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私の好きな偉人シリーズ「紀貫之」

「男もすなる日記というものを女もしてみむとするなり」
紀貫之『土佐日記』の冒頭です。

このフレーズだけで紀貫之のすごさが伝わってきます。「本来、男の人が書くものである日記というものを女の私も書いてみようと思う」と男の紀貫之が書いているんですね。、まさにジェンダーフリーです!

紀貫之は最古の勅撰和歌集『古今和歌集』の編者でもあります。天皇の命を受けて作った最初の和歌集ですから、一流の歌人でなければ務まりません。
審査員はだれもが納得する実績者しかなれないのと同じです。

古今和歌集の冒頭で「六歌仙」(当時世間でよく知られている歌人)についての講評を行っています。それがまた毒舌なんですね。一流の実績があり、自分に自信が無いと言えないような厳しい評価を、「六歌仙」と呼ばれるほどの歌人に対してするんですからね。

それだけ、紀貫之は自他ともに認める優秀な歌人だったということです。しかも、「漢詩」が中心だった時代に「和歌」にこだわった歌人です。ですから、酷評された歌人たちも紀貫之に言われたらしかたがないと感じるのではないでしょうか。

さて、そんな紀貫之が書いた『土佐日記』。成立は10世紀で、最初の「日記文学」と言われます。そして冒頭のフレーズです。そこからわかるすごさを列記します。

①ジェンダーフリーであること
②女性になり切ることで「ひらがな」を使えた
③女性になり切ることで自分の感情を表すことが許された
④男性が書く日記の形式をとることで「日記文学」というジャンルを確立した
⑤女性が作品(日記文学)を書くことを是とした

①男性の役割と女性の役割を明確にしつつ、その両方を行き来する発想がすばらしいですね。「男性が上、女性が下」ではなく、役割の違いなので、互いに敬意を持っている証です。

②当時生まれた「ひらがな」は、女性しか使ってはいけなかった文字です。それは蔑視からではなく、女性の特権です。男性は「漢字」を使って「オフィシャル」に書き、女性は「ひらがな」を使って情緒豊かに書くという文化だったのです。

③「和歌」を愛する紀貫之は、「大和言葉」を大切にしており、「ひらがな」を使ってたくさんの情感豊かな作品を書いてみたかったのだと思います。男の文章は「漢字」であり「公式的」だったので、女性になりきることでその想いを実現できたのだと思います。

④紀貫之は男ですから日記を書く習慣があります。ただしそれは、漢文で形式的です。紀貫之はひらがなを用いながら日記を書くことで、日記に文学的要素を取り入れました。それにより「日記文学」という新分野を確立しました。

旅行中のできごとを一日ごとに書き留めていく、まさに日記の形で著しており、毎回得意の和歌も載せたのです。和歌入りの紀行文といったところですね。

⑤これが一番大きいと思います。紫式部の『源氏物語』を始めとする、女流文学者が、この後たくさん登場します。清少納言、和泉式部、菅原孝標女、藤原道綱母などです。

今から1000年も前に、これだけの女流文学者の作品が世に出て、高い評価を受けて現代まで伝わっている国は、世界中探したってありません。高い教養を持つ女性がたくさんいたこともそうですし、女性が文学作品を書くことが許されたり、それを世に発表することもできたなんてすごいことです。

その道を作ったのが「紀貫之」の『土佐日記』だったと言ってもいいでしょう。『枕草子』のような随筆や『和泉式部日記』『更級日記』『蜻蛉日記』などの「日記文学」が広まったのも、彼がパイオニアになったから。しかも女性になり切って書いてますからね。

「大和言葉」や「和歌」を愛し、「日記文学」や「女流文学」の礎を築いた紀貫之。大好きな人物の一人です。





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