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人と向き合うのに子供も大人もない

今回見た「C'MON C'MON」はマイク・ミルズ監督最新作。主人公は、ラジオジャーナリストとして子供たちにインタビューするのが生業のジョニー(ホアキン・フェニックス)。そんなある日、彼は妹の息子である9歳のジェシー(ウディ・ノーマン)を預かり、共同生活を送ることになる。共に過ごしていく中で2人が成長していく姿を全編モノクロ映像で描く作品である。
ただこれは解説記事ではなく、1人の人間が映画を見ての感想文みたいなもの。

【ここからネタバレ含む】

元々モノクロ映画には苦手意識があった。昔の映画の雰囲気が好きな人もいるが、それは技術的にできなかったのだから現代でやる必要はないと思ってた。映画館という大きいスクリーンで鮮やかな映像を堪能したいと思っているから。しかし、今回はモノクロで良かった、いやモノクロじゃないと成立しないと感じた。この映画で見てほしいのは街並みや風景ではなく、人と人との物語。目から受け取る情報が最低限で、日常風景から切り離されて自然と物語に集中できた。
序盤にジョニーが妹ヴィヴの家に訪れ、ここでのやりとりにクスッと笑ってしまった。というのもホアキン=ジョーカーのイメージが強く残っていたため、役といえどお茶目な部分にニヤニヤしてしまったからだ。子供にとって初対面の大人と話すには気恥ずかしさがあってなかなか自分から挨拶できないもの。そこにヴィヴがジェシーに小声でジョニーになんと挨拶したか良いか教える。しかしそれをジョニーは見ていて何を言わせようとしているかも分かっているから少しコントのような雰囲気ですごくほっこりした。
そもそもなぜ預かることになったのかというと、ジェシーの父親は精神疾患でしばしば情緒が不安定になることがあり、今回も仕事で単身赴任している時にストレスがきっか手で再発してしまい、ヴィヴが夫のところに行かなければならなくなったからである。
ただジョニーは子供を育てたこともなく、実際は妹とも仲が良いわけじゃない。それでもジェシーとの共同生活を始まった。朝起きると、ジェシーがオーケストラを大音量で聞いていたり、自分には親がいない子どもという設定で会話しようと少し風変わりな遊び方を要求するなど、ジェシー自身も普通ではなかった。しかしジェシーは「普通って何?」と質問に対してジョニーは返答に困ってしまう。また、子どもは自分の興味関心に真っ直ぐで、相手を気遣うことにはまだ未熟。だから、ジェシーもジョニーが本を読み聞かせているときに「なぜ結婚しないの?」「なぜお母さんと妹のように話さないの?」など、ジョニーにとって答えづらいことばかり聞いてくる。その一方でジェシーは自分ことは話さず、友達もいなくて孤独だった。ただジョニーの仕事に興味を示し、徐々に彼の仕事仲間とも打ち解けていく。ジョニーと一緒に過ごしていく中で、真正面から向き合い、だんだんとジョニーとジェシーが親友になっていく。そしてジェシーを通してヴィヴとの関係性にも変化が生まれる。ジェシーへの接し方の相談をヴィヴにすることで母としてのヴィヴを知り、少しずつお互いの過去のわだかまりも少しずつ解れていく。
映画中盤までは、私自身ジェシーに憎たらしさや腹立たしさを感じてた。大人ぶった態度やジョニーになかなか心を開かず、お店で急にいなくなりジョニーを驚かしたり、ジョニーが電話に夢中でかまってもらえないとわかると、姿を消してバスに乗り込んだりすることに少し苛立ちを覚えた。しかしこれは子どもなりの不器用な方法で何かを訴えてる行動。それでもジョニーは諦めずジェシーに歩み寄った。2人の関係性が変わったのは、ジョニーが仕事でニューヨークに行かなくてはならず、全てを面倒しきれないとなって母の元に帰そうとした時だった。空港までタクシーで向かう途中、ジェシーがお腹が痛くて我慢できないと訴え、すぐ近くのダイナーのトイレを借りた。しかしこれはジェシーの嘘で本当は帰りたくなかった。父は精神疾患で母はそのケアでいっぱいいっぱい。そんな場所に帰っても自分の居場所はなく、帰っても楽しくないとのことだった。
ここでジョニーは空港に行くのを諦め、もう少し一緒に過ごすことを決めた。ここでジェシーが初めて胸の内をジョニーに伝えたシーンだった。これ以降2人の距離がぐっと縮まり親友のような関係を築いていく。
このシーンもすごく印象的だった。ジョニーはジェシーのことを怒ることなく、嘘に半分呆れ半分嬉しい(本音を伝えてくれたから?)気持ちで笑って、彼の話に耳を傾けていた。ジョニーの殻が破れる瞬間というか、ジェシーという1人の人間と向き合う覚悟というか、ジェシーの話を聞いて「ああ、この子は自分と同じで孤独なんだ、だから踠いているんだ」と感じ取ったのかと私は感じた。

映画終盤、ニューオリンズのパレードの後、家でジェシーがジョニーの胸に頭を預けるシーンでジェシーが「一緒に過ごした日々のことを忘れちゃう?」と聞くと、「忘れないよ。でもいずれ一緒に過ごした日々が思い出せなくなる」とジョニーは答えた。まさにそうだなって。思い出せなくなるだけで忘れるわけではない。ヴィヴからの電話で夫が回復してきたのでジェシーを迎えにいくと話した後のシーンではジョニーがジェシーに寄り添い、今の気持ちを吐き出してほしいと伝え、お互い叫び合って感情を爆発させるところも好き。
相手を理解するのは難しいが、寄り添ったり、一緒に悩んだりすることはできる。それでも話さないことには何も分からない。人と人とが歩み寄るのはほんとに難しい。ジョニーは不器用なりに頑張ってジェシーを理解しようとネット検索で答えを探したり、ヴィヴに相談したりするなど、だんだん叔父さんとしてではなく、ジェシーの親友として接していくよう変化する。それがたまらなく愛しく感じた。
そして、ジェシーがジョニーの仕事道具で自らマイクを持って録音していたシーンは映画タイトルの意味が明らかになった。
そもそも「C'MON」は「come on」の略で、「来る」という意味が一般的だが、ここでは「先へ、先へ」と訳していた。
この意味はジェシーの「人生起きると思っていることは絶対に起きない。考えもしないようなことが起きるから、どんどん先へ、先へ」というセリフからだった。

これも自分の人生とシンクロした。ほんとに人生何が起きるか分からない。不倫のニュースを見て他人事と思っていたら、彼女に浮気されて別れてしまったり、また自分の夢を追いかけるために厳しい道のりを進もうとしたり、その一方で友人の支えがあったり周りに恵まれていると実感したりするなど、ふとした瞬間で人生は変わる。人と向き合うことにも勇気がいるし、時に傷つく覚悟も必要。それでも人生は続いていくし、これから辛いこともたくさん経験するだろう。そこで私たちはどのような選択するのかは自分次第。でも、そこに正解なんてないと思った。人は正しいか間違っているかの二択で物事を考えようとするが、人生の選択で間違ってることなんてあるのか。ずっと結婚しないで独身でいることが間違い?、夫の精神が病んで子どもは変わっているのは正しくない?その答えは正しくもないし間違ってもない。そもそも他人にとやかく言われる筋合いはないし、それは自分で選んだ道。どんな困難があっても進むしかない。きっとそこに明るい未来が待っていると信じて。この映画を鑑賞後はほんとに心が癒された。言葉で形容するするのが難しいが、友人と会って飲んだ帰り道のような精神が安らぐ感じと似てる。
だから、私も進むしかない。明るい未来を信じて。

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