茶道とフラと、人生と。 〜 「日日是好日」 〜 ①
今年のバンクーバー国際映画祭にて、樹木希林さんご出演の「日日是好日」が上映されるのをとても楽しみにしていた。
過去に「万引き家族」や「カメラを止めるな!」、「バンクーバーの朝日」などを観たこの映画祭は、割と新しい日本映画が数本上映される貴重な機会だ。
映画を観た直後に原作本を読んだこともあり、ここしばらく「日日是好日 『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」の余韻に浸っていた。
このお話は、著者・森下典子さんが茶道に出会ってからの25年を描いたもので、心に留めておこうと思う言葉の連続だった。
茶道を嗜んだことが無い私は、このお話に触れるまでは茶道はとても厳粛で敷居が高く、私の日常からはかけ離れたイメージがあった。
けれど、良い意味で期待を裏切られ、映画を見終え本を読み終えて数週間を経た今でも、親しみやすさと咀嚼しきれない気づきの種が満載の本と映画だった。
勿論、茶道の厳粛さは思った通りなのだが、大寄せ茶会の様子などは「バーゲン会場」と描写されていたりして、親しみやすさを垣間見ることができた。
茶道を通じて著者が得た人生訓には、私にとって身近な要素が散りばめられていて、予期せぬ驚きがあった。
その要素とは、ひょんなきっかけから習うようになったハワイのダンス、「フラ」で教わる在り方や生き方だ。
シニアの方々との世代を超えたお付き合いや、先生が話して下さるフラの精神がとても興味深く、時々参加させてもらっている。
フラの精神、アロハの心と言うものはあまりにも奥が深く、少しかじっただけの私が気軽に語れるようなものでは無い。
けれど、「日日是好日」の中に出てくる言葉や気づき、教えの数々は、私のフラの先生が伝えていることと通じているのだ。
つまらないプライドなど、邪魔なお荷物でしかないのだ。
荷物を捨て、からっぽになることだ。からっぽにならなければ、何も入ってこない。
「頭で考えないの。」
雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。…どんな日も、その日を思う存分味わう。
お茶とは、そういう「生き方」なのだ。
そうやって生きていれば、人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇したとしても、その状況を楽しんで生きていけるかもしれないのだ。
フラもただの踊りではなく、「生き方」そのものだ。
フラの踊り手は「語り部」であると言われるのだが、音楽を感じ、観る人とコミュニケーションを取りながら、手話のように物語を表現し伝えるのがフラ。
その為には振付けを覚えるだけではなく、振付けと言う器の中に心を入れなければ、伝わるものも伝わらない。
それに、人間がやることである以上、踊り手の感じるもの、生き様や性格がが色濃く出てしまう様に思う。特に私のような初心者の場合は、尚のこと。
技術が磨かれれば、踊り手の内面をそれなりに覆い隠してくれるかもしれないが、それが未熟な場合には「人となり」がむき出しになってしまうと、素人ながら思っている。
また、頭で考え過ぎたり上手に見せようとしている人の踊りは、動きがどんなに優美であっても、ロボットのように見えてしまい物語や情感が伝わらない😑
技術だけでは満たすことのできない「何か」が欠けてしまうから。
情緒なのか、体温なのか、踊るよろこびなのか…
心から笑っている人と、作り笑いしている人がなんと無くわかってしまうような感じ、もしくは棒読みの朗読を聴かされる感じと似て、「わかってしまう」のだ。
だから、子供のような無邪気さにあふれる人の踊りや、苦境さえも楽しみ味わえてしまう人の踊りは見ていて楽しいし、心の奥から温かくなる。
茶道においても、ただ上手に手順をなぞるだけでは無く、季節の変化に合わせた暮らしを味わう豊かさを感じているかいないかで、「何か」が変わるのだろう。
きっと芸道と生きることには明確な境目は無くて、芸道はその人の全てを映し出すし、人の内面があぶり出されない芸道は、もはや芸道で無いのかもしれないと思った。今さら、だけれど。
久々に書いたら長くなってきたので、②に続く♪
aloha & mahalo♪
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