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「雌伏三十年」 第1章 部分公開

3月23日に発売になった自伝的小説「雌伏三十年」の一部を公開します。

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第1章 俺は悪くない

「こいつら売れねえな。」

 PA卓の前で、そう呟きつつ、二日酔いの俺の頭は、いつもよりどんよりとしていた。
 そのバンドのボーカルは、前頭部から頭頂部までを剃り落とし、ちょび髭で、燕尾服姿、さながら狂ったチャップリンの様。
「放火魔だもの〜 放火魔だもの〜」
 マジック用のフラッシュペーパーに火をつけながら歌っている。もちろん小屋は火気厳禁だ。知らされていないパフォーマンスだった。時折、火が手に燃え移り「アチ!アチ!」とか言っている。おまけにマジックのタネは丸わかりだった。
「こいつらは飼い殺しの刑にしよう。」
「出入り禁止!」ではなく「お得意さま」にする。ライブハウスの最高刑に処すことを静かに決定した。
 危機感は希薄だった。まだまだこの界隈は大丈夫だろうとたかを括っていたのかもしれない。今日も早いとこ仕事を切り上げて、入ったばかりのバイトの娘に仕事の手ほどきをしつつ、あわよくば今夜あたり……、そう思うと下半身が疼いて仕方がなかった。
 ふとステージを見ると、今度はチャップリンが、ステージ上でロウソクを前に浣腸しながら叫んでいた。
「消火〜! 消火〜」
ただちに何かを発射せんと、肛門に全神経を集中している。
「すわ!肛門火炎放射器だ!」
肛門火炎放射器とは。注射器に小麦粉を詰め、肛門に注入、大腸の空気と共にそれを放出し火に当てると、まるで火花のように炎があがるというもの。どこかの芸人がやっている裏芸だ。それをそのままパクるチャップリン。
「あんのやろー!」
 ようやく二日酔いの頭がさめた。そして、自分のライブハウスを汚されることより、今の今まで脳内にあった甘美な妄想が、その幼稚なパフォーマンスによってき消されたことに苛立った。
 事の末を、恐いもの見たさか、固唾を飲んで見守る僅かばかりの観客。そして一瞬の静寂の後、ライブハウスにはあまりに不似合いでチャーミングな噴火音がこだました。
「ブブブブブ〜」
哀しき自己顕示欲に満ちたブルース音。その音はあっという間に小屋の防音壁へと吸い込まれていく。しかし臭いまでは吸収されない。
「臭っせぇーー!」
まばらな観客が端へ避ける。と、ブルーシートの上で四つん這い姿のチャップリンがぽつねんとしていた。顔を上気させプルプルと震えている。観客の一人が騒ぐ。
「ぎゃー! ウンコだー!」
火炎放射器どころか、脱糞放射器と化した、その男の間抜けな姿を見ながら「こんなはずじゃなかった……。」と、俺は脱力していた。妙な優越感とともに。


「こいつらと、自分は違う。」
 いつからだろう。思えば、子どもの頃から周りと自分とは違うと思っていた。
 俺の名前はダイナマイト★アツシ。しかし、本名は臼井圭次郎という。今はライブハウスの雇われ店長をしている。
「自分は人とは違う」という観念は誰にでもあること。俺の場合、この名前にその発端があったように思う。……父親はカツラを被っていた。
 カツラを被っている「薄い」さんならまだしも、息子のこの俺に「毛、いじろう」と名前を付けた親の想像力の無さには閉口した。このことに限らず、いわゆる「親」というものは、いつも自分の都合で祭りをやり散らかし、その後始末を子ども達に押し付ける。名付けなど、その典型だろう。大っぴらにネタにされることはなかったが、思春期にこの名前はかなりキツかった。
 今の名前で三代目となろうか。上京後は、行く先々で通り名を名乗ってきた。放っておくと目立ってしまう自分のような人間にはその方が都合が良いと考えた。そして、いざという時に、人と違う本物の「俺」をチラ見せし、驚かせる。「前から思っていたけど、アツシさん、普通と違うと思ってた。」と言わせたら俺の勝ちだ。
 しかしあれには参った。我がライブハウスのweblog「アツシ店長のダイナマイト日記」を保育園の保護者に発見された時だ。
 俺は普段、頭にバンダナを巻いて子どもの送り迎えをしている。それは注目ポイントがそこではなく、俺の、小粋な会話や、ダンディな佇まいにあるからだ。ところが、自分のキャラを出すため、あるいは、読者のために、バンダナを巻かずにおどけていたりする記事を上げることもあるわけで……。
「ブログ、発見しました。最初名前も違うし、誰だかわからなかったけど、ふふふ、頭、ほら、いつもバンダナ巻いてるから一瞬わかんなかったけど、ねぇ、ふふふふ。」
答えに窮した。
それは自分であって自分じゃない。〝そこ〟は俺の売りではないのだから。

 子どもの頃は剣道をしていた。他の子たちが少年野球をしているなか、自分だけは隣町の道場まで通う。これがイヤだった。
 やがて俺は、苦痛な剣道を「これは本当の自分ではない」ということで処理するようになった。あくまで親のためにやっていることなのだと。
 俺だって本気を出せば、野球も上手に出来るし、もっとチヤホヤされただろう。実際、運動神経は良かった。それが証拠に、剣道の地区大会ではいつも優勝をしていた。本気を出さずともこの結果。やりたくてやってることでもないのにである。
「本気を出さずとも」、ということで言えば勉強もそう。
 中学時代は結構ヤンチャで、ケンカにタバコ、改造制服にエレキギターはもちろんのこと、YAMAHAのパッソルを専門に盗むグループにも所属した。でも、きちんと県内有数の進学校に入った。
 高校の文化祭ではメンバーを集めてバンドを組んだ。
 歌には自信があった。しかし、文化祭は所詮身内ウケの場。こんなところで本気を出すのもバカバカしいと、ひとまずギターを担当した。そうして密かに、「ボーカルは圭次郎が良い。」と言う誰かの声を待った。が、既のところでその座を人気者の祐介に奪われる。空気の読めない祐介の「俺がボーカルやってやるよ。」という申し出に、他のメンバーが同調したためだった。メンバーの日和見ぶりには、正直がっかりした。だが、すぐ思い直す。たかだか文化祭だ、ここはおっちょこちょいの祐介に任せておけばいいと割り切り、採用。そんなプロデューサー的資質も俺にはあった。
 本当はオリジナル曲をやるつもりだったが、メンバーたちがコピーをやりたいと言い出したので、仕方なくコピーをやることにした。ここで変に意地を張っても仕方ない。俺は我慢だって出来る。ちなみに、演奏したのは、ハウンド・ドッグ、佐野元春、織田哲郎、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース。皆のやりたいことをまとめたら、まったく一貫性のない楽曲群になった。それ以来俺は、〝最大多数の最大幸福〟という概念を信用していない。

「女」の話もしてみたい。最初は1つ年上の非常に〝優しい先輩〟と結ばれた。
 山を越えて、自転車で30分くらい走ったところに先輩の家はあった。先輩の家はブドウ農家で、プレハブ小屋があり、その離れが先輩の部屋だった。そういえば、『ねるとん紅鯨団』のテーマ曲が流れると、今でも反射的に下半身が疼いてしまう。2人が逢瀬を重ねるとき、彼女の部屋の赤いSHARPの14型テレビによく映っていたのが『ねるとん』だったからだ。
 室内灯を消し、案外ムーディな勉強机の灯りの下で2人は明け方近くまで愛し合う。ただ、決定的に話が合わなかった。でも、身体が合うのだから仕方がない。
 2人は、自分の意志とは関係なく、土曜の夜に激しく求め合った。そして俺は、日の出とともに帰って行く。長居をしないのは、話が合わないからだが、ついでに言えば、先輩が俺の顔の上に跨ろうとするからだった。先輩は興に乗って来るといつもそうしたがる。俺は、最初は「親の信仰上それは出来ない。」と断っていたが、断る理由も尽きていた。
 それにも増して、困ったのは、〝他の者〟の存在だ。
 夜、親が寝静まるのを待ってチャリンコに乗って先輩の家まで行くのだが。ものすごい速度で山を越え、やっと辿り着いたと思ったら、先輩のいる離れの前には既にバイクが止まっていたりする。〝他の者〟だ。そのときの悲しさをなんて言い表せる?しかし、ここでガツガツ入っていくようなことはしたくない。そこで俺はタバコを1本吸ってクールダウンしてから帰る。剣道をやっている俺は、足腰を鍛えるために山道を片道30分かけて来ただけなのだ。そう言い聞かせつつ。
 当時、俺の地元では、『ねるとん紅鯨団』の後、1本のどうでもいいローカル番組を挟んだド深夜に『オレたちひょうきん族』をやっていた。山を越えて帰ってくると、番組も終わる頃で、ユーミンの「土曜日は大キライ」が流れていた。それから俺は土曜じゃなく、ユーミンが少し嫌いになった。

 同級生の睦美は帰国子女で、鼻っ柱の強い勝ち気な女だった。
 俺は良くも悪くも皆の注目を集め易い人間だったので、特定の人物とちょっとでも親しくすると、すぐ噂になってしまう。向こうが俺のことを好いていたのはわかってはいた。噂好きの連中は「睦美と臼井は付き合ってる。」とデマを吹聴していた。でも、俺はその流れには乗らず、無視を決め込んでいた。何故なら〝理想の女〟がいたからだ。学年一の美女、かおりだ。かおりは祐介と付き合っていた。祐介はたまに「かおりが昨晩寝かしてくれなかった。」とか自慢話をする。大方、祐介のハッタリだろう。人生はタイミングだ。タイミングさえ良ければ必ず俺にも勝機はある。そう思って俺はかおりに操を立てていた。
 とにかく、俺は睦美と公認の関係になるのが嫌だった。本音を言えば、睦美の顔が好みではないからだけど……。
 しかし、1回だけデートをしたことがあった。そのときはもう高3になっていて、少し焦ったのだ。
 ある日の夜、電話がかかってきた。当時はまだ家の電話だ。
「こんな時間になんだよ?」
「圭次郎、単刀直入に言うね。付き合ってほしい、どうアタシ?」
 背後にあるお茶の間という日常が、答えを急がせたのかもしれない。お袋がミカンを食べながらもこちらの様子に興味津々なのが判る。親父はヅラを取った状態でテレビを見て大笑いしていた。
「うん?ぅあー?おお……。」
気づくと俺は、承諾してしまっていた。
 俺の辞書に「高校時代は彼女はいませんでした。」という文字はない。睦美は、自分の物語のための書き割りだ、そう思うことにした。
 それから彼女とはまず文通を始めた。しかし、噂を立てられるのが嫌だったから一緒に帰るようなことはしなかった。
 ほどなくして、休みの日に映画を観に行こうということになった。
 選んだのは名画座の「ティファニーで朝食を」。本当はごきげんなカンフー映画を観に行きたかったけど、そっちの方が良いと思ったのだ。
待ち合わせは家の最寄りの駅を外し、2駅先にした。最寄りだと、2人でいるところを誰かに見られる恐れがある。
 で、「ティファニーで朝食を」。
正直言えば、俺には理解できなかった。もう寝ないで見てるのがやっとという感じ。それより、終わった後のデートプランだ。そっちが気になって仕方がなかった。
 映画終了後、段取り通り、小洒落たカフェへと彼女を誘う。
 準備はばっちり。俺は事前に映画雑誌の評論などをチェックしていた。さぁ、これから蘊蓄ショーの始まりだ!そう思っていた。ところが、そんな矢先に猛烈な便意に見舞われる。間が悪い。
 悟られぬよう、俺はさりげなく「ちょっとトイレに。」と席を外した。しかし、睦美は俺が戻るや否や……
「うんこ?」
と、言った。
俺は彼女の外見より、こういうデリカシーのないところが嫌いだった。
「そうだ、俺はうんこをしていた。」
開き直ってみせたが、自尊心は深く傷つけられた。
帰りも最寄りの駅ではなく1駅手前で降り、そこからとぼとぼと歩いて帰った。今度は人に見られたくなかったからではない、サプライズのためである。道中には雰囲気の良い公園があり、そこでプレゼントを渡すのだ。前もって骨董屋でおもむきのあるテーブルランプを買っておいた。
 ランプは事前に隠した。噴水広場だ。そこに夕方から灯る街灯が、デートのクライマックスを彩る。そこで俺たちはキスをする。たぶん最高のはず……だった。というのも、このミッション遂行にはいくつかの盲点があったからだ。それらに邪魔されることになろうとは……、もっと綿密な下調べをしておくべきだった。
 公園の中には小さな動物園があり、まずこれがムードを台無しにした。
「グェアーーーーーーーー」
ペリカンは素っ頓狂な声で喚き、ツキノワグマの目は光り、あるいは、極めて普通のヤギがいたり、明らかに病気の猿もいた。そこを通過しないと噴水スポットに辿り着けない。更に、酷い獣臭さ。子どもの頃からよく行っていた公園だったが、「デート」という額縁を当てると、実に邪魔物が多く存在していたことにちょっと驚いた。そして、もっとも困惑させられたのは天気。途中から降り出した雨だった。
 前の日、たしか噴水広場の裏手にランプを隠しておいたのだが。ただでさえ噴水の周りは濡れている上、追い討ちをかけて、だんだん雨が強く降ってきたのだから堪らない。
「どこ行くの?」
不安そうな睦美。その頃にはもうすっかり辺りは暗くなっていた。俺は「ちょっと待っててくれ。」と、彼女をベンチに座らせた。
周囲を探してみる。
ところがランプがなかなか見つからない。どこに隠したかさっぱりわからないのだ。だんだんとパニックになってきた。
「あった!」
なんとか見つけた。しかし、包み紙は……ビショビショになっていた。
 それでもミッションは成功させなければいけない。
 プレゼントの蓋を開ける睦美。ランプが顔を出す。
 俺はランプが素敵だと思ってたし、彼女の喜ぶ顔が見たいと素直に思っていた。ところが睦美は……
「……ありがとう。で、これ何?」
と言った、あの彼女の、いや、鶴田睦美の顔を、俺は一生忘れないだろう。
 最後はキスをする予定だった。でも……
「寂しくなったらこの明かりを見てくれ。」
その日はそう言って別れた。
 彼女からはそれっきり連絡が来なくなった。あるとき、手紙を渡されて開けてみると、「別れましょう」と書かれていた。こっちだって願い下げだと思った。
 そんなほろ苦い経験もあったが、結局、俺の高校生活は有意義だった。
 さすがに高校ともなると勉強こそダメになっていたが、常にヒエラルキーの上位にはいたし、普段から人を楽しませていたのでバカにされたりすることもなかった。
 そして、3年になり、一般推薦という形で適当に大学進学を決めた。
 本気を出さず、なんとなくやっていても、それなりのところまで達してしまう。そもそも俺の生まれ育ったこの地は、本気になることを嘲笑うような風潮もあった。
 俺にとって山梨は狭すぎる。だから俺は東京に出ることにした。





【雌伏三十年】
芸人、ミュージシャン、俳優、コラムニストと八面六臂の活躍をするマキタスポーツが、今度は自伝的小説で作家デビュー! 1988年、山梨から野望を抱いて上京した臼井圭次郎は、紆余曲折の末に仲間とバンドを結成する。しかしなかなか売れず、結局バンドは空中分解。おまけに女性関係や家族との間にもトラブル頻出――八方ふさがりの圭次郎に未来はあるのか⁉ 1980年代から2000年代にかけての懐かしのヒット曲もふんだんに盛り込まれ、ビートたけしはじめとする実在の人物も出てくる、サブカル青春漂流記。

カバー+帯


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