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「発達障害のことがよくわからないから」は言い訳にすべきじゃない。

様々な研修や講座の時に
最後に必ず「質問」を受ける時間を設ける。
状況によっては、途中でもお尋ねすることがある。

「何か質問ありますか?」

「困っている事例はありますか」

こんな場合によくあることですが、
「発達障害だと思う子がいるのですが、発達障害のことがよくわからないのでどうすれば良いかわかりません。」
と答える人が多くいます。


はてな?


この返答への問題提起は少なくとも4つある。


  • なぜ、その子が発達障害であると思うのか?

  • 「よくわからない。」ということがわかっているなら、わからないということが解消できるような努力や工夫はしていないのか?

  • どうすればよいかわからないから何も手立てをしていないのか?

  • どんな状態になったら、「発達障害」を理解したことになるのか?

ということだ。

なぜ、その子が発達障害であると思うのか?

 そもそも、「発達障害」のことがよくわからない。
と言ったのではないのか?
よくわからない人が「あの子は発達障害」って決めつけるわけ?
そんなつじつまの合わないことを平気で言っていることに気が付かないのはなぜだ?
そもそも、そういう人は「発達障害」関係なく
自己理解やロジカルな思考、コミュニケーションスキルが低いのではないかと疑ってしまう。(笑)


「よくわからない。」ということがわかっているなら、わからないということが解消できるような努力や工夫はしていないのか?

「わからない」と言うことをそのままにしていても平気だということなのか?
プライベートなことで他の人に迷惑をかけないのであれば、特に問題はないと思う。
がしかし、「仕事」として その職業を選んだものとして<そのまま>に放置していてもいいのだろうか?
この場合、一番の被害者は<子ども>であることを知っているのだろうか?

どうすればよいかわからないから何も手立てをしていないのか?

先ほどの問題提起と似ているが、「わからない」から子どもの関わりを遠ざけているのか?
それとも、その状態で関り、指導しているのか?だれかにその子の担当を変わってもらっているのか?
その人の職場の状況がいまいちわからないので、なんとも言えないけれど、
「あなたがわからなくても、子どもは毎日発達し、成長しているのだ。」
それは、止められない。
その大事な時期をただおざなりに時間を過ごさせているのだろうか。

どんな状態になったら、「発達障害」を理解したことになるのか?

自分の目標とする具体的な目標がイメージできるのならまだしも、
明確に答えることができないのであれば、
そんな状態には一生ならないということだ。

そして、私自身も「発達障害」を理解したか?と問われると
「うー-ん、完ぺきではない。」と答えるだろう。
ずっと「探求」する理由がそこにある。

だから、
だから、
「発達障害」が良くわからないから・・・を理由に
言い訳にしてほしくないのだ。

わからなくても上手に子どもたちと関わっている人は少なからずいるし、
先人でも、そのようなユニークさをもっている子どもたちを素晴らしく支えて、成長させてきた人は存在する。

それよりも、今あなたは自分ができることでどう努力、工夫しているのか?
キャリアアップするためにどう、学びや探求をおこなっているのか?を大切に考えてほしい。
そして、行動を起こし、前へ進んでほしいと思うのだ。


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