても、それは想定の範囲内になるのです。修羅場といった相当厳しい状況も想定の範囲内であれば、頭の中が真っ白にならずに済みます。仕事においては、経験値を上げ、能力を高めるという意味では、修羅場はなるべく体験したほうがいいと思います。うちの会社でも出世している人は、だいたい修羅場をくぐっています。社内の研修では「私の修羅場」と題して、上司が自分の修羅場について話をするのですが、後輩たちは皆興味津々といった面持ちで聞いています。それだけ修羅場というのは学べるものが多いのだと思います。



・「ツイてるな」とか「運がいいな」と感じているときい、「ああ、気分が悪い」と思う人はこの世に一人としていないはずだ。どんな人でも例外なく、自分がラッキーな状況にあるなと感じているときは、気分がいいものだ。その事実から運に関するシンプルで揺るぎない一つの法則が導かれる。それは「逆もまた真なり」で、「気分がいいと運がくる」というものだ。昔の人はそのことをよく知っていたのだろう。「笑うかどには福来たる」ということわざは、まさにそれと同じことをいい表している。ニコニコといつも明るく朗らかな気持ちで過ごしている人には、必ずいいことが起こり、幸せになるのだ。「気分がいいと運に恵まれる」ということを、私はこれまでの人生で幾度となく経験した。



・うちの会社では目標達成を祝うポスターが壁にたくさん貼ってあったり、新入社員を歓迎するバルーンが上がっていたり、一般的なオフィスの空間とは少し雰囲気が違います。これも空気をよくして、社内を活気づけるためにやっていることです。同じ人間でも、ポジティブに気分よく仕事をしていればツイているように感じられるし、反対にネガティブな気分で仕事をしていれば、ツキからは見放されます。全体がポジティブな空気に包まれていれば、当然職場の空気は気持ちのいいものになり、会社全体の運気も上がると思います。「空気」という目に見えないものを意識しておくことも大事なのです。



・勝負の流れにおいては、準備してから走るのではなく、走りながら二の矢、三の矢を放っていく感覚が必要だ。そうしなければ流れに乗っていけない。鉄棒の懸垂は途中で腕を全部伸ばしきってしまうと再び上がるのに大きな力が必要になり、バテて後が続かない。完全主義志向が強くて一つの準備に囚われる人は、懸垂の途中で腕を伸ばしきってしまう人に似ている。流れの中でツキをなくさないためには、このように一の矢だけでなく、二の矢、三の矢を矢継ぎ早に放たないといけないが、反対にツキをなくしているときも、それは同じだ。ツキのない局面では、一の矢を放っても、それだけで急に流れが変わりツキ始めるということにはなかなかならない。弱い人はそこであきらめて、相手に背中を見せるような勝負をしてしまうのだ。ところが、一の矢ぐらいで状況が簡単に変わるものでないことを知っている人は、二の矢、三の矢をひるまず放ち続けるのである。途絶えることのない果敢な攻めは、やがて強さに変わり、ツキを呼ぶ流れに変わってくる。勝負においては、優勢であろうと劣勢であろうと、ツキがあろうとなかろうと、いついかなるときも、さまざまな矢を用意しておくことがとても大事なのである。


・スランプのときは、その状態から目を転じてまったく別のことを考えたり、やったりするといい。たとえば、散らかっている部屋の掃除を徹底的にやったり、旅行は行って環境を変えてみてもいいだろう。スランプのときは流れがよくない状態なので、そこに「間」を意識的に置くのである。「間」を置くという切り替えをすることで、流れを変えるきっかけをつくるのだ。そうすると、スランプになる前の調子のよかったときの感覚がふと甦ったりする。「間」を意識的に置くことができる切り替えのいい人は、スランプに陥っても、そこから抜け出すのが早い。スランプは負のスパイラルになりやすいので、その期間は短いに越したことはない。意識的に「間」を置くという感覚を、勝負する人は持っておいたほうがいいのである。



・ギャンブルで大負けする人というのは、調子が悪いのにずっとやり続ける人です。負けを取り返すのは明日でも1週間後でも構わないのだから一度頭を冷やせばいいのに、こういう人は熱くなっていますぐ取り返したいというモードになっています。ギャンブルは回収率や期待値で見れば胴元が有利になるようにできていますが、一方でプレイヤーには「いつでも席を立てる権利」と「掛け金を上げ下げできる権利」が与えられています。プレイヤーはこの2つの権利を駆使して勝つしかないのですが、多くの人はその有利な権利をなぜか不利になるように使って、負けてしまうのです。プレイヤーはいつでも席を立てるわけなので、ひどく調子が悪いときは、席を立てばよいのです。また掛け金を上下できるので、調子が悪いときはたくさん賭けて、反対に調子が悪いときには賭ける金額を低くすればいいのです。ところが人間とは不思議なもので、調子が悪いときほど粘って負けを取り返そうとたくさん賭け、調子のいいときは利益を早めに確定したくて、まだまだいける流れであっても早々に席を立ってしまうのです。そうしたことは、会社の経営においてもよく起こります。たとえば調子の悪い赤字事業をなんとかしようとして、深みにはまってしまうことがあります。調子の悪いときは業績が悪いだけでなく、評判が下がり、社内の空気も悪く、皆が自信を失っています。そんな状況で損を回収しようとさらに追加で資金を投入し続けても、悪化するばかりです。こういう流れにあるときは、早めに撤退や事業の再構築などの見切りをつけるしかありません。負のスパイラルにはまると、ろくなことはないのです。



・厳しいせっぱつまった状況で覚悟を決めるというのは、苦しさやのしかかる大きな不安もすべて受け入れ、正面から立ち向かおうとすることだ。「できることを一つひとつやっていこう」と思いながら、手探りでも前へ進む。そうこうしているうちに、不安や焦りでわからなかったものが見えてきたりする。


・ポジティブすぎると、つい楽観的になって、最後のところで「本当にこれで大丈夫か」という確認を怠ってしまうのです。うちの社員を見ていると、もっと粘るべきじゃないかと思うところで、「よし、できた。完璧だ。みんなで飲みに行こう!」となったりしています。製品の開発などは、どこかに穴があるのではないかとネガティブな態度で最後にチェックを行うことが非常に重要で、僕がそれを口を酸っぱくしていったので、うちの会社では「ネガティブチェック」というのが合言葉になってします。「よし、これでできた」と思っても、そこで立ち止まって「待てよ。もしかして重大な見落としがあるんじゃないか」とか「ひょっとしてユーザーが使ってくれないのではないか」と思って確認するべきだと思います。最後の最後で「ぬけ漏れはないか」を徹底的にチェックして、はじめて完成といえるのです。チームを率いる立場の管理職の人でも、ポジティブな振る舞いで、自分の力量不足をごまかす人がいます。うまくいっていなくても「次は絶対成功するはず」と考えて逆転を狙う姿勢を見せるのですが、結局問題は何も解決されていなかったりします。ポジティブさや熱意でごまかしても、いつまでたっても根本的な解決にはなりません。問題が起きたときに、ポジティブ思考で楽観的に構えている人はとても気になります。「大丈夫ですから」「なんとかなりますよ」というのは逃げの裏返しでもあって、問題の深刻さと真剣に向き合っていないのではないかと僕には思えるからです。


・たとえ全身全霊を傾けた努力であっても、うまくいく保証はない。それでも努力は勝つ確率を上げてくれます。そのために大事なのは、「正しい方向に努力しているか」ということです。努力の方向を間違えれば、いくら努力をしても勝率は上がりません。努力する方向性をつかむには、「ここを押さえればいい」といった勝負勘のようなものが必要です。ただし、こういうセンスは努力する以前に培っておかないといけないものです。努力する正しい方向をつかんだ上で、すべての力を出し切って圧倒的な努力をする。そうすれば成功する確率は格段に高くなります。努力すべきところで全力を出しきれず、中途半端なまま終わってしまえば、死ぬまで悔いを引きずることになると思います。そんな後悔を前にすれば、夢が叶えられないとか、欲望が満たされないといったことは取るに足りないいことです。人生で何よりも辛いのは、悔いを残したまま一生を終えることだと思っています。



・考えるより、感じる。これも私が繰り返し道場生にいっていることだ。人は考えるほどに迷いを深くする生き物だが、感覚を研いで感じることを生き方の基本に置けば、的を射る機会は増えていくはずだ。また全体観を持つことも大切だ。自分のことだけでなく、相手や周囲のことも考える相対感を広げていくことで全体観になる。自分のことばかり考える部分観だけでは、一時は得るものが多くなったりするが、最終的には得るものより失うもののほうが多くなるものだ。そして「素直と勇気」。あまりにもありきたりで、わざわざ口にするのも気恥ずかしい気が昔はした。しかし、この2つの言葉は実はとても深いものを持っている。この2つのものがしっかりありさえすれば、他に何もいらないのではないかというほどに。


・幻冬舎の見城徹社長の好きな言葉に、「勝者には何もやるな」というものがあります。勝つまでのプロセスは本当に素晴らしいものですが、勝ったらそこで満足するわけでもなく、また新しい目標に向かっていくんだという、覚悟のこもった言葉だと僕は理解しています。基本的には「思い出話は禁止」くらいに思っておくだけでも、仕事や人生に対する姿勢がだいぶ違ってくると思います。思い出話をしたくなる気持ちもわからなくはないですが、やはりそれは停滞につながることなので、なるべく自制したほうがいいでしょう。そのほうが周囲の人にも魅力的に映り、仕事運は間違いなく上がると思います。



・「良妻を得れば幸福になるが、悪妻を得れば哲学者になれる」というソクラテスの有名な言葉がありますが、マイナスであるはずの逆境にメリットを見出すのは、とても大事なことです。人間をもっとも成長させるものは、逆境だと思います。独身時代、仕事をした経験がない女性と何度かデートしたことがあるのですが、話題がテレビに出てくる芸能人のことばかりで、会話が全然弾まなかったという思い出があります。それよりも上司が嫌な人間で逃げ場がなくて四苦八苦しているとか、仕事の量が半端ではなくて寝る時間がないと苦悩している人のほうが、会話をしてみると面白いものです。人間の深みとは、そういう逆境の積み重ねによって出てくるものなのだと思います。逆境に遭遇したら、自分という人間に深みを与えてくれるチャンスととらえて前向きにつき合っていくといいと思います。


・私は目の前に楽な道と厳しい道の2つがあれば、迷わず厳しい道を選ぶ。実際これまでもそうやって生きてきた。もし楽な道を選ぶことがあれば、それは自分が弱っているときだと思っている。厳しい道を選んでいれば、自然と鍛えられ、強くなる。そうなれば次に厳しい道が現れても、楽に進めるようになる。いつも楽なほうを選んでいれば、厳しい道はいつまでも厳しいままなのだ。勝負においても、楽を求めるのは禁じ手だ。たとえばスポーツの世界では、圧倒的に強いと思われていた選手やチームが、格下の選手やチームに思いもよらぬ負けを喫することがある。これは、「こんな相手だと楽勝だな」という油断から生まれる隙を相手に突かれるかだ。どんなに強くても、どんなに誇らしい実績があっても、「楽に勝てる勝負などない」と思っておくべきなのだ。実力的には楽に勝てるという相手でも、勝負には厳しくのぞまなくてはいけない。厳しい姿勢で戦って、はじめて「楽に勝てた」という結果が生まれるのである。



・実際に麻雀でも仕事でも、楽なほうを求めると、流れが悪いほうへと螺旋状に向かっていくネガティブスパイラルが起きやすくなります。反対に苦しいほうを求めると、ポジティブスパイラルが起きやすい。ネガティブスパイラルもポジティブスパイラルも、きっかけとなる入口は逆に見えるのです。楽をしていると、結局実力がつきません。実力がなければ、ラッキーなことが起こっても長くは続きません。このことは一発屋のミュージシャンを見るとすごくよくわかります。実力もないのに運良く当てた一発屋のミュージシャンは、そもそも力がないから、人気が落ちるのもあっという間です。一方、ライブハウスなどで10年くらい下積みの苦労をコツコツ重ねて、実力をつけてきたようなミュージシャンは、一度ヒットを飛ばすと、そう簡単には人気が落ちません。経営者が長年苦労して築いた会社もそうです。それまで築いてきた会社の土壌は、地層のように堅固に積み重なっているので、ちょっとしたことでは崩れません。好景気の時期に会社をつくってたまたま時流に乗って当たり、それほどの苦労もなく、業績を伸ばした会社を僕も何社か知っています。でも、そういった会社は景気が悪化すると、急激に業績を落とし、ほとんどが消えてしまっています。逆に景気の悪い時期につくった会社は、苦しい環境を前提に組織をつくり上げるので、経営者や社員の力がしっかりしていて、しぶとい会社になっていることが多いです。楽して一発当てた人を見ると、自分もああなりたいといって浮足立つ人は少なくありません。けれども、根底に実力があって当てたのかもどうか考えず、表面的な憧れだけを抱くのはまったく意味のないことです。



・芸能界の人は貸し借りのそのあたりの機微がよくわかっていて、借りをつくるのを嫌がる人が多いようです。芸能界で長く生き残っている人は例外なく、借りができたらすぐに返し、一方で貸しはたくさんつくるというタイプの人です。とくに芸能界の大物といわれる人は、安易に人に頼まず、その代わり人にはひたすらやってあげて見返りを求めないという生き方をしているのではないでしょうか。大物といわれる存在にまでなった人の運の理由は、そのあたりにある気がします。


「運を支配する」ための論法を雀鬼・桜井氏が哲学的に語り、藤田氏がビジネスの実例を示していく構成が非常に面白かった。成功者も人生において圧倒的多数のチャンスが廻ってくるわけではない。人生の大半は巡ってくるチャンスを確実にモノにするための準備期間と考え生きていく。またチャンスの際に自分を過大評価せず客観的に俯瞰して状況判断できることが重要ということであろう。章が多いこともあり章間で相反する論法を説く部分もあるが、これは自分の置かれた状況次第で正解が異なるというように解釈した。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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◆計画的偶発性理論◆

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