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アメリカで出産。ドゥーラ(Doula)をお願いした話。

約10年まえ、アメリカで初めての妊娠、出産をしたときの話です。

双方の実家それぞれの理由から、夫婦二人きりで、人生のこの一大事を乗り越えなくてはならなくなりました。母は強しといえど、英語の不安に始まり、なにより空気の読めない夫と、分娩室で過ごす長く苦しい時間を想像したら、それだけで発狂しそうでした。なので、夫婦の平和と、安産祈願をこめてドゥーラ(Doula)を頼むことにしました。


ドゥーラ(Doula)とは

ドゥーラとは、もともとはギリシャ語で「女性に仕える女性」という意味ですが、現在では出産前・出産中(通常陣痛が始まってから出産が終わるまで)・産後早期を通して継続的な身体的、心理的なお産のサポートができる専門家のことをこう呼んでいます。助産師との違いは、医療行為をしないこと、陣痛が始まったらそれから出産までずっとそばについて、お産の進行を見守ること、です。

「一般社団法人 ドゥーラシップジャパン」より

アメリカでも、知る人ぞ知るという存在のドゥーラです。アメリカのドゥーラは、出産に立ち会うドゥーラ(Birth Doula)と、産後のお世話をしてくれるドゥーラ(Postpartum Doula)とに分かれています。同じ人が二つの役割をすることもありますが、アメリカではそれぞれ別のドゥーラが担当することの方が一般的という印象を受けました。

調べてみると、アメリカの産後ドゥーラ(Postpartum Doula)のしてくれることは、お母さんの食事の用意(主に冷凍食品を温めるだけ)と赤ちゃんのお世話のお手伝いで、一番の大きな役割は、お母さんとお話をするという産後のお母さんの精神的なケアのようでした。産後に、英語で会話しなくちゃいけない他人が、家にいると想像しただけでストレスがかかったので、私は出産ドゥーラ(Birth Doula)だけをお願いすることにしました。

ドゥーラ修練生の探し方

アメリカでの出産は、とてもお金がかかるので、できるだけドゥーラの費用を抑えたいと考えていました。そこで、友人が教えてくれたのが、ドゥーラの資格を取るために、実地訓練を必要としているドゥーラ修練生にお願いすることでした。そうするとだいぶ費用が抑えられます。

そんなドゥーラ修練生の探し方は、まず近くにすむドゥーラを育成している機関や個人に連絡をとり、実地訓練を必要としている人がいるか聞くことから始まります。幸運なことに、1人条件に合う人と出会うことができました。その方が、私の出産ドゥーラ(Birth Doula)となるローラでした。

私のドゥーラのローラのこと

まずメイルのやり取りをし、正式にお願いする前に、ローラと面接をしました。ローラは、私より少し年上の、繊細な感じのする優しい女性でした。たしか2人の子供を持つお母さんだったと思います。当時、ある会社のセールス部門でパートタイムとして働きつつ、ドゥーラの勉強をしていました。ドゥーラを目指した理由は、もともと医療系の仕事に興味があったこと、そしてその中でも、出産という神聖な仕事を手伝いたいからだと話しくれたことを覚えています。

ローラにとって初めてのクライアントが、英語がおぼつかないコミュニケーションも一苦労というような私で、大変申し訳なく思いましたが、いつも辛抱強く私の話を聞いてくれたことが、とても心強かったです。

そんな誠実で温かい人となら、出産を乗り越えられると自信がつき、ローラにお願いすることにしました。


ドゥーラとの面談で確認したこと

出産前の面談で、大まかな仕事内容の確認と、個人的にお願いしたいことなどを話し合いました。

<ローラの仕事とお願いしたこと

  1. 出産前の面談1回(←今ここ)

  2. 本陣痛が始まったら、家に来て一緒に間隔を測る

  3. そのまま病院まで付き添い、出産するまで①私と病院スタッフとの橋渡し②陣痛の痛みを和らげるお手伝い③夫に私のニーズを伝えること

  4. 出産中と産後すぐの、ビデオや写真の撮影

注;太字の部分は私がローラにお願いしたことです。

そのほかには、何か不安に思うことや、病院との連絡で手伝いが必要な時は、いつでも連絡してということでした。

私が特にお願いしたかったことが、陣痛中、夫に私のニーズを伝えることでした。なぜかというと、私の夫はいい人ですが空気が読めないのです。

どんなに顔色が悪くて、高熱にうなされていても、私が声をあげない限り、私の体調不良に気づかない夫です。そんな夫が、私の陣痛中、横でスニッカーズとか食べて、「君もどう?」とか、のんきに聞いてくる様子が目に浮かびます。そして、それに私が怒れば、きっと「だってお腹が空いたんだもん」と言い返してきます。しかし、陣痛の痛みにたえている私にそんな夫を諭す余裕はゼロだと思い、ローラに代弁してもらうことにしたのです。

このほか、担当の産婦人科医に渡してあった、出産計画(Birth plan)を一緒に確認しました。この出産計画は、簡単に言うと、分娩方法(無痛or通常or水中etc)や、赤ちゃんが男の子だった場合、割礼(circumcision)をするかどうかなど大きな決断のほかに、分娩中にかける音楽の選定、アロマなど、出産に関することを色々と事前に決めることです。

陣痛から病院に向かうまで

当時、夫は片道1時間以上かけて通勤していたので、陣痛が昼間に始まったらどうやって病院に行こうと不安がありました。さらに、陣痛の間隔が短くなるなんて、わかるのかなと、初めてのことで不安だらけでした。なので、ローラにいつでも頼ることができるという安心感は、本当に大きな救いでした。

等間隔の陣痛が始まった時、すぐにローラに連絡をし、一緒に電話越しで陣痛の間隔を測り、そろそろ出産が近づいてきたというタイミングで、ローラが駆けつけてくれました。それから、一緒に1時間くらい様子を見て、私はちょうど帰宅した夫の車で、ローラは自分の車で病院に向かいました。

それから、12時間。初産だったので、なかなか子宮口がひらかず長ーい陣痛に耐えることとなりました。

12時間の陣痛

初めての陣痛は、お腹の中でシンバルとドラムが競い合って叩き合う振動と、骨がきしむような痛みとの競演でした。案の定、夫は横でオロオロするばかり。

さあ、ローラの出番です。

次々と、繰り出される陣痛逃がしの術。

テニスボールをお尻に当てる。バランスボールでジャンプ。夫に背中をさすってもらう。廊下を歩く。歌を歌う。深い呼吸を夫婦でどうぞ。バックハグはいかが。チークダンス。。

陣痛が長引くほどにローラの持ち球も尽きてきます。そこで、携帯で調べ始めたと思ったら、疲れの見える顔をパッとあげて

「キスをすると痛みを忘れるそうよ。」

今まで、従順にローラに従ってきましたが、それは恥ずかしくてお断りしました。そんなこんなで、忙しくも楽しい陣痛逃がしのおかげで、夫にイライラすることもなく、体力の限界となり、気が付くと足を広げたまま寝ていました。

出産

子宮口全開というところで、やっと担当医がやってきました。それからさらに1時間以上。いきみ続けて、やっと出てきたわが子は、ガッツ石松でした。ローラに、お願いしていた出産中の写真は、なぜお願いしたのか?というほど生々しいものでしたが、生まれたばかりのわが子と私と夫の初めての家族写真は、今でも大切な思い出です。

ドゥーラを頼んだ感想

本当に、ドゥーラを頼んでよかったです。出産前の不安がだいぶ軽くなりましたし、なにより今でも仲良く夫婦で子育てができているのは、ローラがいたからこそだと断言できます。

あの長い陣痛を、オロオロするばかりの夫と二人きりだったら、きっと夫に愛想をつかしていたと思います。そして、今でも「あの時、あなたは、、、!!!」と、ずっと根に持つような結果になっていたと断言できます。

事実、陣痛逃がしと出産の間、ローラが何度も夫にきれていました。私の代わりに怒って、ずっと私の代弁をしてくれたからこそ、私は心穏やかに出産することだけに集中できました。まるで、いつも私の味方でいてくれるお母さんのような存在でした。本当に心強かったですし、今でもローラのことを思い出すと胸が温かくなります。

ドゥーラを頼んで気づいたこと

実は、夫婦のコミュニケーションを助けてほしいと、二人の子宝を出産するという時に、ローラに頼むのは恥ずかしいことでした。しかし、未来の夫婦の平和と、安全に子供を産むということを一番に考え、外部の助けを求めました。

家族の問題は家の外に持ち出さないという、考えにとらわれていた時期があります。しかし、親身になって助けてくれたローラと出会い、不安なことやストレスを感じることは、専門家に助けを求めていいんだと思えるようになりました。専門家じゃなくても、身近にいる人に助けを求めることは、決して恥ずかしいことじゃないのです。だから、つらい時はどんどん助けを求めましょう。

 #家事分担の気づき


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