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バカバカしい偶然ほど深い傷を残す(平野啓一郎『マチネの終わりに』を読んで)

いわゆる大人の恋愛物語だが、この中で語られる「時間論」も興味深かった。

ところで、結婚式のスピーチなどでよく語られる、こんな話がある。

人生には3つの坂がある。
ひとつは「上りざか」。
ふたつめは「下りざか」。
そしてみっつめが、「まさか」である。

半分冗談のようだが、人生には確かに、その「まさか」がある。しかも往々にして、その「まさか」が、その人の人生を決定づける。それは人生を長く生きてきた人ほど、おそらくはよく知っているはずの経験則である。

そんなバカな、と思うような「偶然の不幸」。それがバカバカしければバカバカしいほど、他人には語り得ない、深い傷を残すのかもしれない。それはときに、一人で抱え続けるにはあまりに重すぎるほどに。それでも人は、生きてゆかなければならない。

この小説には、「未来は、過去をも変える」という思想が通奏低音のように流れている。主人公のギタリスト、蒔野はこう語る。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

この物語の大きなターニングポイントとなる「事件」は、まるでトレンディドラマのハプニングのように「ありえない!」と思わせる展開を見せる。読者は半ばあきれながらも、まるで泥沼に足をとられて沈み込んでいくように、その展開を見届けることになる。

人生に深い影を落とす記憶。だが、深い影は必ず強い光によって作られなければならない。この不完全で、美しい世界。

これほど深い余韻を残す小説に出会ったのは初めてかもしれない。人によっては大きく心を揺さぶられる物語なので、ぜひ心が健やかな時に読むことをオススメしたい。


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