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もう少し、生きてみますか

中学生のころから、「生きる」意味ってなんだろう?って考えるようになった。誰にでもあるんじゃないかな。でも、「これに向かって頑張ろう!」とか「私が死んだら○○が悲しむよね…」とかって思えないのが私。「誰にも愛されていない」と感じることが昔からよくある。

そんなこんなで31歳になってしまった。途中途中、鬱傾向になったり「何故、誕生日を迎えてしまったんだろう…」と思った時期もあった。あのころはまず、朝起きて「あぁ・・・死んでないなぁ」と落胆する毎日だった。ずっと眠りに落ちていたい、眠っている間に死にたい、ずっと、そんな楽な死に方を求めている。睡眠薬で死ねない時代。

鬱傾向の時期を乗り越え、再就職。今の会社はもうすぐ3年目になるけれど、ここ最近また調子が悪い。はっきりとした理由はわからない。繁忙期と、同僚との意思疎通がうまくいかなかったこと、人事面談での評価(減額された)、同居人との関係性などが理由だと思う。

久しぶりの精神科。病院選びにもたまに最悪な受け答えをする受付がいるので、電話のやり取りで決める。一番家に近いところは「今日はあいてないので無理ですね」と他の提案もなく、当日に電話してくるんじゃないわよ、という態度が伝わってきたのでひどく悲しくなり電話を切った。一駅隣の、電話口で今までの経緯などを簡単にヒアリングしてくれるクリニックにした。でもなんで電話口で聞くんだろう??今になって思えば、それがよかったのかはよくわからない。

病院に行くと、鬱傾向の診断チェックシートが必ずある。以前よりは症状は軽いので、正直に最低限あてはまる項目を○した。すると「PMSではないか」といったようなニュアンスで話が進められ、「あぁ、わたしうつ病にあこがれるけど全然あてはまらない人みたいになってるんだなぁ」とぼんやり思う。その程度で病院に来るなんて大げさだと。だけど話している最中はとてつもなく悲しい、つらいんだとうったえるように話しながら涙が出てくる。先生は戸惑いを感じているようだった。

結局出されたのは、気分を安定させる薬、睡眠改善の薬、胃薬。

わたし、何したかったんだっけ・・・・

以前は薬漬けになるのが嫌だった。自分で薬を飲むのをやめて、考え方を変えるように努力した。そしていつしか死ぬことを考えなくてよくなった。涙もろかった毎日もどこかへいった。多少人との衝突があっても泣かずに、体はふるえるけど対応できるようになった。だけど最近はなんとなくまた考えるようになってしまった。

そう、考え方だけでは改善できなくなったから、またひどくなる前に薬でサポートしてもらいながら乗り越えようと思ったんだった。だけど病院に行って、先生の態度を見て、あぁ、薬飲むほどじゃないんだろうなとも思った。

人の顔色、態度を伺ってしまうのはHSPの気質だろうか。それにより勝手に傷つくことも多い。今回だって直接言われたわけじゃないのにね。でも大体そういうのってわかるよね??

生きづらい人生だなあ。ひとまず、薬飲んでもう少し生きてみますか。

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